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器量

 『何事も、承服いたせば安心なり』

茶道を大成させた千利休(せんのりきゅう)の孫の

宗旦(そうたん)にこのようなエピソードがあります。


ある日、宗旦と親交のある和尚さまが、

寺の庭に咲いた「妙蓮寺」という銘のある椿の一枝を小僧に持たせて、宗旦のもとへ届けさせました。

しかし、椿の花はもろく落ちやすいものでありますから、

気をつけていたものの、途中で花を落としてしまい、

小僧は宗旦にこのことを、自分のそそうでありますと深く詫びました。


すると宗旦は、怒るどころか、この小僧を茶席に招き入れ、

銘入りの竹の花入に小僧の持ってきた花の無い椿の枝を入れ、

花入の下に落ちた花を置きました。

そして一言、「ご苦労様でした」とニッコリ笑って、小僧の労をいたわって帰したということです。


さすが茶の道を極めた方は違いますね。

花を落とした小僧を許し、落ちた椿をも「落下の風情」としてそこに美しさを見出す。

なんと器量の大きい、ユーモアと人情味にあふれた態度でしょうか。


よく、「あの人は器が大きいから、人の上に立てる」とか

「あの人は仕事は出来ても器が小さいからダメだ」という言葉を耳にしますよね。

信心が篤くなるということは、まさに心の器が大きくすることに他なりません。

自分の好き嫌いで物事を受けとめようとしないで、

起きてくることは全て神様の差し向け、そこに自分にかけられた願いを受け取ろうとするから、

自然と心が大きくなり、「それもまたよし」と思えるようになってきます。

普段、「こうでなければならない」と決めつけていることが、

どれだけ自分や人の心を縛り、自由を奪っていることやら分かりません。

しかし、そもそも「こうでなければならない」ことなんて、実は何一つ無いはずなのです。

「それもまたよし」と承服する心を身に付けましょう。

そうした心の余裕は、必ずわが身に徳を授け、人間の器を大きいものにしてくれるのですから。

負けて時節に任す

 『打ち向かう者には負けて、時節に任せよ』

広田弘毅(ひろた こうき)は、

内閣総理大臣を務めた近代のすぐれた政治家として有名な人物です。

彼は若い時から優秀な外交官として認められ、昇進も早かったのですが、

四十八歳のとき、当時の外務大臣によって、外務省欧米局長の要職からオランダ公使の閑職に左遷されます。


左遷の知らせを聞いた友人たちは驚き、

彼を慰めたり、励ましたりしましたが、当の本人である彼自身はきわめて平然としており、

逆に友人たちの激情をなだめ、気さくに俳句を吟じます。

「風車(かざぐるま) 風が吹くまで 昼寝かな」 

風車は風が吹かないと回らないものですが、彼は自分の境遇をそんな風車になぞらえて、

機会という風が吹くまで、昼寝でもするかのごとくゆっくり待とうじゃないかと言ったのです。


彼の凄さは、政治的手腕もさることながら、このような逆境に対する心の持ち方にあったと言えるでしょう。

そうして、オランダ公使4年の間に力を蓄え、やがて外務大臣、内閣総理大臣へと出世していくこととなるのです。

さて、何かできる時には、そのことを精一杯させて頂けばよいですが、

どうにも出来ない時には何もしないで機が熟するのを待つ、風が吹くまで待つことが、一つの大切な仕事ともなります。


そこで時節に任せるとは、ただ時間が経つのを待てばよいというわけではありません。

人と争ってでも自分を保とうとする、自分勝手な考えや仕方をやめてしまって、

昼寝でもするかのごとく、成り行きに任せることが大事なのです。

すべての物事には、やがては調和へと向かう働きが自然に備わっています。

時節に任せるとは、その調和に向かう働きを自ら乱さないことであって、

自分の体力や思考力を充実させるために恵まれた時間として、有り難く休ませて頂けばよいのです。

またそのような心の余裕が、逆境を強みに変える手助けとなるのです。

天命

『神を信じる者は多いが、神に信じられる者は少ない』


孔子(こうし)の言葉にこのようにあります。

 「吾れ十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。」

さて、多くの方がこの「天命を知る」、

天によって定められた自分の運命を知る境地を目指され、日々修養されているかと思いますが、

それは具体的には一体どのような境地、生き方なのでしょうか。

孔子や論語と聞くと、人間の道徳に関する教えであるかのように一般的には言われますが、

「天命」というからには、そこに天、神、仏というものがしっかりとある。

教えを学んでいくと、そこに宗教というものがあるということが分かってまいります。

と言っても、宗教という言葉も実は最近出来たものであって、

孔子が生きた時代には、今のように「宗教」と「道徳」とは切り離して論じられるべきものではなく、

