神人(かみひと)
『信心』という言葉を辞書で引きますと、「神仏を信じること」とあります。
なるほど言葉の通り、神様を信じる心という意味ですから、自分と神様とは別々にあるわけです。
同じ「シンジン」という言葉でも、このお道では『神人(かみひと)』と書きます。
これは、神様が私たち一人ひとりの中に居られるということです。
私たちが気付こうが気付かまいが、嬉しい時も悲しい時も寄り添って、
この人生を共に生きて下さっているのですね。
宮、寺、社など特別な場所で、特別な作法をもって、特別なことをすることが信心と思われていますが、そうではありません。
大切なことは、その自分の中に居られる神様に心を向け、本当に一つとなって生きていくことであり、
場所や作法はその為の言わば“工夫”なのです。
神様に心が向かっている時の感情とは、感謝・満足・納得・安心・共感・謙虚・愛情…と言った、正の感情です。
一方で、自分の中には我(エゴ)という鬼もいる。
その鬼に自分の心が向かうと、不足・不満・不服・心配・嫉妬・傲慢・憎悪…
と言った負の感情に責め立てられることになるのです。
つまり生きるうえで本当に大切なこととは、
自分の心を正の感情か負の感情、どちらに向けて生きていくか、ということ。
自らの心の調子を整えるということに尽きます。
しかし人間ですから、調子が整って神人となっている時もあれば、
はたまた調子が狂って心の鬼に責められる時もある。
性善でも性悪でもないのが人間です。
白と黒、善と悪の間に人間がいて、そのどちらにもいくことが出来る。
何らかの縁で上に昇ることもできれば、下に落ちることにもなる。
あらゆる悪も人間から出てきますが、同時にあらゆる善も人間から出てくるのです。
そのように、人間というのは何か一定の塊としてあるのではなく、
その時々の場や関係次第で色々な動きをするものであります。
だからこそ、調子が狂わないように、乱れないように、手を掌せていくことが大切なのです。
なるほど言葉の通り、神様を信じる心という意味ですから、自分と神様とは別々にあるわけです。
同じ「シンジン」という言葉でも、このお道では『神人(かみひと)』と書きます。
これは、神様が私たち一人ひとりの中に居られるということです。
私たちが気付こうが気付かまいが、嬉しい時も悲しい時も寄り添って、
この人生を共に生きて下さっているのですね。
宮、寺、社など特別な場所で、特別な作法をもって、特別なことをすることが信心と思われていますが、そうではありません。
大切なことは、その自分の中に居られる神様に心を向け、本当に一つとなって生きていくことであり、
場所や作法はその為の言わば“工夫”なのです。
神様に心が向かっている時の感情とは、感謝・満足・納得・安心・共感・謙虚・愛情…と言った、正の感情です。
一方で、自分の中には我(エゴ)という鬼もいる。
その鬼に自分の心が向かうと、不足・不満・不服・心配・嫉妬・傲慢・憎悪…
と言った負の感情に責め立てられることになるのです。
つまり生きるうえで本当に大切なこととは、
自分の心を正の感情か負の感情、どちらに向けて生きていくか、ということ。
自らの心の調子を整えるということに尽きます。
しかし人間ですから、調子が整って神人となっている時もあれば、
はたまた調子が狂って心の鬼に責められる時もある。
性善でも性悪でもないのが人間です。
白と黒、善と悪の間に人間がいて、そのどちらにもいくことが出来る。
何らかの縁で上に昇ることもできれば、下に落ちることにもなる。
あらゆる悪も人間から出てきますが、同時にあらゆる善も人間から出てくるのです。
そのように、人間というのは何か一定の塊としてあるのではなく、
その時々の場や関係次第で色々な動きをするものであります。
だからこそ、調子が狂わないように、乱れないように、手を掌せていくことが大切なのです。
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