FC2ブログ

仕事の道理

大嫌いな仕事をしなければならない、というのは一種の拷問のようなものです。

仕事が嫌だと思うと、朝起きすることがつらくなり、

なんとか一日を乗り切るだけで精一杯になる。

そうなると、仕事に喜びを見出すどころか、

仕事を忘れようとして、今度の休暇は何をして過ごそうとか、給料が出たら何に使おうか、

といったことばかり考えてしまうことになる。


仕事を自分の生きていく為の単なる手段として考え、

そのためにしなければならない、しょうことなしの重荷であると考えているならば、

いつまで経ってもそのような仕事の仕方しか出来ず、そのような仕事しか与えられないことになるでしょう。


これは度々申すことですが、「仕事」自体も生き物でありまして、

心も持っていて、いつもより良いご主人様を探しているのです。


ですから、仕事をそのように嫌々ながらにしておりますと、

仕事のほうでも、「そんなに嫌がられるのなら、もう貴方にはしてもらいません」と言って、

やがては逃げてしまって、仕事自体をさせてくれなくなるのが道理なのですね。


仕事をすること自体を目的として、

何のためというわけでもなく、自分がどうなるかなどということは忘れて、

ただ仕事をすることを有り難く、喜んでしていると、仕事のほうも喜んでくれて、

やがては貴方に終始付きまとってくれるようになるのです。

そして、いざという時には仕事が貴方を助けてくれ、守ってもくれるようになります。

信心の行というのは、火の中をくぐったり、滝に打たれたりするものではなく、

会社での勤めや、家事や育児といった日常の仕事の中にこそ信心の行があるのです。


「働くことそのものが楽しみでありますように」と祈り、仕事を愛せる自分にならせていただきましょう。

貴方が仕事を愛することが出来れば、周囲にいる人々のためにもなるのです。


貴方は仕事を楽しんでいるから幸せな気分でいられますし、一緒にいても楽しい存在となる。

また、貴方が提供するものを手に入れる人たちは、

愛情のこもった製品やサービスを得ることが出来るのです。

神人(かみひと)

