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神心を知る

ここに大変仲の悪い二人が居たとしましょう。
二人とも心の底では、お互いに仲良くしたいと願っているのですが、
その方法については、自分に近いように、自分の好きなように、
相手に変わって欲しいと願っています。

しかし、二人の人間が同じ考え方、価値観になることは
実際には大変難しいことであり、ここに人心の限界があるのです。

では、二人が永久に仲良くなることが出来ないのかと言えば、
そんなことはありません。

共に助かる道が必ずあるのです。

そのためには、二人を包み込み、
そのままの考え方、価値観を受け入れ、愛してくれる力が分かれば、
相手をそのままに許すことが出来るようになる。
それが神心を知るということです。

もし仮に片方の考え方、価値観を無理矢理もう片方と同じようにしたところで、
本当に二人の仲が良くなるかと言えば、それは決して長続きしないものです。
じきに必ず壊れます。
何故なら、それがそもそも無理な解決法だからです。

例えば私が妻と本当の夫婦になろうとするならば、
妻には誰よりも彼女本来の生き方をしてもらわなければならないと思うのです。

私の勝手な好みや考えで押さえつけ、
妻本来の生き方が出来ないようにしてしまって、
どうして妻との間に愛を成立することが出来るでしょうか。

彼女がしっかりとした独立した人格として生き切ってくれてこそ、
そしてこちらも一個の男として生き切ってこそ、
二人の間に愛というものが成り立つのです。

本当の仲というのは、夫婦であれ友人であれ、
相手を生かし、自分を生かし、生きる上で一つになることです。
相手を変えよう、従わせようとするのではなく、
そのままを受け入れ、許すところに人間が助かる道があるのです。

お互いの長所短所も、見え方が違うだけでお互いが持っているものなのです。
それをそのまま愛して下さる、許して下さる神様がおられる。
自分も有り難いが、相手も有り難いものだという心持ちになれば、
決して無理が無く、相手と一つになることが出来るでしょう。

神徳の残高

『神を信じる者は多いが、
神から信じられる者は少ない』

スティーブン・コヴィー博士は、『7つの習慣』の中で“信頼残高”という言葉を紹介しています。
銀行口座にお金の預け入れを重ねていけば残高はプラスになり、引き出しをすればマイナスになるように、
人間関係にも信頼口座というものが存在すると博士は言います。

礼儀正しい行動、親切、正直、約束を守るなどの行動をすれば
信頼口座への預け入れ(プラス)となり、
逆に自分勝手な行動や振る舞いをすれば引き出し(マイナス)となります。

相手との信頼残高が高ければ、こちらの多少の失言や失敗も許してくれ、
こちらの気持ちをしっかりと汲み取ってもくれる。
辛い時や悲しい時には傍にいて、優しく慰めてくれるでしょう。

逆に残高が無ければ終始相手の顔色を伺いながら、言葉を選んで話をしなければならなくなる。
陰口を言われることもあるでしょう。

自分の周囲の人々との信頼残高がどれだけあるかが非常に大切になるということですね。
普段から周囲の人々との信頼口座に継続的な預け入れをするよう心掛けねばなりません。

日本でも同様の働きを表す言葉に「徳」というものがありますが、
「徳」の中でも「神徳」という徳ほど心強いものはありません。
信心というのも、言わば普段から神様との信頼口座に預け入れをさせて頂くことであり、
それが幸福になる秘訣なのです。

普段から「神様を信じている」と言っていても、
ただ神様にお願いしていることにとどまって、
神様に願っておけばやがては神様からプレゼントが届くことを
心待ちにしているのがほとんどではないでしょうか。

自分が神様を使うのではなく、神様に自分が使って頂くことが大切であり、
そこではじめて神様との信頼残高への預け入れとなるのです。

人を助ける神様の御用をさせて頂くと心に決めて、
自分の手足を通して、自分の生活を通して、
神様の生きておられる働きをさせて頂くことが、
幸せな人生を約束してくれるのです。

