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和賀心

『おかげは和賀心にあり。
和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』

「和」とは、二つのものが一緒になることですが、その「和」の精神が表された形が円です。
車輪が四角だったら、車は前進しません。丸いから前進できるのです。

人においても同じことで、自分の心を円にしてはじめて、この人生を生き生きと生きていけるようになるのです。 
また、心がそのように丸くなっている状態を、「幸せ」とも呼びます。
「円満」という言葉があるように、満ち足りていて不足がない状態を言うのですね。

それに対して「不幸せ」とは、何かしら不足があるために心の円に穴が空いていて、
半月になったり三日月になったり、人によっては、かじられ尽した林檎のようになっていたりします。 
では、そのように心の円に穴を空けている不足の正体とは何かと言いますと、
それは「自分の期待通りにならない」という思い。これに尽きます。

不幸せな人というのは、何かしら不足を言われるものですが、
それらはすべて、自分の期待通りに人、モノ、お金が動いてくれないというものなのです。 
しかし、そのような自分の不足というものを一体誰が埋めてくれると言うのでしょうか。
結局は、自分でしかその穴は埋められないのです。

幸せになろうとしながら、人を当てにしては不足を言って、幸せになれない心の在り方になってしまっている。
これが「迷い」なのです。

そうではなく、
「人から何かしてもらおうと思わなくても、この自分自身の中に限りのないお恵みを頂いているのだ。
私の中から、どんなことでもしようという心が出てくれば、何だって出来る。
無限に良いものを私は授かっているのだ!」

このことに気付かせて頂くことが信心であり、
そこに至ってはじめて、自分の不足というものが無くなります。
穴が埋まって円満となり、幸せになれるのです。
心を丸く、円にすることをいつも心掛けていきましょう。

人間の真

作家で詩人の高見順さんの晩年の話です。
食道がんのために病床に横たわっていた時、ふと窓の外を見ると、
激しい風雨のなかを少年が新聞を配達している姿が見えた。
その姿に胸を揺さぶられ、次の詩を書かれたそうです。

なにかをおれも配達しているつもりで
今日まで生きてきたのだが
人びとの心になにかを配達するのが
おれの仕事なのだが
この少年のようにひたむきに
おれはなにを配達しているだろうか

 
ひたむきな新聞配達の少年の姿が晩年の作家魂に火を灯したのです。
私たちの心に火をつけ、生きる力を与えるもの。
それは、決して見た目や才能ではありません。
よいことでも、わるいことでも、人間が重大なことにぶつかって、
その人の本気が出ている時というのは、人を惹きつける力がある。
そこに人間の真(まこと)、本体が現れ出ているからです。

毎日を本気で生きていこうとするならば、感謝を中心に置かなくては続きません。
人間にとって感謝にまさる生き甲斐はないのです。
地位があっても、金持ちであっても、感謝できなければ決して幸福とはいえません。
今日一日、自らに与えられた仕事を精一杯に喜んでさせて頂けるかどうか。
後で振り返って、今日一日よかったなぁと生き甲斐を感じ、幸せを思うかどうかが一番肝心なことであります。

火は自身が暖かいばかりでなく、周囲のものまで暖かくします。
自身が明るいとともに、周囲のものまで明るくするのです。
人も同様に、自身が感謝で本気の毎日を送るなら、
その周囲にもそのような人や出来事が増えていくことになる。
それが道にかなうということです。

道で仏に逢えば

太陽の塔などの作品で知られる岡本太郎さんが、
ある講演会でお話された際、臨済禅師の「道で仏に逢えば、仏を殺せ」という教えについて、
参加者に対し、このように問いかけました。

「道で仏に逢えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、
京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。
逢えると思う人は手を上げてください。」

誰も手を上げません。岡本さんは続けます。

「逢いっこない。逢えるはずはないんです。では、何に逢うと思いますか?」

誰からも返事はありません。そこで岡本さんは言いました。

「出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら己を殺せ。」

たいへん考えさせられるお話であります。
己を殺す、というのは本当に殺す、死ぬという意味ではなく、
自分と仏、自分と他人という対立した見方、考え方を無くすという意味ではないかと思うのです

自分も無ければ、他人も無い。
仏、神というのも自分と離れて存在しているのではない。
この自分というものは、自分だけの自分ではなく、
全体の一部として自分があるということに気付くことが大切です。
そこに至ってはじめて、これまでの悩みや問題の一切が無くなるのです。

自分とすべての物とを別に見、対立させて考えているというところが変わらぬ以上、
他に対する是非善悪の批判を無くすことは出来ません。

自分を生かす無数の働きに目を向け、耳を傾けることが出来れば、
もちつもたれつ、「お陰様」の本当の姿が見えてきます。
夏の暑い太陽の直射も、大樹の茂る枝葉が涼しい陰をつくってくれます。
その働きを、恩恵として受けとめて、「お陰様」となるのです。

自分が気付こうと気付かまいと、自分を生かそうとする働きがこの天地の中に満ちわたっていて、
その中に生かされて生きている自分であることを知ることが肝要なのです。

わが心でわが身を生かす

『わが心でわが身を生かすこともあり 殺すこともあり』

ロビンソン・クルーソーは、アフリカへの渡航中に船が難破し、
無人島に唯一人打ち上げられて生き残ります。

しかし、生き残ったことを喜んだのも束の間、
助けを呼ぶことも、島から脱出する術もなく、これからどうしたらよいのかと悩み始めるのです。

 「このままでは、精神的にダメになってしまう…」そんな自分を慰めるために、
ある方法によって心を感謝の気持ちに変えることに成功します。

その方法とは、自分が経験したこと一つひとつについて、
「不幸せ」と「幸せ」な点をそれぞれ書きだし、対比してみるというものです。

持ち物についてならば、「着る服が無い」という不幸せに対し、
「服があっても、着られないほど暑い場所にいる」という幸せがある。
境遇についてならば、「脱出する望みは限りなく小さい」という不幸せに対し、
「他の乗組員たちのように溺れ死なずに生きている」という幸せがある。

このように対比していくと、最終的な差引勘定では幸せの方が大きいという結論になり、
そのことを神様に感謝するのでした。

さて、皆様も過去の出来事に対して、「不幸せ」と「幸せ」な点をそれぞれ書き出してみて下さい。
「不幸せ」が大きい出来事ほど、「幸せ」もまた大きいことに気が付くはずです。

実際に書いてみることによって、「不幸せ」な出来事ほど、
今の自分にとって、なくてはならない出来事であったことが明確になるのです。

物事には、どんなことでも良い面と悪い面とがあるものですが、
結局のところは、受け取る者の心次第なのです。 
良いも悪いもないのであれば、「すべて恵まれてのことなのだから」と、
神様から頂いた「ご縁」として有難く受け取る心を育てていきましょう。
有難く受け取ったその第一歩が、本当の幸せへと通じているのです。
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