「有り難い」と思う心持ち
信心というものを一言で表せば、自分自身が「有り難い」と思う心持ち。
それが信心なのである。私はこのように頂いております。
例えば、信心の話をするにしても、色々な心持ちで話をすることが出来るでしょう。
人からよく思われようとか、褒めてもらおうとか、金儲けの種にしようとか、
色々な心持ちで話が出来るわけですが、私としてはそういう心持ちよりも、有り難いという心持ちだけで、
お話をさせて頂きたいと思うのです。
仕事をする時にも、有り難いという心持ちだけで仕事をさせて頂きたい。
寝る時には、有り難いという心持ちの中で寝させて頂きたい。
心配したり、腹を立てたりして寝ることはしたくない。
人に対する心持ちでも、相手に対し、有り難くない心、非難する心を持つことは自分自身が大変辛いことです。相
手のことを、有り難いという心持ちで見ることが出来たならば、
いつも良い言葉と態度で相手に向かうことが出来る筈です。
そのように、自分がさせて頂く事柄、出逢う出来事や人々は、その時その場合で色々でありましょうとも、
いつも自分の心の内に「有り難い」という思いがある。それが信心なのだと思います。
そのような有り難い心持ちで生活を送って行くことが出来るとしたら、
それこそが私たちにとって一番の幸せに違いありません。
お道の教えにこのようにあります。
『三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。』
不足が出るところが不足が出ない。腹が立つところが腹が立たない。
わが心で自分の心の内から、有り難い心が湧き出るようになる。
それには十年かかると御教え下さっているのです。
火は自身が暖かいばかりでなく、周囲のものも暖かくします。
自身が明るいとともに、周囲のものまで明るくするのです。
信心する者も同様に、自身が有り難いばかりではなく、人をも有り難い心にならせることが出来る。
信心とは、自分が幸せになるだけでなく、周囲の人間をも幸せにするのです。
それが信心なのである。私はこのように頂いております。
例えば、信心の話をするにしても、色々な心持ちで話をすることが出来るでしょう。
人からよく思われようとか、褒めてもらおうとか、金儲けの種にしようとか、
色々な心持ちで話が出来るわけですが、私としてはそういう心持ちよりも、有り難いという心持ちだけで、
お話をさせて頂きたいと思うのです。
仕事をする時にも、有り難いという心持ちだけで仕事をさせて頂きたい。
寝る時には、有り難いという心持ちの中で寝させて頂きたい。
心配したり、腹を立てたりして寝ることはしたくない。
人に対する心持ちでも、相手に対し、有り難くない心、非難する心を持つことは自分自身が大変辛いことです。相
手のことを、有り難いという心持ちで見ることが出来たならば、
いつも良い言葉と態度で相手に向かうことが出来る筈です。
そのように、自分がさせて頂く事柄、出逢う出来事や人々は、その時その場合で色々でありましょうとも、
いつも自分の心の内に「有り難い」という思いがある。それが信心なのだと思います。
そのような有り難い心持ちで生活を送って行くことが出来るとしたら、
それこそが私たちにとって一番の幸せに違いありません。
お道の教えにこのようにあります。
『三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。』
不足が出るところが不足が出ない。腹が立つところが腹が立たない。
わが心で自分の心の内から、有り難い心が湧き出るようになる。
それには十年かかると御教え下さっているのです。
火は自身が暖かいばかりでなく、周囲のものも暖かくします。
自身が明るいとともに、周囲のものまで明るくするのです。
信心する者も同様に、自身が有り難いばかりではなく、人をも有り難い心にならせることが出来る。
信心とは、自分が幸せになるだけでなく、周囲の人間をも幸せにするのです。
- 関連記事
-
- 人生の長さ (2022/12/25)
- 「有り難い」と思う心持ち (2022/11/27)
- 神徳を積む (2022/10/23)