FC2ブログ

心配は神に預けよ

『心配は体に毒、神様にご無礼である。

心配する心を神様に預けて、信心する心になるがよい。』


一休禅師は八十七歳という当時としては非常に高齢で亡くなられましたが、

その亡くなる直前に弟子たちに、

「この先、本当に困ることがあったら、これを開けなさい」

と一通の封書を残されたそうです。

数年後、寺に大変な問題が持ち上り、どうしようもないので、

弟子たちは集まって、その封書を開いてみると、


なんとそこには、

『心配するな 大丈夫 なんとかなる』

とだけ書かれていました。


とたんに弟子たち一同、大笑いの内に落ちつきと明るさを取戻し、

難しい問題を解決できた、という話です。

本当の話かどうかはさておき、一休禅師らしいユーモアたっぷりのお話であります。


人生には色々なことが起こります。嬉しいことも、辛いことも。

しかし、そのすべてが神様からのお差し向け、言わばプレゼントなのです。

途中で何があっても、後から振り返ってみると、

それは、それでよかったこと。いのちの糧となっていくのです。

何かできる時には、そのことを精一杯させて頂けばよいですが、

どうにもならないことを自分の力でどうにかしようと思うと、

解決がつかず、ますます苦しくなっていくものです。

ですから、どうにもならないことはまな板の上の鯉のように自分を神様にすべて投げ出し、お任せする。

心配する心は神様に預けてしまいなさい、と教えているのです


そのように神様に任せきり、凝り固まった考えから放れることができれば、

物事は自然と好転していくものです。

心配するな、大丈夫、なんとかなる。このことを忘れてはなりません。

徳がつくほど、かがんで通れ

『人間は、財産ができたり、先生と言われるようになると、

頭を下げることを忘れる。

信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。』


人間の性(さが)とは悲しいもので、

金を持たない者が多少の金を持つようになると、金を持たぬ者を見下す心持ちになる。

大きな会社に勤めれば、小さな店を侮って見るようになる。

役職に就けば、今まで同輩であった者に対して、尊大な態度で接するようになる。

人間の自己顕示欲が、競争社会の中で勝ち得た優越感から、醜い相として現れるのですね。


自信を持つことは大切なことですが、

「自信と慢心とは紙一重」であることを忘れてはなりません。


幸せや成功があるのは決して自分の力からではありません。

もともと何の力も無い自分が、この天地に生かされて、

役割のうえで、今たまたま人の上に立って働かせて頂いているのであります。

自分の力でここまで来た、などと思うのは途方もない勘違いであり、慢心なのです。

何事も「させて頂きます」という謙虚な心が無くてはなりません。


歌舞伎役者の六代目 尾上菊五郎の辞世の句に、

『まだ足りぬ 踊り踊りて あの世まで』

とあります。

学べば学ぶほど自分の未熟さを知ることが大切です。そこで自然と謙虚になれるのです。


未熟者ゆえに、人一倍努力しようとする。

未熟者ゆえに、どんな人でも尊敬できる。

未熟者ゆえに、他人を責めようとしない。

未熟者ゆえに、人から注意されても怒らずに素直に受け止め、改まろうとすることが出来る。


この未熟者である、という自覚なくしては、人はすぐに傲慢になってしまい、

人間としての成長が止まってしまうのです。

人間、どこまでいっても未熟者です。

気付かぬところで、どれだけの人の世話になっていることか。

一人ひとりに直接御礼をすることが出来ないからこそ、

神様を通して御礼をさせて頂くのです。

生き方

『人からどのように憶えられたいかね?』

ビジネス界にもっとも影響力をもつ思想家の一人として知られるピーター・ドラッカーは、

十三歳の時に恩師から言われたこの問い掛けを、生涯大切にされたそうです。

この人生は何を手に入れたかで決まるのではなく、

他人とどのように関わったか。

その生き方、在り方で決まることを教えてくれる問い掛けだと思います。


高きに登りたいというのは人間の性なのでしょう。

子供は椅子や机の上で万歳をする。

大人になれば、山の絶頂から御来迎を拝む。

では、それで満足するかと言えば、決してそうではありません。



高きに登る道中で、人間が満足出来るのは一瞬だけのことであり、

すぐに「もっと髙くへ」という欲望に駆り立てられる。

富士山に登った者は、次はもっと高い山を目指す。

もっと高い山を登ったならば、次は月や火星を目指すのです。

かくして高きに登りたいという人間の切なる願いというのは、必ず中途半端に終わります。


金や地位を目的とするのも同じことで、

それはどこまで追って行っても上には上があって、

ついに最後の満足は得られることなく、人生は空虚な夢想に引きずられていくに過ぎません。


千の富に安心出来ない者は万の富にも安心することは出来ず、

一つの名では満足出来ない者は、二つの名でも満足することは出来ません。


安心出来るかどうか、満足出来るかどうか、

それは富や名声の大小にあるのではなく、心構えにあります。

