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欲とは何か

「欲があるから働くのであり、働きもできる。

欲があるから正直であり、正直にもなり得る。

欲があるから真面目であり、真面目にもなり得る。欲があるから、頼まれても横着しないのです。」

…大事なことは、本当の欲というものを、知るか知らないかということだ。」

(湯川安太郎師)


一般的に宗教と言いますと、

「欲」とは人間にとって、いけないものであり、捨てるべきものである、

と教えているように思われがちです。

確かに人間は昔から欲の為に苦しみ、欲の無い世界に憧れてきたに違いありません。

仏教でいう極楽も、キリスト教でいう天国も、欲の無い世界です。


しかし、いくら信仰を深め、難行苦行をしたところで、

欲というものが捨てようとして捨てられるようなものではないところに、

かえってその苦しみがあるのも事実でしょう。

もし本当にこの世の中から欲が無くなるとすると、一体どうなってしまうでしょうか。

いくら欲を否定したところで、人間の自己発展を促し、

行動に駆り立ててきたものは、他でもない人間の欲なのです。


そこで、このように考えてみてはいかがでしょうか。

本来、欲というのは人間にとって捨てることのできない、

また捨てるべきでない神様からのお恵みであり、生命の糧なのだと。


お恵みなのですから、お恵みとして使わせて頂く限りは、道にかなっており、

人間の幸せを生み出す働きとなるのです。


では、本当の欲とは何かと申しますと、それは「我」を離れた欲のことです。

我とは、「自分」に執着する心であり、「欲」に「我」がひっついて「我欲」になりますと、

全体の都合ではなく、自分のみの都合をはかる、身勝手な欲となるのです。

私たちが自分の心に悩みをこしらえて自ら苦しみ、他人にも迷惑をかけ、落ち着かない原因を作るのは何故か。

それは他人のことなど忘れてしまい、自分の得手勝手ばかり考え、

その自分にいつまでも執着しているためなのです。

我を離れたところに人が助かる道がある。

我を離れた本当の欲を持たせて頂きたいと願うのです。

すべて恵まれてのことなのだから

『わが心でわが身を生かすこともあり 殺すこともあり』


ロビンソン・クルーソーは、アフリカへの渡航中に船が難破し、

無人島に唯一人打ち上げられて生き残ります。

しかし、生き残ったことを喜んだのも束の間、

助けを呼ぶことも、島から脱出する術もなく、これからどうしたらよいのかと悩み始めるのです。

 「このままでは、精神的にダメになってしまう…」

そんな自分を慰めるために、ある方法によって心を感謝の気持ちに変えることに成功します。


その方法とは、帳簿の借方(かりかた)、貸方(かしかた)を書くのと同じように、

自分が経験したこと一つひとつについて、「不幸せ」と「幸せ」な点をそれぞれ書きだし、

対比してみるというものです。


持ち物についてならば、「着る服が無い」という不幸せに対し、

「服があっても、着られないほど暑い場所にいる」という幸せがある。


境遇についてならば、「脱出する望みは限りなく小さい」という不幸せに対し、

「他の乗組員たちのように溺れ死なずに生きている」という幸せがある。


このように対比していくと、最終的な差引勘定では幸せの方が大きいという結論になり、

そのことを神様に感謝するのでした。


さて、皆様も過去の出来事に対して、「不幸せ」と「幸せ」な点をそれぞれ書き出してみて下さい。

「不幸せ」が大きい出来事ほど、「幸せ」もまた大きいことに気が付くはずです。


実際に書いてみることによって、

「不幸せ」な出来事ほど、今の自分にとって、

なくてはならない出来事であったことが明確になるのです。


物事には、どんなことでも良い面と悪い面とがあるものですが、

結局のところは、受け取る者の心次第なのです。 

良いも悪いもないのであれば、「すべて恵まれてのことなのだから」と、

神様から頂いた「ご縁」として有難く受け取る心を育てていきましょう。

有難く受け取ったその第一歩が、本当の幸せへと通じているのです。

重荷を担う力

インドの有名な哲学者タゴールの詩に、このような一節があります。


わが重荷を軽くせよとわれは祈らず

われをして重荷を担うことを、

得るものたらしめよ

というが、わが祈りなり


一般的に信心とは、不幸災難から逃れ、平穏無事な日々を送ることが目的とされていますが、

タゴールの祈りには、そのような不幸災難から逃れようとする心情はありません。

むしろ、不幸災難に打ち克っていこう、困難の渦中においても幸せに生きていこう、

という主体的な姿勢が祈りに込められているのです。

人間は皆、必ず何かで苦しむものです。その一人ひとりの苦しみも、決して生半可なものではありません。

胸につかえる問題は誰の人生においても、次々と起きてまいります。

しかし、その苦難の中にどれだけの神様の願いが込められているか、

