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責めないという修行

信心というと、これまでの宗教や修養団体では、
こうしてはいけない、ああしてはいけない、
そんな心だから不幸になる、病気になる、貧乏になるというように、お説教されることになります。
それが嫌だから信心しないという人も多いようです。

だいたい人間というのは、自分の欠点を指摘されるのが嫌なものですよね。

自分の欠点や足りないところを指摘されて、なるほどそうだとその時は分かっても、
分かったからといって、その欠点が直るわけではありません。

精神的にある程度のレベルに達している人であれば、
自分の足らぬところを指摘されても、すぐに心を改めて欠点を補うことが出来るでしょうが、
一般的な人だと、わかっちゃいるけど直せないということになります。

するとどうなるかというと、欠点を他人に見せまいとしたり、
自分を押し殺したり、自分自身を責めるようになります。

つまり人間の本来の性質であります自由自在な大らかな心をなくしてしまうのです。
これが実に問題なのです。
自由な心を失うことによって、より根深い問題をその人は自ら抱えることになるためです。
 
また、いろんな教えを聞くことによって、自分だけではなく他の人に対しても裁く心を持つようになります。

あの人はあんな心を持っているからこんな病気になるのだとか、
あんなことをしているから、こんな不幸なめに遭うのだというように、
相手を責めてしまうようになるのです。これも問題ですよね。

『それなら信心しない方がええやん』と思う方も
おられるでしょう。でも、人間は信心してもしなくても、
やはり自分を責め、相手を責めてしまうものです。

問題は、教えの聞き方にあるのではないでしょうか。

教えというのは本来、自分を裁くためでも人を責めるためにあるのでもなく、
人間のあるべき姿のひながた、実践目標のようなものなのです。

本来人間は不完全で未完成なのですから、欠点も足りないところもあって当然です。

そして、その原因はどこにあるのかというと「愛」が足りないからなのです。

教えというのは、その足りない「愛」や「許し」を学ぶためのもの。

学んだからすぐに愛に満たされる訳ではありません。だから修行が大切なのですね。
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