心の稽古
お道の教えにこのようにあります。
『信心の浅い時には、人から悪く言われるとすぐ腹が立って、こらえきれないで、すぐに仕返しをしようなどとする。
しかし、信心が少し進んでくれば、人から悪く言われると、腹は立つけれども、
信心しているからと思って堪えられるようになってくる。
信心がずっと進んでくると、人から悪く言われても腹が立たない。
腹が立つどころか、かえってその人が気の毒になる。』
臨済宗中興の祖と称され、五百年に一人の名僧といわれた白隠(はくいん)禅師に、このようなエピソードがあります。
ある人が、「和尚さん、あなたの怒った顔を見たことがありませんが、
あなたには腹が立つということはないのですか」と伺ったところ、
「石の地蔵さんじゃなんだから、わしだって腹が立つぞ」と答えられた。
「でも、和尚さんの怒ったところを見たことがないですが…」と不思議がると、
「わしは腹は立つけど、怒らんだけじゃ」と答えられたそうであります。
腹は立つけど、怒らない。なんとも不思議な表現ですが、よくよく考えてみますとその通りなのです。
人間、腹を立てないと発奮もしませんし、社会の悪にも義憤を感じなくなる。
しかしそこで怒って、ただ感情に身を任せてしまうかどうか。ここに大きな違いがある。
つまり、腹が立つという本能的な反応と、実際の行動との間に、
私たちの「心」があり、実際の行動を自分自身で選択する自由があるのです。
動物は本能によって行動することしか出来ませんが、
人間は心をつかって、全く新しい行動パターンを自分自身で描いていくことができます。
ここに人間に与えられた無限の可能性があるのです。
それが良心であり、お道で言うところの「分け御霊」
(人間がこの世に生を受ける時に、神様から与えられた魂)のお働きなのです。
私たちが本能の奴隷とはならずに、「怒り」と上手に付き合っていくためには、
神様から与えられた「分け御霊」がいつでもお働き下さる心の在り方となっておく必要があります。
その稽古をさせて頂くことが信心なのです。
『信心の浅い時には、人から悪く言われるとすぐ腹が立って、こらえきれないで、すぐに仕返しをしようなどとする。
しかし、信心が少し進んでくれば、人から悪く言われると、腹は立つけれども、
信心しているからと思って堪えられるようになってくる。
信心がずっと進んでくると、人から悪く言われても腹が立たない。
腹が立つどころか、かえってその人が気の毒になる。』
臨済宗中興の祖と称され、五百年に一人の名僧といわれた白隠(はくいん)禅師に、このようなエピソードがあります。
ある人が、「和尚さん、あなたの怒った顔を見たことがありませんが、
あなたには腹が立つということはないのですか」と伺ったところ、
「石の地蔵さんじゃなんだから、わしだって腹が立つぞ」と答えられた。
「でも、和尚さんの怒ったところを見たことがないですが…」と不思議がると、
「わしは腹は立つけど、怒らんだけじゃ」と答えられたそうであります。
腹は立つけど、怒らない。なんとも不思議な表現ですが、よくよく考えてみますとその通りなのです。
人間、腹を立てないと発奮もしませんし、社会の悪にも義憤を感じなくなる。
しかしそこで怒って、ただ感情に身を任せてしまうかどうか。ここに大きな違いがある。
つまり、腹が立つという本能的な反応と、実際の行動との間に、
私たちの「心」があり、実際の行動を自分自身で選択する自由があるのです。
動物は本能によって行動することしか出来ませんが、
人間は心をつかって、全く新しい行動パターンを自分自身で描いていくことができます。
ここに人間に与えられた無限の可能性があるのです。
それが良心であり、お道で言うところの「分け御霊」
(人間がこの世に生を受ける時に、神様から与えられた魂)のお働きなのです。
私たちが本能の奴隷とはならずに、「怒り」と上手に付き合っていくためには、
神様から与えられた「分け御霊」がいつでもお働き下さる心の在り方となっておく必要があります。
その稽古をさせて頂くことが信心なのです。
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