FC2ブログ

勤めるべき役

『これほど信心するのに、なぜこういうことが起きてくるのだろうかと思えば、

 もう信心はとまっている。

 …これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、

 信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』


御霊地で修行させて頂いていたときのことです。

朝の御祈念に参らせて頂く道中、前を歩く先生の足元がたいへん腫れておりましたので、

「どうされましたか」と尋ねたところ、「神様に叱られました」と。

「どうされましたか」という私の質問は、足の腫れの原因が病気によるものなのか、

何か事故に遭ったのかということを尋ねているのです。

それに対して、その先生は足の腫れを信仰的に捉えて、自分の生活態度、心掛けの問題を反省したところから、

「神様に叱られました」と答えられたのです。これにはたいへん感銘を受けました。

今日では医学知識が一般化し、足が腫れた場合にも、何故そのような腫れが生じているのか、

どのような処置をすればよいのか等ということは、大方見当がつきます。

しかし、ただ単に病気やケガを知り、手当てをするだけでは、

その病気やケガをわずらっている人間が助かることにはならない。

愚痴や不満に陥ることにとどまって、人間の助かる生き方は生まれて来ないのです。

災難についても同じことです。

起こり来る事態について、自分と神様との関係を離れて、ただ災難とだけ捉えたのでは、

人間が生きていくうえに助かる生き方は開かれてこないのですね。

病気なら病気のままに、そのことを自分の勤めるべき役として、

その病気をしっかりと味わい、そこで自分の生き方を見つけていく。

病気になったおかげで、健康なときにはわからなかった人生の別の意味がわかり、

他者の病苦が察せられるところから、本当の意味で病人を慰めることができる。

自分はそのためにこそ病気になったのだ、そう思えるようになった時、

失ったものより遥かに大きなものを手にしたことになるのです。
関連記事
ランキングに参加しております!
いつもクリック頂き、        誠にありがとうございます。   アヒルちゃんとネコちゃんを     1日1回ポチッとお願いします。

FC2Blog Ranking 人気ブログランキングへ

お越し頂きありがとうございます!
ご連絡はこちらよりどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター