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「ほんもの」にならせていただく

東井義雄さんの詩に、『「ほんもの」と「にせもの」』というものがあります。

「ほんもの」と「にせもの」は
見えないところの在り方で決まる
それだのに「にせもの」に限って
見えるところばかりを気にし 飾り
ますます「ほんとうのにせもの」になっていく


人間の品というものは、その人全体から出るもの。生命全体の言わば調子なのです。
人間、自分のやましい部分は隠そう隠そうとするものですが、隠したいと思うものほど、実は表に出てくる。
お金・モノの扱い方、性生活や家族への接し方…。自分の生命と密接に繋がっている事柄ほど、
隠そうとしても必ず表に出てきます。

それらを正しくしている人は、それがだんだんとその人の生き方の調子となって表れてきて、
次第に品の良い生き方となる。
逆にそれらを乱していると、それがその人全体の生き方、調子の狂いとなって表れてくる。
そこで品が悪くなっていくのです。

他に知れる、知れぬの問題ではありません。
知られるか、知られないかは、隠しさえすればごまかせるかも知れない。
しかし、誰に知られなくとも、自分の生命の芯に狂いが生じたらどうにもならないのです。
財力があっても名声があっても、生命それ自身が狂ってしまったら、どうすることも出来ません。

「にせもの」の横道はこの人生にいくらでもありますが、それらは皆やがては必ず行き詰まる。
その行き詰まりは大変苦しいものですが、実はそこが有り難いのでありまして、
行き詰まるからこそ引き返す気にもなるし、神様を信じることも出来るのです。

信心をさせていただくということは、この天地の神様に恥じない生き方をさせていただこうと心掛けることであります。
どんな時も、「神様が見ておられる」とわが心に問うことなのです。
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