『信心』という言葉を辞書で引きますと、「神仏を信じること」とあります。

なるほど言葉の通り、神様を信じる心という意味ですから、

自分と神様とは別々にあるわけです。


同じ「シンジン」という言葉でも、

このお道では『神人(かみひと)』と書きます。

これは、神様が私たち一人ひとりの中に居られるということです。


私たちが気付こうが気付かまいが、嬉しい時も悲しい時も寄り添って、

この人生を共に生きて下さっているのですね。


宮、寺、社など特別な場所で、特別な作法をもって、

特別なことをすることが信心と思われていますが、そうではありません。


大切なことは、その自分の中に居られる神様に心を向け、

本当に一つとなって生きていくことであり、

場所や作法はその為の言わば“工夫”なのであります。


神様に心が向かっている時の感情とは、

感謝・満足・納得・安心・共感・謙虚・愛情…と言った、正の感情です。


一方で、自分の中には我(エゴ)という鬼もいる。

その鬼に自分の心が向かうと、

不足・不満・不服・心配・嫉妬・傲慢・憎悪…と言った負の感情に責め立てられることになるのです。


つまり生きるうえで本当に大切なこととは、

自分の心を正の感情か負の感情、どちらに向けて生きていくか、ということ。

自らの心の調子を整えるということに尽きます。


しかし人間ですから、調子が整って神人となっている時もあれば、

はたまた調子が狂って心の鬼に責められる時もある。

性善でも性悪でもないのが人間です。


白と黒、善と悪の間に人間がいて、そのどちらにもいくことが出来る。

何らかの縁で上に昇ることもできれば、下に落ちることにもなる。

あらゆる悪も人間から出てきますが、同時にあらゆる善も人間から出てくるのです。

そのように、人間というのは何か一定の塊としてあるのではなく、

その時々の場や関係次第で色々な動きをするものであります。

だからこそ、調子が狂わないように、乱れないように、手を掌せていくことが大切なのです。

まける練習

相田みつをさんの「負ける練習」という詩の中に、このようにあります。


柔道の基本は受身 受身とは投げ飛ばされる練習 

人の前で叩きつけられる練習 人の前でころぶ練習 

人の前で負ける練習です。

つまり、人の前で失敗をしたり恥をさらす練習です。

自分のカッコの悪さを多くの人の前で 

ぶざまにさらけ出す練習 それが受身です。

柔道の基本ではカッコよく勝つことを教えない

素直にころぶことを教える 

いさぎよく負けることを教える

長い人生には カッコよく勝つことよりも

ぶざまに負けたり だらしなく恥をさらすことのほうが はるかに多いからです。

そして負け方や受身のほんとうに身についた人間が

世の中の悲しみや苦しみに耐えて

ひと(他人)の胸の痛みを 心の底から理解できる

やさしい暖かい人間になれるんです。

そういう悲しみに耐えた暖かいこころの人間のことを

観音さま、仏さま、と 呼ぶんです。



さて、「負ける」というと、

少し消極的なように聞こえるかも知れませんが、

「負かされる」ことと、「負ける」ことでは、全く次元が違います。


「負かされる」というのは、相手に勝とうと思って力が及ばずに負けることですが、

「負ける」というのは相手に勝とうと思わないで、

自分の方から相手の意に歩み寄ろうとすることですから、

そこに真心がなくては出来ません。

少しでも対抗的な気持ちがあっては本当に「負ける」ことなど出来はしません。


相手が腹立ちや憎しみを持って来たとき、

こちらにそのような真心がない時には、腹立ちや憎しみの心が起こる。

しかし、こちらに真心があれば、

相手が仕向けた腹立ちや憎しみを心の内で解かしてしまうことが出来るようになる。

負ける練習を通して、ほんとうの真心を身につけさせて頂きましょう。。

すべての役割に感謝を

蟻の集団の働きぶりを細かく観察すると、

よく働く蟻が2割、普通に働く蟻が6割、働かない蟻が2割

という分布になるのだそうです。


それでは、よく働く蟻だけを一カ所に集めたらどうなるかと言うと、

なぜかまた働かない蟻がでてきて、自然と元の通り、

よく働く蟻が2割、普通に働く蟻が6割、働かない蟻が2割になるのです。


それでは、働かない蟻だけ集めるとどうなるか。 

これもやはり結果は同じで、

2割、6割、2割の分担で、仕事をするようになります。


さて、もう一つ気になることがあります。

それは、働かない蟻たちは一体何をしているのでしょうか。

何の役にも立たないのでしょうか。


このことについて、興味深い研究結果があります。

それは、蟻は巣と餌との間に定期ルートを作って行動する習性があるですが、

その際、働かない蟻たちの何匹かが必ずルートから外れるのだそうです。


実はそのルートを外れた蟻たちによって、

新しい餌を発見する確率が高まり、集団としての生存確率が高まるのだそうです。


それぞれに違いがあり、働き者もいれば働かない者もいる。

だからこそ、役割分担ができて、変化にも適用出来る。

集団として成り立つわけです。これは人間の組織にも言えることでしょう。


「よく働く蟻」の役割を担う人々というのは、

『自分だけこんなに働いて…』と、ついつい周囲を批判しがちなものです。

しかしそれは本来、感謝すべきことなのです。


「よく働く蟻」以外の役割を陰で果たしてくれている人々のお陰で、

自身がスポットライトを浴びて、人一倍の経験を積むことが出来ているのですから。


何かが好転したり、うまくいっている時には、

誰か多くの人に支えられていると考え、感謝しましょう。

反対に、不都合や不幸に見舞われたときには、

誰か多くの人々を支える番が巡ってきたのだと考えて、

静かに誇りながら、気力と体力を蓄えましょう。


誰もが多くの人に支えられ、自分も誰かを支えながら生きています。

すべての役割に感謝をしていくことで、

もちつもたれつの、「お陰様」の本当の姿が見えてくるのです。

ランキングに参加しております!
いつもクリック頂き、        誠にありがとうございます。   アヒルちゃんとネコちゃんを     1日1回ポチッとお願いします。

FC2Blog Ranking 人気ブログランキングへ

お越し頂きありがとうございます!
ご連絡はこちらよりどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター