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「ほんもの」と「にせもの」

東井義雄(とうい よしお)先生は、
檀家が9軒しかない日本で一番貧しいと
言われるほどの極貧の寺に生まれ、
大変な苦労を重ねられて教育者となり、
数々の功績を残された方であります。

東井先生の詩に、
「『ほんもの』と『にせもの』」というものがあります。

「ほんもの」と「にせもの」は
見えないところの在り方で決まる
ぞれだのに「にせもの」に限って
見えるところばかりを気にし
飾り
ますます
「ほんとうのにせもの」になっていく


人間、誰の眼も届かぬ一人の時にこそ
本当の生き方が出るものです。

そして、その時の自らの在り方で、
「ほんもの」か「にせもの」かが決まるのです。

自分で自分のことを「ほんもの」と言う方は滅多にいないでしょうが、
実は誰にとってみても、
自分が「ほんもの」でないということほど、つまらないことはありません。

何故なら、自分が「にせもの」ならば、
自分そのものが根本においてしっかりとせず、
自分自身を信じることが出来ないものですから、
当然他人のことも本心から信じることが出来ない。

これは大変辛いことであります。

「にせもの」の横道はいくらでもあれど、
それは皆やがては行き詰まります。

しかし、それが実は有り難いのでありまして、
行き詰まるからこそ引き返す気にもなるし、
神様を信じることも出来るのです。


お道の教えに、このようにあります。

『人目の届かぬ陰で、わからぬと思うて
 悪いことをしたり横着をしたりする者ほど、
 つまらぬ者はない。

 その時は得をしたように思うたり、
 利口なように思うておるだろうが、
 神様は見ているから、つまりは自分の損になる。

 …陰とひなたの心を持つなよ。』

信心をさせていただくということは、
この天地の神様に恥じない生き方をさせていただこうと
心掛けることであります。

それは言い換えれば、陰であれ、ひなたであれ、
日々、この天地を貫く「眼」を意識して生きる、
ということであります。

どんな時も神様に心を向けていこうとするところに、
「ほんもの」への道は続いているのです。
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