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踏み歩いていくこと

中国・唐の末期に趙州従しん(じょうしゅう じゅうしん)
という禅僧がおられました。

ある時、一人の雲水が
「道とは何ですか?」と問うたところ、
趙州和尚はあっさりと
「墻外底(しょうがいてい)」道なら垣根の外に在るわい、
と答えました。

雲水は馬鹿にされたと思って、
「私がお尋ねしているのは、その道のことじゃありません」
と口をとがらして言いました。

「では、何の道を尋ねておるのか」
と趙州和尚が聞くと、雲水は
「仏教の大道を尋ねているのです」と。

すると趙州和尚はこう答えます。
「ああ、大道は長安に通っておる」と。

有名な公案ですね。

「道」というものが何か高尚な概念だと決めつけている雲水に、
垣根の外の小径もたどっていけば都に通じているように、
生活の全て、一挙一動が人として
踏み行うべき正しい道、大道に通じているのだ。

つまり、道とは実践なのだと諭したわけです。

私含め、多くの人はついつい
この雲水のような考えを持ってしまいがちです。

「○○教は○○だから、良い、悪い」

「だから助かる、助からない」

名前とか教学などは、あえて言うなら、
本来どうでもよいものだと思います。

そういうものに拘ると、
逆に「道」というものが分からなくなっていきます。
 
趙州和尚が教えたとおり、
「道」というのは実践、
これを踏み歩いていかないと進歩していかない、
というものです。
 
金光教の教えにこうあります。
「信心といっても別にむずかしいことはない。
親にものを言うように、朝起きたらお礼を申し、
その日のことが都合よくいくように願い、
よそへ行く時には、行ってまいりますと言ってお届け申しあげよ。
そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、
夜寝る時にはまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、
それで信心になる」と。

一日一日、その瞬間その瞬間を、
感謝の気持ちで過ごさせて頂く。

その対象が神であれ仏であれ、
感謝の気持ちでより善い生き方を心掛けていくのならば、
「道」を歩いていることには何ら違いはないのですから。
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