生きるということ

『日に日に生きるが信心なり』

「自分には、取り立てて心配な事は無い」と言われる方がおられますが、
どんな人でも突き詰めて考えてみた時に、
「これでもう安心だ」
と言い切れるものなど、実は何一つありません。

健康のこと、経済のこと、人間関係のこと、家族のこと。

どれ一つをとってみても、
これでもう心配はいらないと保証し得るものなど何も無いのです。

「何も言うことが無い」ということも、
言ってしまえば、今はたまたま異常な事態に出逢っていないというだけのことであって、
一度異常な事態が起きてくれば、
その苦しみを背負って生きていかねばなりません。

元来、人間は、わが身がわが自由になるものでないのです。

だからこそ、今日の命を有り難く、
日に日に感謝して生きていくことが大切なのですね。

一日一日、日は経つ。夜が明けて日が暮れる。
毎日が同じことの繰り返しのように思われるのですが、決して同じではない。
この「同じではない」ということが大切なことなのです。

しかし、仕事でも交際でも慣れてきますと、
一番大切な「同じではない」という思いが抜け落ちるのです。
一日一日、その時その時が新たなのだ。
決して当たり前ではない今この時を、
神様のおかげの中で生かされて生きているのだ。
その思いが抜け落ちてしまっては台無しなのですね。

一番大切なことは、その今日一日の生き方がどうなっているかということ。
出掛けて家に帰る時にも、今朝出た時よりも、帰るときにはもっとよい私になって帰ろう。
そのような気持ちで一日を過ごさせていただく。

ですから、「ただいま」と言うことでも、今までに何千、何万回と言った言葉かも知れませんが、
これまでに言ったことのない「ただいま」を心掛けていく。

そうすることで、一日一日の生活全体が、だんだんとよくなっていく。有り難くなっていく。
 「生きる」という字は「生む」とも読みます。
日に日に感謝の心で喜びを生んでいく生き方こそ、
我々が求めているものなのではないでしょうか。

人生の休憩所

人生はしばしば登山に喩えられますが、実際に山登りをさせて頂きますと、
ただひたすら登り続けるというものではないことに気付かされます。

どのような山を登らせて頂いても、ある程度登ったところで必ず平らな場所が用意されている。
おそらくそれは、山を登った先人たちが、後から登る者たちの為に、
ちょうど良い距離、ちょうど良い場所に「休憩所」として準備して下さったものなのでしょう。

人生で言えば、成功を求めて一生懸命に頑張っている時とは、まさに山に登っている最中なのです。
しかし時に様々な理由から登れない時がある。山でいう平らな場所に出逢うのです。

人によってはその平らな場所のことを、挫折とか失敗だとか言ったりするのですが、
決してそうではありません。
それは神様が準備して下さった、言わば「休憩所」なのですね。

休憩所の休憩所たる値打ちは、そこでこれまで進んで来たことを整理して、
そこから更に次に進んでいくための用意をするところにあります。

今より高い場所に登るために必要だからこそ、
神様がわざわざその休憩所を準備して下さっているのです。
ここでしっかりと今までのことを省みて、感謝させて頂かなくてはもったいない。

ここまで登ってくるためにどれだけの人が力を貸してくれたか、助けてくれたか。
目には見えぬ働きにどれだけ自分が助けられてきたか。
そのように、自分自身に問うてみてはいかがでしょうか。

自分と他者、自分と自然との関わり合いを見つめ直すことで開けてくる人生があります。
自分を生かす無数の働きに目を向け、耳を傾けることで、もちつもたれつ、
「お陰様」の本当の姿が見えてくるのです。

夏の暑い太陽の直射も、大樹の茂る枝葉が涼しい陰をつくってくれます。
その働きを、恩恵として受けとめて、「お陰様」となるのです。

山を登ることに必死になっていた時には見えなかったもの、聞こえなかったもの。
そこに気付かせて頂く、再確認させて頂くところに人生の休憩所としての値打ちがあるのです。
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