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「感謝」の反対

悪性腫瘍のため右足を切断し、
三十二歳の若さで亡くなられた医師、
井村和清さんの「あたりまえ」という詩をご存じでしょうか。


あたりまえ 

こんなすばらしいことを、

みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる お母さんがいる

手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いてゆける

手をのばせばなんでもとれ

音がきこえて声がでる

こんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない

あたりまえだ、と笑ってすます 

食事がたべられる 

夜になるとちゃんと眠れ、 そして又朝が来る

空気をむねいっぱいにすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる、

走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは

それを失くした人たちだけ

なぜでしょう

あたりまえ


「感謝」という言葉の反対語は「当たり前」である、と言われます。

一日一日、日は経つ。
夜が明けて日が暮れる。
毎日が同じことの繰り返しのように思われるのですが、
決して同じではない。
当たり前ではない。

何事も慣れてきますと、
その一番大切な「当たり前ではない」という思いが抜け落ちる。

一日一日、その時その時が有り難いのだ
という思いが抜け落ちるのです。

それでは台無しであります。

一番大切なことは、一日一日、その瞬間その瞬間を
感謝の気持ちで過ごさせて頂く。
これに尽きます。

朝起きたならば、昨日まで言ったことのない、
よい「おはよう」が言えるような私にならせて頂く。 

毎日の仕事や交際の上に感謝が抜け落ちぬよう、
感謝を現せる自分にならせて頂けるようにと手を掌わせる。

それが、信心させていただくということであり、
道に生きるということなのです。

一寸先は光

よく「一寸先は闇」と言いますが、
同時に「一寸先は光」でもある。
光と闇とは紙一重ですから。

天気を見ても明らかなように、
すべて移り変わっていきます。

苦しい運命も、
やがては必ず好転していくのです。

ところが、すぐそこまで光が来ていることに気づかず、
ずっと不幸が続くと思う人は、
自ら闇を引き込んで
自分から離れないようにしてしまっているようなものです。

「喜べば喜びごとが喜んで、喜び連れて喜びに来る」

発句である「喜べば」というところが特に肝心です。

まず自分が喜ぶ、言い換えれば「感謝する心」が先にあって、
それによって喜びごとが喜び、
お仲間さん達を引き連れて、自分のもとへやって来るというわけです。

私たちの「感謝」というのは、
結果が良い時に感謝するのであって、
結果が悪ければ感謝しない、というのが通例であります。

しかし本当は感謝することが先にある。

「感謝する心」が先にあって、
結果として感謝したくなるような出来事が起きてくるのです。

この順番は大切ですね。
出来事の前に自分の心があるのです。

ですから、まず自分が感謝すること。
感謝する稽古をさせていただくことが大切なのです。

現実を変えることが出来なくても、
悩みに対する心の持ち方を変えることはできます。

過去の出来事を捨て去ることはできなくても、
とらえ直すことはできます。

「すべて恵まれてのことなのだから」と、
神様から頂いた「ご縁」として有難く受け取る心を育てていきましょう。

そうすれば、どのような境遇に置かれても、
人は幸せになれます。

幸せとは、今この瞬間、
周囲の人や出来事に対して感謝できている心の状態を言います。

境遇は変えられなくても、
生き方を変えることで人生の見え方が変わるのです。

有難く受け取ったその第一歩が、
運命を大きく好転させていく。
幸せな人生へと通じているのです。

「今、この時」を喜ぶ

『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』

昨日を忘れるということは、過去を捨てることではありません。

過去は既成の事実ですから捨てられませんが、とらえ直すことはできます。

過去にマイナス思考で受けとめていたものを、プラスに見直させて頂くことが大切です。

私たちが生きていく上で一番大事なこと。

それは、「今、この時」を喜び、感謝して生きるということ。これに尽きます。

考えてもみて下さい。

私たちが幸せを感じたり、不幸せを感じたりするのは、いつでしょうか?