二つを合わせて「道」としていました。

実際に孔子自身も、十五歳から四十代までは学者的な生き方をされ、

人から様々な話を聞き、万巻の書を読んで、知識に基づいて「四十にして迷わず」の域に達せられました。

しかし、五十代になり道というものの本質に近づいて行くにつれ、

人や書を越えた、天との関わり合いの中での人間の生き方というものを求めていかれるようになったのです。

「信じられる」ようになるということは、相手に自分の願い通り動いてもらうのではなく、

むしろこちらが相手の願い通り動こうとすることです。


それには、起きてくる出来事を全て「与えられた」ものとし、

人であれ、仕事であれ、目の前のことすべてに、

人間として出来る限りの誠実さでもって当たることしかありません。

「天命を知る」というのも、自分の特別な才能、能力に気付くということではなく、

自分に与えられたものを全て天の恵みとして受け取り用いていく中に、

自分というものが活きてくるということを知ることなのです。

発言の法則

『おかげ(幸せ)はたらいの水である。

 向こうへやろうとすれば、こちらへ来る。

 こちらへ取ろうとすれば、向こうへ行く。』

ネイティブ・アメリカンの話し合いの場では、「発言棒」と呼ばれる、

木で作られた巨大な棒が重要な役割を果たしていたそうです。

発言棒の使用のルールは極めて簡単で、

話し合いの場ではこの発言棒を握っている者だけが発言することを許され、

発言棒を握っている限りは、理解されたと納得できるまで一人で話すことが出来、

他者は異論を唱えることはおろか賛成することすら出来ません。

彼らに許される唯一の行為は、発言者が理解されたと思えるように、

発言者の主張を正しく繰り返し、確認することだけなのです。

そうして、発言者は皆に自分の主張を理解してもらえたと思えたら、

次の人に発言棒を手渡して、自分の時と同じように、発言者の声にただ耳を傾ける、というのがルールなのです。


一見、そんな悠長なことをしていては話し合いが前に進まないじゃないかと思うのですが、

実際にはその真逆で、発言棒を使った方が、口論が少なくなり、良い解決策が次々と生まれるのだそうです。

さて、このネイティブ・アメリカンの智慧から学ぶべきこととは一体何か。

それは、人間の根本に、「自分を理解してもらいたい」という切なる願いがあるということ。

この願いがあるために、人は誰しも自分の話を聞いてもらいたいものですし、

自分の話を聞いてくれる人のことを好きになるのです。 

そして、この願いが満たされて初めて人は、相手のことを理解したいと思えるようになる。

だからこそ、まずはこちらが相手の話を聞く必要があるのです。 

この法則はあらゆる物事に通じます。

人に自分の話を聞いてもらいたいと願うのならば、まず自分が人の話を聞くことに専念してみる。

まず発言棒を相手に握らせてあげて、相手の主張を正しく理解することに徹することが、

自分のもとに発言棒が回って来る唯一の方法なのです。

意識のテーマを変える

『自分のことは次にして、人の助かることを先にお願いせよ。

 そうすると、自分のことは神がよいようにしてくださる。』

オーストリア出身の精神科医、アドラー博士は、非常に有能な学者であるとともに、

実際に何千人もの精神病患者を救った人物であります。

博士には、自称「二週間治療プラン」というものがありました。

それは、もし患者が自分の指示通り実行するなら、

どんな精神病でも、たった二週間で治してみせる、というものでした。

ある日、ひどい鬱の女性が博士に診てもらいに来ました。

博士は彼女に

「私のアドバイスに従ってくだされば、ほんの二週間であなたの鬱を治してみせますよ」と言いました。

彼女は、あまり気乗りのしない感じで、

「私に、どうしろって言うんですか?」と尋ねました。

すると博士は、

「二週間、毎日ひとつずつ、だれか他の人のためになることをしてごらんなさい。

 そうすれば、二週間後には鬱は全快していますよ」と答えました。

彼女が難しそうな顔を見せると、

博士はにっこり笑って、

「他の人のために何かをしてあげようとは思えないのなら、

 もしするとしたら自分にできることは何だろうと、考えるだけでも考えてごらんない。」

二週間後、彼女は見事に鬱を克服したそうです。

人間、苦しいときには自分の助かりを願うのは当たり前ですが、

自分のことというのは、願いやすいように思えて、実はたいへん難しい。

願いながらも、どうしても心配や不安に駆られやすいのです。

この時に、「自分についての心配」というものを、

「他人についての喜び」というものに、意識のテーマを変えてみましょう。

心配や不安など、自分のことはすべて神様にお任せしてしまって、

人の助かり、喜びにテーマを変えてみましょう。

もっと楽に生きられる筈ですよ。
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