一見無駄に見えることの中に、どれだけの恩寵があるか、ということに心を向けることが信心であります。

苦悩や絶望が縁となって、神様の願いに気付かせていただき、真の生き方に目覚める。

そこから自然と手が合わさるようになる。

いのちの根が深くなり、よりしっかりとした人生を送ることが出来るようになるのです。

確かにこの世の中は生きづらい。

一面から言えば、人生とは苦労の連続であります。

しかし、その苦労を乗り越えずして、何を乗り越えると言うのでしょうか。

そこを乗り越えて行くところに「生き甲斐」というものがある。


もしこの世のすべてがやさしくて、楽しい事ばかりだったら世の中は決して面白くないはずです。

生きづらい世の中を一生懸命に生き抜いてこそ、生きる喜びを感じることが出来るのです。

人間の本当の幸せとは、そのように人生で出逢う苦難を、

自らの心が乗り越えた先にあるのではないでしょうか。

その真理を何時も忘れないように、祈らせて頂きましょう。

おかげの中に生かされて生きている

『お天道様のお照らしなさるのもおかげ、

 雨の降られるのもおかげ、

 人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。

 人間は、おかげの中に生まれ、

 おかげの中で生活をし、

 おかげの中に死んでいくのである。』


信心をすれば一切の苦難が無くなるかと問われれば、

残念ながらそんなことは有り得ないでしょう。

人が人として生きていく以上は、色々な苦難にどうしても直面していきます。

しかし、事実として苦難がありながらも、そのことで心が苦しまなくなる。

その苦難の中にも「幸せ」を見出せる。

別の角度から物事を見つめ、そこに自然と手が掌わせるようになる。

信心させて頂くと、そのような身の上にならせて頂けるのですね。

過去の出来事を捨て去ることはできなくても、とらえ直すことはできます。

現実を変えることが出来なくても、悩みに対する心の持ち方を変えることはできます。

境遇は変えられなくても、生き方を変えることで人生の見え方が変わるのです。

「○○さえあれば、私は幸せになれる」

「○○にならないと、私は幸せになれない」

と思い込んでいる人は、その幸せが得られない限り幸せになれませんし、

他の幸せになかなか気付くことが出ません。

実はこの世の中は、数え切れないほどたくさんの「幸せ」に満ちているのです。

自分がすでにもっている幸せもたくさんあるし、これから出逢う幸せもたくさんある。

しかし、そのすべての幸せを得られるわけではなく、

自分にはどうしても得られない幸せというのもあります。

ただ、自分にも得られる幸せがこの人生には必ず準備されていて、

しかもそれは一つや二つじゃありません。数え切れないほどたくさんあるのです。

大切なことは、私たち一人ひとりがその自分に準備された幸せに気付くだけのことなのです。

みな鏡に現れる

『天地の神のおかげで生かしてもらっている者は、

 合わせ鏡の間に置いてもらっているようなものである。

 悪いことも善いことも、みな鏡に現れるように神様はご承知である。』


合わせ鏡に映るのは、常に自分自身です。

自分の心が人生に現れる。言い替えれば、人生で起きていることを見れば、

自分自身の心も知ることが出来るという教えです。


鏡に映った自分を変えようとして、いくら鏡に手を伸ばしたところで、そこには実体がありませんね。

鏡に映る自分自身を変えてはじめて、鏡に映る光景が変わっていくのです。


人の姿が見えていても、自分の姿が見えていなければ、半分しか物事が見えていないのです。

不完全な見方ですから、自分の悪さが見えないのですね。

自分を見ることが足りない間は、すべて人のせいにして、不足をそこに持っていってしまいます。

よく、「これだけ自分は努力しているのに、相手は少しも良くなってくれない」という声を耳にします。

そのお気持ちは分かりますが、そのように嘆くだけでは道は開かれません。


合わせ鏡である周囲の人々の中に善なり悪なりが見えるということは、

自分自身の中にも、その相手と同じ善なり悪なりが在るということです。 

自分の心を見せられていることに気付いてはじめて、相手ばかりを責めるわけにはいかなくなります。  

そもそも、不平とか不足とかいうものが起こるというのは、

心のどこかに「自分だけが正しい」という思い違いがあるのです。

それが、自分自身が見えることで、他の人が悪いところを出してきても、

それが我が内にもあることを知っているので、簡単には責められなくなる、蔑めなくなる。

そこから、相手の悪いところも許せるようになり、また善いところもよく見えてくるようになります。


相手が善くなってくれることを、こちらが何十年待ったところで、どうなることやら分かりません。 

それよりも、こちらが相手を悪く思ったり、辛く思ったりしないようになれればよい。

つまりは、自分が変われればそれが一番なのです。
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