それは、昨日でもなく明日でもなく、今しかない。

幸せも不幸せも「今、この時」以外のどこにもないのです。

人生を創るのはまさに、「今、この時」なのです。

何故人が心配や不安に苦しめられるのかと申しますと、
それは、今この時を生きていないからと言えるでしょう。

今この時を生きずに、過去や将来の事ばかりに目を向けているから
どんどん苦しくなっていくのです。

天気でも、明日は晴れるか、晴れないかといくら心配してみたところで、
実際には明日になってみないと分からないのです。

分からないことを土台にしてあれやこれやと考えることが心配・不安であるのに対し、
今この時、目の前にあるものへのお礼を土台に生活を進めていくことが信心であります。

朝、目が覚めたら、今日も生命を頂いたことにお礼を申し、
布団にお礼申し、洋服に「お世話になります」とお願いする。

食事は食材を与えて下さった神様と
食品の加工や調理に関わったすべての方々にお礼を申し、
食器に「お世話になりました」とお礼を申しながら洗わせて頂く…。

そのようにして一日を過ごして頂くのです。

そのようにお礼を土台とした生き方を進めてまいりますと、
心配が減って有難いものがだんだんと増えてまいります。

信心する人は、反省はしても後悔はせず、
「今、この時」を喜ぶと心に決めて、
嬉しく楽しく有り難く、今の一瞬一瞬を生きていくことが大切なのです。

他人に頼らない

『人の心は移り変わりやすいものである。
その、人の心を頼りにするから、腹を立てたり物事を苦にしたりすることになる。
人に向かう心を神様に向けよ。
神様は、氏子の願いは何でも聞き届けてくださる。』


何かしら愚痴や不足を言う時には、

必ずその根底には、他人に頼ろうとする心がある。


頼り合うためにこそ、家族や友人があるのではないかとさえ思われるのですが、

よく考えてみますとそれは間違いなのです。


なぜなら、頼り合うことが本当に頼りになればそれでよいですが、

「頼ろう」とすることと、「頼りになる」こととでは、全く次元が違うのです。


頼りになるというのは、誰かに頼ろうとしない人が本当に頼りになるのであって、

あの人に頼ろう、この人に頼ろうとする人は、頼りになりません。

そして、そういう人は必ず他人を利用しようとする。

そして、自分の思うように相手を利用できなければ、そこで必ず不足が起こり、腹も立つ。

なんとかして自分の思い通りに相手に動いてもらうために策略を講じたり、駆け引きをする。

頼りたいと思う心が変化して、様々な浅ましい姿になるのですね。 

これではいつまで経っても自分自身が助かっていくことは出来ないのです。


「信じる」というのは、相手にこちらの思うように動いてもらおうとするのではなく、

むしろこちらが相手の思うように動きたいと願うこと。それが心を神様に向けるということなのです。


そういう人間同士が一緒に生活をして、

友人となり、夫婦となり、親子となった時に初めて、それが本当に頼りになるのです。


挨拶でも、親切でも、仕事でも、こちらから出来るだけ余分にさせて頂こうとするところに、

人間の本当の幸せがあり、喜びがあるのです。


加えて、そのように他人に頼る度合いを小さくすればするほどに、

より良い人間関係が築けるのです。 

その理由は、自分のために他人が何をしてくれるだろうと期待するのではなく、

他人をあるがままに受け入れられるようになるからなのです。

「結果」は、神様にお任せする

『心配は体に毒、神様にご無礼である。心配する心を神様に預けて、信心する心になるがよい。』


なぜ人がこれほど心配するのかと言いますと、

それは、人には物事の結果が分からないためです。

スポーツの試合でも、進学のための受験でも、

どれだけ人が努力をしたところで、いよいよの結果までは、実際にやってみなければ分からない。


ですから、試合に負けたり、試験に落ちたり、

悪い結果になった場合のことをあれやこれやと考えるのであります。


このように、分からない結果についてあれやこれやと考えることが心配であるのに対し、

現在(いま)手元に有るものへのお礼をさせていただくことを、信心と言います。


受験するときならば、合格か不合格かと言って、

結果が不合格となってしまった時のことについて色々と考える。

そのように心配ばかりして、心や体を壊してしまっては元も子もありませんね。


そうではなく、

「これまでたくさんの人に御世話になって勉強することが出来、健康のおかげを頂いて、

今日こうして、無事に試験を受けさせて頂きます。ありがとうございます。」

と御礼をさせていただく。


そのように御礼をしたならば、結果については

神様にお任せさせていただけば、それでよいのです。


人には物事の結果が分からないということは、別の観点から言えば、

人には結果の良し悪しということもまた分からないのであります。


今、自分が最良と考えている結果というものが、

長い人生において見たときに本当に最良なのか。

これについても決して分からないのです。


自分自身で努力できることは精一杯させていただけば良いですが、

結果については神様の領分として、全てお任せさせていただく。

自分には分からない、どうにもならないことを、

自分の力や頭でどうにかしようと思うと、解決がつかず、ますます苦しくなっていきます。

どうにもならないことは、まな板の上の鯉のように、

自分を神様に全て投げ出し、お任せする。

神様のお働きは、最善、最良、最適なのですから。

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