名声や地位やお金というのは、目的としてハッキリしているようで

実は大変ぼんやりしており、アテにならないものなのです。


そこで、本当の目的について考える必要があります。

そもそも山へ登るのは、頂上に達するのみが目的ではありません。

むしろ途中の景色を観賞するところにこそ、本当の楽しみがあるのです。

行く道々にあって如何に喜び楽しみ、道中出逢う人々と

如何に仲良く楽しい時間を過ごせたかというところに、

本当の目的があるのです。

改めて、生き方について考えてみなくてはなりません。

鏡に映る自分を見よ

『天地の神のおかげで生かしてもらっている者は、

合わせ鏡の間に置いてもらっているようなものである。

悪いことも善いことも、みな鏡に現れるように神様はご承知である。』



合わせ鏡に映るのは、常に自分自身です。

自分の心が人生に現れる。

言い替えれば、人生で起きていることを見れば、

自分自身の心も知ることが出来るという教えです。


鏡に映った自分を変えようとして、いくら鏡に手を伸ばしたところで、

そこには実体がありませんね。

鏡に映る自分自身を変えてはじめて、鏡に映る光景が変わっていくのです。


人の姿が見えていても、自分の姿が見えていなければ、

半分しか物事が見えていないのです。

不完全な見方ですから、自分の悪さが見えないのですね。


自分を見ることが足りない間は、

すべて人のせいにして、不足をそこに持っていってしまいます。


よく、「これだけ自分は努力しているのに、相手は少しも良くなってくれない」という声を耳にします。

そのお気持ちは分かりますが、そのように嘆くだけでは道は開かれません。


合わせ鏡である周囲の人々の中に善なり悪なりが見えるということは、

自分自身の中にも、その相手と同じ善なり悪なりが在るということです。 

自分の心を見せられていることに気付いてはじめて、

相手ばかりを責めるわけにはいかなくなります。  


そもそも、不平とか不足とかいうものが起こるというのは、

心のどこかに「自分だけが正しい」という思い違いがあるのです。

それが、自分自身が見えることで、他の人が悪いところを出してきても、

それが我が内にもあることを知っているので、簡単には責められなくなる、蔑めなくなる。

そこから、相手の悪いところも許せるようになり、また善いところもよく見えてくるようになります。


相手が善くなってくれることを、こちらが何十年待ったところで、どうなることやら分かりません。 

それよりも、こちらが相手を悪く思ったり、辛く思ったりしないようになれればよい。

つまりは、自分が変われればそれが一番なのです。

育てるとは、信じること

人を育てるとは、相手を信じ、思いやることです。

影響力のある人とは、権威をふりかざして

他人の間違いを非難する人のことでは決してありません。


相手の反感を買いながら、

その人を変えることなど絶対に出来はしない、

ということを私たちは肝に銘じなくてはならないのです。


誰しもが励ましの言葉を望んでいる。

自分の存在意義を認めて欲しいと切望しているのです。


ですから、他の人間が自分のことを本当に愛してくれていると信じ切れた時、

はじめて人は心の底から落ち着くことが出来、

自分の持ち味を発揮することが出来、成長することが出来るのです。


親と子の関係とは、言わばその代表例と言ってもよいでしょう。

親と子の間柄の良いところは、親が子を無条件に許すところにあります。


親は子どもの事を子ども自身が知っているよりもよく知っており、

子どもの欠点短所をもよく知っていて、

その上で可愛がることが出来る。また欠点短所を許すことが出来る。


子どもからすれば、この

「知っていて可愛がってくれる」、「知っていて許してくれる」、

ここに有り難いところがあり、助かるところがあり、育てられるところがあるのです。


自分の秘密を親ほどよく知っていて、もし可愛がらないということになれば、

これほど恐ろしい敵はいません。油断も何も出来たものではない。

けれども、子どもが親の前では用心せねばという気が少しもしないのは、

自分のありのままを親が愛してくれる、許してくれる、と

子ども自身がよく分かってているからなのです。


その深い親しみは何とも言えぬものですが、

もし名をつけるとすれば、これこそが「信じる」という心持ちでありましょう。


人を信じて励ますこと。

これが出来る人はどこにいても偉大な教育者となれるのです。

人を信じてこそ、相手は誠実に応えてくれる。

優れた人間だと認めてこそ、優れた資質を示してくれるのです。

育てるとは、信じること。このことを忘れてはなりません。
ランキングに参加しております!
いつもクリック頂き、        誠にありがとうございます。   アヒルちゃんとネコちゃんを     1日1回ポチッとお願いします。

FC2Blog Ranking 人気ブログランキングへ

お越し頂きありがとうございます!
ご連絡はこちらよりどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター