真に教養のある人とは
『人の身が大事か、わが身が大事か。
人もわが身も人である』
子供の純粋な心に差別意識を植え付けるものとは、一体何でしょうか。
その具体例として、このような話があります。
三歳ぐらいの子供を連れた母親が、
水道工事をしている人たちのそばを通りながら言います。
「おじさんたちが、こうして働いていて下さるおかげで、
おいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言って通りましょうね。」
同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。
子どもに向かって言いました。
「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」
価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられます。
子どもは親や教師の「いう通り」になりませんが、「する通り」になると言われます。
最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、
労働への感謝の念を子どもの心に植え付けたのに対し、
二番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植え付けたのです。
『人は生まれながらにして平等である』という言葉がありますが、
この資本主義社会を見てみれば、生まれた環境によって、
生活水準も受ける教育も大きく違ってきます。
経済的な観点から言えば、「平等」とは程遠いのが現実ではないでしょうか。
『人もわが身も人である』という教えは、
みんな同じ人間なのだから仲良くしましょうという意味ではなく、
「自分」や「他人」などという区別など、もともと無いのであるということです。
私たちの「いのち」というものは、他の多くの「いのち」と繋がり、支え合って存在しているのです。
ですから、経済的には上下はあっても、「いのち」には上下などありません。
あるのは繋がりなのです。
ですから、真に教養のある人とは、
今の自分の幸せを人に分けてあげられる人のことを言うのです。
そして、自分の幸せを人と分かち合うところにこそ、本当の幸せがあるのです。
人もわが身も人である』
子供の純粋な心に差別意識を植え付けるものとは、一体何でしょうか。
その具体例として、このような話があります。
三歳ぐらいの子供を連れた母親が、
水道工事をしている人たちのそばを通りながら言います。
「おじさんたちが、こうして働いていて下さるおかげで、
おいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言って通りましょうね。」
同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。
子どもに向かって言いました。
「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」
価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられます。
子どもは親や教師の「いう通り」になりませんが、「する通り」になると言われます。
最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、
労働への感謝の念を子どもの心に植え付けたのに対し、
二番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植え付けたのです。
『人は生まれながらにして平等である』という言葉がありますが、
この資本主義社会を見てみれば、生まれた環境によって、
生活水準も受ける教育も大きく違ってきます。
経済的な観点から言えば、「平等」とは程遠いのが現実ではないでしょうか。
『人もわが身も人である』という教えは、
みんな同じ人間なのだから仲良くしましょうという意味ではなく、
「自分」や「他人」などという区別など、もともと無いのであるということです。
私たちの「いのち」というものは、他の多くの「いのち」と繋がり、支え合って存在しているのです。
ですから、経済的には上下はあっても、「いのち」には上下などありません。
あるのは繋がりなのです。
ですから、真に教養のある人とは、
今の自分の幸せを人に分けてあげられる人のことを言うのです。
そして、自分の幸せを人と分かち合うところにこそ、本当の幸せがあるのです。
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