親心
お道の教えにこのようにあります。
『神様は人間の親様である。
…信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである』
悪いことをすれば天罰が下ると言いますが、
悪いことをした人間に罰を当てよう、罪を償わせようとするのは人間です。
神様は人間の親です。
自分のことなど忘れ、我が子を助けずには居られないのが親心というものですが、
同じ親でも、神様は人間の親よりも遥かに気が長く、心が広い。
責めるところが一切無い為に、ものを言われることもないのです。
どこまでも助けてやろう、どこまでも救ってやろう。
よしお前がどんなに悪い者であろうとも、どんなにつまらぬ者であろうとも、助けずには居られぬ。
悪ければ悪いだけ、つまらないならつまらないだけ、なお助けずには居られない。
信心とは、神様が自分を愛し、許して下さる親であることを知ること。
神様がいつも自分に寄り添って、この人生を共に生きて下さっていることに気付くことなのです。
そうして、そのような親神様から、
私たちは「許す心」を学び、わが心に頂いていくことが、助かっていく道筋なのです。
人間というのは、どこまでも許されないと助からない。
責められることがあっては助からない。そういう生き物なのです。人が助かる道。
それは、他の人間が自分のことを本当に愛してくれている、
どんなことがあっても最後は自分のことを許してくれると信じ切れるところにこそあります。
神様は私たち一人ひとりを、その長所・欠点を、そのままに愛して下さる。
喧嘩をする者たちがいても、その両方を包み込んで、一人ひとりをそのままに許して下さる。
その許す心を学び、ともに実践させて頂きましょう。
人の長所を愛し、欠点をそのままに許すことが出来るようになったとき、本当の幸せに出逢える。
自分も他人も有り難い存在であることに気付かせて頂けるのです。
『神様は人間の親様である。
…信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである』
悪いことをすれば天罰が下ると言いますが、
悪いことをした人間に罰を当てよう、罪を償わせようとするのは人間です。
神様は人間の親です。
自分のことなど忘れ、我が子を助けずには居られないのが親心というものですが、
同じ親でも、神様は人間の親よりも遥かに気が長く、心が広い。
責めるところが一切無い為に、ものを言われることもないのです。
どこまでも助けてやろう、どこまでも救ってやろう。
よしお前がどんなに悪い者であろうとも、どんなにつまらぬ者であろうとも、助けずには居られぬ。
悪ければ悪いだけ、つまらないならつまらないだけ、なお助けずには居られない。
信心とは、神様が自分を愛し、許して下さる親であることを知ること。
神様がいつも自分に寄り添って、この人生を共に生きて下さっていることに気付くことなのです。
そうして、そのような親神様から、
私たちは「許す心」を学び、わが心に頂いていくことが、助かっていく道筋なのです。
人間というのは、どこまでも許されないと助からない。
責められることがあっては助からない。そういう生き物なのです。人が助かる道。
それは、他の人間が自分のことを本当に愛してくれている、
どんなことがあっても最後は自分のことを許してくれると信じ切れるところにこそあります。
神様は私たち一人ひとりを、その長所・欠点を、そのままに愛して下さる。
喧嘩をする者たちがいても、その両方を包み込んで、一人ひとりをそのままに許して下さる。
その許す心を学び、ともに実践させて頂きましょう。
人の長所を愛し、欠点をそのままに許すことが出来るようになったとき、本当の幸せに出逢える。
自分も他人も有り難い存在であることに気付かせて頂けるのです。
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