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神に会おうと思えば

遥か昔から有神論者と無神論者の間で

「神は存在するのか、しないのか」という

途方も無い議論が繰り返されていますよね。


お互いに一歩も引くことなく考えを主張し合うのですが、

この議論の展開はおおよそ決まっていて、

結局最後は「存在することも、存在しないことも証明することはできない」

というどっちつかずの所で幕が下されます。


こうした議論を見たり聞いたり、時には当事者に立たされたりしたときに、

神は説明して分かるようなものではないということを痛感させられます。


なぜ神を信じられないかと言えば、やはり一番の理由は目に見えないものだからでしょう。

目に見えないものは、いくら人から説明されてもやはり見えないものですから、

疑えばキリがありません。

しかし、この世の実際は、目に見えないものが、目に見えるものを支えているのです。

「大切なものは、目に見えない」と言いますが、

美しく咲く花も、目には見えない地の下の根が咲かせています。 

誰が考えても疑いようのない、自らの命でさえも、目に見えない働きのよって生かされているのです。


神が分かるということは、信心が進んでいく中で

自分の命、生活は自分だけのものでなく、

一切の働きによって恵まれて生かされているのだと気付くところから分かってくることであり、

説明して分かるというようなものではなく、感じ取るものなのです。


金魚鉢の中を泳ぐ金魚は、

鉢の中の水を泳いでいることを知らないのと同じように、

人間も目に見えない大きな働き、そのお恵みの中で生かされていることが

自分自身にはどうしても分からない。分かったとしてもすぐに忘れてしまうようです。


お道の教えに

『神に会おうと思えば、庭の外へ出て見よ。空が神、下が神。』

とあります。


信心の話というものは他人の話ではなく、

どこか遠く離れた所の話でもありません。自分の話、命の話なのです。


「神は存在するのか、しないのか」という議論の前に、

自分というものが分かる、命というものが分かるということに、

自らの命をかけて取り組むべきではないでしょうか。
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