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不機嫌にならないこと

『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、

 おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、

 神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。

 小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。

 影は形にそうと決まったものじゃ。』


ドイツの文豪ゲーテは、「人間の最大の罪は、不機嫌である」と残しています。

物を盗むことであるとか、人を殺すことではなく、不機嫌を振りまいて歩くこと。

その人が接する全ての人に悪影響を及ぼす、不機嫌こそが

最大の罪であるということです。


例えば天気一つで機嫌を悪くされる方もおられる。

天気が良ければ機嫌が良いが、天気が悪ければ機嫌も悪い。

ゲーテに言わせれば、このような人は大変罪深い人ということになりますが、

さて、皆さまはいかがでしょうか?


信心させていただくというのは、

それは例えて言うならば、自らの心に天気を持つということです。

雨が降ろうが陽が照ろうが関係なく、いつも心が晴れ渡っている。

周りの環境がどうであろうとも、自分自身に有り難い心が定まっていて、

その有り難い心を持って人に親切にし、

物事にあたっては実意丁寧な生き方ができるようになることを願い、

実践することを「信心させていただく」と言うのですね。


では、信心させていただけば何が変わるのかと言えば、

それは現在いる環境が変わるのです。

私たちの現在いる環境とは、今の自分にとっての最適な場所であり、最善の学びの場です。

ただし、私たちが今いる環境で必要なことを学び、そして成長し、

自分の心が変わったならば、次の新しい環境が目の前に現れることになる。


大半の人が自分の環境が改善されることを願いますが、

自分の心を変えようともなかなか思えない。

しかし、幸せも成功も、私たちの心の影なのです。実体が大きいほど影も大きくなる。

自らの心に天気を持ち、感謝と歓喜によって心が磨かれ成長していく時。

それは、私たちの運命が明るい方向へ展開していくときに他ならないのです。

家庭は心行の場

『信心は家内に不和の無きが元なり』

人間の愛情というのは、長く保っても3年と言われますよね。

結婚してから20年、30年経っても仲の良い夫婦というのは、

愛情は無いとは言いませんが(笑)、

愛情以外の結び付きをしっかりと築き上げることが出来たからこそ、それだけ仲が良いのです。


愛情以外の結び付きとは、「尊敬」や「理解」、「共感」といった心情です。

愛情を永遠のものだと勘違いして、それにずっと寄りかかっていると、結婚生活は破綻しやすいようです。

ですから、「愛情だけでは保っても3年」ということを心に置いて、

相手を尊敬できるように、理解、共感できるように、お互いに努めなくてはなりません。


他人から言われたときは、怒らないで踏み止まることができるのに、

同じ言葉を夫・妻から言われると、すぐに腹が立つ。

そんな覚えはないでしょうか。


外では踏み止まれるのに、家では踏み止められない。

それは自分の心が未熟だからなのです。

それに尽きる。


自分の人生は、自分の魂が書いたシナリオ通りに進んでいきます。

自分の魂の成長のために、最良、最高、最適なシナリオを神様とご相談のうえ決めて、

この世に生まれてきたのです。

結婚することも、誰と結婚するかも、自分が生まれる前に決めているわけです。


何故結婚する人生を選んだのか。

それは、結婚を通して人間として成長するためなのですね。


ですから、家庭というものは、

自分の思いを通す場所でも、甘える場所でも、ストレスを発散する場所でもないのです。

家庭は、「自分の未熟な心を成長させる場所」。心行の場なのです。


結婚をして、お互いにわがままが言い合える状態になったとき、

いかに踏みとどまって相手を受け入れることができるか。

それこそが問われているのです。

信心の稽古

『三年五年の信心では、まだ迷いやすい。

十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。』


信心というものを一言で表せば、「有り難い」と思う心持ち。私はそのように頂いております。

仕事をする時には、有り難いという心持ちだけで仕事をさせて頂きたい。

眠る時には、有り難いという心持ちの中で眠らせて頂きたい。

人に対する心持ちでも、相手に対し、有り難くない心、非難する心を持つことは

自分自身が大変辛いことです。

相手のことを、有り難いという心持ちで見ることが出来たならば、

いつも良い言葉と態度で相手に向かうことが出来るでしょう。  


そのように、自分がさせて頂く事柄、出逢う出来事や人々は、

その時その場合で様々でしょうが、いつも自分の心の中心に

「有り難い」という思いがある。それが信心なのだと思うのです。


そのような有り難い心持ちで生活を送って行くことが出来るとしたら、

それこそが私たちにとって一番の幸せに違いありません。

人の「幸せ」というのは、

「今、足りないものを探して、手に入れること」ではなく、

「自分がすでにいただいているもの、恵まれていることに気付き、

嬉しい、楽しい、幸せ…、そのような有難い心持ちで生きていくこと」なのです。


ですから、信心の稽古というのも、

実生活の中でそのような心になれるように実践をすること。


我を張らず、人から頼まれたことを淡々とさせて頂き、

どんな問題に出逢っても、すべてを受け入れ、手を掌わせる。

人に対しては「ありがとう」を口に出して言うこと。

そして、言い訳をせず、愚痴を言わず、弱音を吐かず、責めず、自慢もしないこと。


そのような信心の稽古を進めていけば、不足が出るところが不足が出ない。

腹が立つところが腹が立たない。

わが心で自分の心の内から、有り難い心(信心)が湧き出るようになる。

それには十年かかるかも知れないが、そうなれた暁には、自分の心に手を掌わせ、お祝いせよと。

そのように御教え下さっているのです。

負けて、時節に任せよ

『打ち向かう者には負けて、時節に任せよ。』

少し消極的な教えのように聞こえるかも知れませんが、

「負かされる」ということと、「負ける」ということでは、全く次元が違います。


「負かされる」というのは、相手に勝とうと思って力が及ばずに負けることですが、

「負ける」というのは相手に勝とうと思わないで、自分の方から相手の意に歩み寄ろうとすることですから、

そこに真心がなくては出来ません。

少しでも対抗する心があっては本当に「負ける」ことなど出来はしません。


相手が腹立ちや憎しみを持って来たとき、こちらに信心がない時には、

腹立ちや憎しみの心が起こる。

しかし、こちらに信心があれば、相手が仕向けた腹立ちや憎しみを

心の内で解かしてしまうことが出来るようになるのです。


信者(信心生活者)というのは、信心というものが自分の生活になって、

そのような働きをするようになって来ることであります。


何事にも道があるように、人間関係にも道があります。

道がある以上は、それをしっかり進んでいけば、どんな相手との仲でも、

だんだんとよいものになって行き、どこまでも進めることが出来るに違いありません。


自分の心に、得手勝手なこだわりがあったり、曲がったことがあるから道に行き詰まる。

自分の心を真っ直ぐなところに置いて待って居さえすれば、

必ず皆もそこに基づいて変わって来る。

そこで初めて、夫婦でも親子でも他人でも、互いの心が合って関係が変わって来るのです。


誰かと待ち合わせするのでも、自分が間違った場所にいては、

いつまでたっても相手と会うことは出来ないでしょう。

自分が約束通りの正しい場所で待っているのであれば、

たとえ相手が遅れたとしても、いつかは必ず会えるものです。

相手に正しい処に来て欲しいと願うならば、こちらが正しい処で待つしかないのです。


人間関係の道とは、ただ自分が先に道に合うて、

気長に時節を待つよりほかはない。

それが人と「合う」秘訣なのです。
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