人生の長さ
江戸時代後期の僧侶であり、歌人でもある良寛和尚に、このようなエピソードがあります。
ある日、たいへん金持ちの老人が良寛和尚を訪ねてきて、このように願われました。
「良寛さん、私は本年七十歳。先も長くないようですが、せめてもう十年は長生きしたいのです。何かよい方法はありませんか」
良寛和尚は答えます。
「もちろんある。しかし十年経つと八十じゃが、それ以上でなくてよいのか。」
すると老人は、
「そう言われると心許ない気がします。もうあと十年延ばしてもらえませんか。」
良寛は更に問います。
「更に十年と言うと九十歳じゃ。本当にそれ以上はなくてよいのか。」
そこで老人は、
「それでは困ります。今までは遠慮しておりました。
せめて百歳、否、二百歳まで生きられたらいいので、その方法を教えて下さい。」
良寛はさらに、
「千年というのがあるが、どうじゃ」
老人は大変喜んで、
「それは大変結構。長ければ長い方がよろしいです。」
と手を叩きました。
そこで良寛は座り直し、話し始めました。
「それでは教えてしんぜよう。よく聞きなさい。あなたが千年生きたいと願うならば、
臨終を迎えた時、私の生命は千年生きた、あぁよかったなぁと味わえばよい。これが方法じゃ。わかったな」
と。
人生の長さは人それぞれ違いますが、どんな人生も必ず途中で終わりを迎えるのです。
ここがゴールなどというものはありません。
大切なことは、今月今日、只今(ただいま)を大切にするということです。
考えてもみて下さい。私たちが幸せを感じたり、不幸せを感じたりするのは、いつでしょうか?
それは、昨日でもなく明日でもなく、今しかない。
七十年生きて幸せだと思うのも、千年生きて幸せだと思うのも、今の自分が決めているのです。
つまり、幸せも不幸せも「今」以外のどこにもない。人生を創るのはまさに、「今」しかないのです。
切実に全力を尽くして今日という日を送るなら、
死ぬという事実もいつかの今日の出来事でしかなく、悔いは無い。
そういう今月今日、只今にしたいものです。
ある日、たいへん金持ちの老人が良寛和尚を訪ねてきて、このように願われました。
「良寛さん、私は本年七十歳。先も長くないようですが、せめてもう十年は長生きしたいのです。何かよい方法はありませんか」
良寛和尚は答えます。
「もちろんある。しかし十年経つと八十じゃが、それ以上でなくてよいのか。」
すると老人は、
「そう言われると心許ない気がします。もうあと十年延ばしてもらえませんか。」
良寛は更に問います。
「更に十年と言うと九十歳じゃ。本当にそれ以上はなくてよいのか。」
そこで老人は、
「それでは困ります。今までは遠慮しておりました。
せめて百歳、否、二百歳まで生きられたらいいので、その方法を教えて下さい。」
良寛はさらに、
「千年というのがあるが、どうじゃ」
老人は大変喜んで、
「それは大変結構。長ければ長い方がよろしいです。」
と手を叩きました。
そこで良寛は座り直し、話し始めました。
「それでは教えてしんぜよう。よく聞きなさい。あなたが千年生きたいと願うならば、
臨終を迎えた時、私の生命は千年生きた、あぁよかったなぁと味わえばよい。これが方法じゃ。わかったな」
と。
人生の長さは人それぞれ違いますが、どんな人生も必ず途中で終わりを迎えるのです。
ここがゴールなどというものはありません。
大切なことは、今月今日、只今(ただいま)を大切にするということです。
考えてもみて下さい。私たちが幸せを感じたり、不幸せを感じたりするのは、いつでしょうか?
それは、昨日でもなく明日でもなく、今しかない。
七十年生きて幸せだと思うのも、千年生きて幸せだと思うのも、今の自分が決めているのです。
つまり、幸せも不幸せも「今」以外のどこにもない。人生を創るのはまさに、「今」しかないのです。
切実に全力を尽くして今日という日を送るなら、
死ぬという事実もいつかの今日の出来事でしかなく、悔いは無い。
そういう今月今日、只今にしたいものです。
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