おかげ(幸せ)は和賀心にあり
心を丸い円に喩えたとき、「幸せ」とは、その円が満月のように真ん丸な状態を言います。
「円満」という言葉があるように、満ち足りていて不足がない状態を「幸せ」と言うのですね。
それに対して「不幸せ」とは、何かしら不足があるために心の円に穴が空いていて、
半月になったり三日月になったり、人によっては、かじられ尽した林檎のようになっている。
では、そのように心の円に穴を空けている不足の正体とは何かと言いますと、
それは「自分の期待通りにならない」という思い。これに尽きる。
不幸せな人というのは、何かしら不足を言われるものですが、
それらはすべて、自分の期待通りに人、モノ、お金が動いてくれないというものであります。
しかし、そのような自分の不足というものを一体誰が埋めてくれると言うのでしょうか。
結局は、自分でしか埋められないのです。
幸せになろうとしながら、人を当てにしては不足を言って、幸せになれない心の在り方になってしまっている。
これが「迷い」なのですね。
そうではなく、
「人から何かしてもらおうと思わなくても、この自分自身の中に限りのないお恵みを頂いているのだ。
私の中から、どんなことでもしようという心が出てくれば、何だって出来る。無限に良いものを私は授かっているのだ!」
このことに気付かせて頂くことが信心であり、
そこに至ってはじめて、自分の不足というものが無くなる。
穴が埋まって円満となり、幸せになれます。
『おかげ(幸せ)は和賀心にあり。
和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』
「和」とは、二つのものが一緒になることですが、その「和」の精神が表された形が円です。
車輪が四角だったら、車は前進しません。丸いから前進できるのです。
人においても同じことで、心に輪を描けば、人生を生き生きと生きていけます。
人生で出逢う人・事柄を通して、角のない人間にならせていただきましょう。
和らぎ喜ぶ心、丸い円のような心にならせて頂きましょう。
「円満」という言葉があるように、満ち足りていて不足がない状態を「幸せ」と言うのですね。
それに対して「不幸せ」とは、何かしら不足があるために心の円に穴が空いていて、
半月になったり三日月になったり、人によっては、かじられ尽した林檎のようになっている。
では、そのように心の円に穴を空けている不足の正体とは何かと言いますと、
それは「自分の期待通りにならない」という思い。これに尽きる。
不幸せな人というのは、何かしら不足を言われるものですが、
それらはすべて、自分の期待通りに人、モノ、お金が動いてくれないというものであります。
しかし、そのような自分の不足というものを一体誰が埋めてくれると言うのでしょうか。
結局は、自分でしか埋められないのです。
幸せになろうとしながら、人を当てにしては不足を言って、幸せになれない心の在り方になってしまっている。
これが「迷い」なのですね。
そうではなく、
「人から何かしてもらおうと思わなくても、この自分自身の中に限りのないお恵みを頂いているのだ。
私の中から、どんなことでもしようという心が出てくれば、何だって出来る。無限に良いものを私は授かっているのだ!」
このことに気付かせて頂くことが信心であり、
そこに至ってはじめて、自分の不足というものが無くなる。
穴が埋まって円満となり、幸せになれます。
『おかげ(幸せ)は和賀心にあり。
和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』
「和」とは、二つのものが一緒になることですが、その「和」の精神が表された形が円です。
車輪が四角だったら、車は前進しません。丸いから前進できるのです。
人においても同じことで、心に輪を描けば、人生を生き生きと生きていけます。
人生で出逢う人・事柄を通して、角のない人間にならせていただきましょう。
和らぎ喜ぶ心、丸い円のような心にならせて頂きましょう。
- 関連記事
-
- 「今、この時」を喜ぶ (2023/07/30)
- おかげ(幸せ)は和賀心にあり (2023/06/11)
- 感謝の反対は「あたりまえ」 (2023/06/04)