一年一年ありがたく
茶道を大成した千利休(せんのりきゅう)の歌に、このようにあります。
「稽古とは 一より習い 十を知り
十よりかえる もとのその一」
一、二、三…と習い、十まで知ったならば一に戻って、
再びもとの一を習う時、習う人の心は全く変わっているものです。
端から見ればもとの一は同じように見えますが、習っている本人にとってみれば、
最初に習った時と異なっている。
このことが人の進歩につながるのであって、
十を知り、もとの一に戻らぬ人は、それ以上の進歩は望めません。
さて、元日とは暦の上での「一」であります。
新たな一年を迎えた感動の中で、「今年こそは」という願いを立て、感謝と反省を胸に神仏に手を掌わせる。
そして、今日という一日を出来る限り大切に過ごそうとする。
そのような「元日の心」を毎日続けさせて頂くことが、そのまま信心となります。
ですから、元日の今日。この感謝の心持ちを、しっかりと味わい、保っていき、
そうしてどのようなことに出遭っても自分から離れないように心掛けることが大切です。
信仰上の修行というのも、もともとはそのためにあるのです。
木魚を叩いて念仏を唱えたり、断食をしたり、山に登ったり、川を渡ったり。
それらはすべて、その間に感じる、何とも言えぬ有り難い心を自らに覚え込ませ、
自らがそのように成り切るために、させて頂くことであります。
このお道では、体を痛めつけたり我慢したりする修行はありません。
その代わりに、「元日の心」を持ち続けることを修行とさせて頂きます。
あらためて一を習うと、その一が、きわめて新鮮になり、また違った経験が得られる。
そこから次に向けての工夫が生まれるのです。
『信心は、一年一年ありがとうなってくるのでなければ本当ではない。』
日々させていただく信心生活が、一日一日、一年一年、有り難いという想いが増えていっているか、
そうでないか。ここのところを、信心の標準とさせていただきましょう。
「稽古とは 一より習い 十を知り
十よりかえる もとのその一」
一、二、三…と習い、十まで知ったならば一に戻って、
再びもとの一を習う時、習う人の心は全く変わっているものです。
端から見ればもとの一は同じように見えますが、習っている本人にとってみれば、
最初に習った時と異なっている。
このことが人の進歩につながるのであって、
十を知り、もとの一に戻らぬ人は、それ以上の進歩は望めません。
さて、元日とは暦の上での「一」であります。
新たな一年を迎えた感動の中で、「今年こそは」という願いを立て、感謝と反省を胸に神仏に手を掌わせる。
そして、今日という一日を出来る限り大切に過ごそうとする。
そのような「元日の心」を毎日続けさせて頂くことが、そのまま信心となります。
ですから、元日の今日。この感謝の心持ちを、しっかりと味わい、保っていき、
そうしてどのようなことに出遭っても自分から離れないように心掛けることが大切です。
信仰上の修行というのも、もともとはそのためにあるのです。
木魚を叩いて念仏を唱えたり、断食をしたり、山に登ったり、川を渡ったり。
それらはすべて、その間に感じる、何とも言えぬ有り難い心を自らに覚え込ませ、
自らがそのように成り切るために、させて頂くことであります。
このお道では、体を痛めつけたり我慢したりする修行はありません。
その代わりに、「元日の心」を持ち続けることを修行とさせて頂きます。
あらためて一を習うと、その一が、きわめて新鮮になり、また違った経験が得られる。
そこから次に向けての工夫が生まれるのです。
『信心は、一年一年ありがとうなってくるのでなければ本当ではない。』
日々させていただく信心生活が、一日一日、一年一年、有り難いという想いが増えていっているか、
そうでないか。ここのところを、信心の標準とさせていただきましょう。
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