自らの敵は
『我よしと思う心を仇として
戦いて行け 日ごと夜ごとに』(安武松太郎師)
「自分が正しい」と思うことこそが、自らの敵である、という教えであります。
おそらく全ての人間が人に対して、心から愛し合い、信じ合い、
良い心持ちで付き合うことが出来るようになりたいと心の底では願っているのに、それがなかなか出来ない。
そして、その出来ない原因が、相手の悪いところにあると思うところから、色々な不平不足が心の中に生まれ、
また口からも出て来るのです。
しかし、「仲」というものは自分だけでつくるのではなく、また相手だけでつくるのでもない。
自分と相手との言わば「合作」なのですね。
そのように考えてみますと、仲が悪いということは、相手もさることながら、
自分にも少なからず原因がある、ということになります。
そもそも、不平とか不足とかいうものが起こるというのは、
自らの心のどこかに「自分は正しい」と思うところがあるから起こるのです。それこそが己の敵である、と。
深刻な人間関係の問題を解く道は唯一つ。
それは、自分自身の至らなさ、未熟さに気づいて、自ら詫びることなのです。
自分の手元に、こだわりがあったり、曲がったものがあるから、人間関係に行き詰まる。
人間の仲というのは不思議なもので、仲の良い者同士の間では、悪いところが不思議と出てこない。
出ても悪いと感じないのです。
それは、何も仲が良くなったから、急に相手が善人になったのではなく、
仲が悪くなったからといって、急に悪人になるわけではありません。
相手はそのままでありながら、仲さえよくなれば、悪く思えないようになるのです。ここに、人間の間柄の妙味がある。
ですから、人間というのは、そう単純に良し悪しなど言えないものである。このことをいつも心に留めておかなければなりません。
戦いて行け 日ごと夜ごとに』(安武松太郎師)
「自分が正しい」と思うことこそが、自らの敵である、という教えであります。
おそらく全ての人間が人に対して、心から愛し合い、信じ合い、
良い心持ちで付き合うことが出来るようになりたいと心の底では願っているのに、それがなかなか出来ない。
そして、その出来ない原因が、相手の悪いところにあると思うところから、色々な不平不足が心の中に生まれ、
また口からも出て来るのです。
しかし、「仲」というものは自分だけでつくるのではなく、また相手だけでつくるのでもない。
自分と相手との言わば「合作」なのですね。
そのように考えてみますと、仲が悪いということは、相手もさることながら、
自分にも少なからず原因がある、ということになります。
そもそも、不平とか不足とかいうものが起こるというのは、
自らの心のどこかに「自分は正しい」と思うところがあるから起こるのです。それこそが己の敵である、と。
深刻な人間関係の問題を解く道は唯一つ。
それは、自分自身の至らなさ、未熟さに気づいて、自ら詫びることなのです。
自分の手元に、こだわりがあったり、曲がったものがあるから、人間関係に行き詰まる。
人間の仲というのは不思議なもので、仲の良い者同士の間では、悪いところが不思議と出てこない。
出ても悪いと感じないのです。
それは、何も仲が良くなったから、急に相手が善人になったのではなく、
仲が悪くなったからといって、急に悪人になるわけではありません。
相手はそのままでありながら、仲さえよくなれば、悪く思えないようになるのです。ここに、人間の間柄の妙味がある。
ですから、人間というのは、そう単純に良し悪しなど言えないものである。このことをいつも心に留めておかなければなりません。
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