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サンタさんが来るように

宗派は違えども、クリスマスを子どもと祝うことを私は大切にさせていただいております。

「いつも良い子にしていれば、きっとサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるよ」

善行を重ねている人や家庭には、めでたいことが集まってくるという教えを、

子どもの素直な心に教えてくれる、大変素敵な喩えではないかと思います。 


人間関係においても同様で、信頼残高という言葉があります。

銀行口座にお金の預け入れを重ねていけば残高はプラスになり、

引き出しをすればマイナスになるように、

人間関係にも信頼口座というものが存在するのですね。


礼儀正しい行動、親切、正直、約束を守るなどの行動をすれば

信頼口座への預け入れ(プラス)となり、

逆に自分勝手な行動や振る舞いをすれば引き出し(マイナス)となります。


相手との信頼残高が高ければ、こちらの多少の失言や失敗も許してくれ、

こちらの気持ちをしっかりと汲み取ってもくれる。

辛い時や悲しい時には傍にて、優しく慰めてくれるでしょう。

逆に残高が無ければ終始相手の顔色を伺いながら、

言葉を選んで話をしなければならなくなる。陰口を言われることもあるでしょう。


ですから普段から周囲の人々との信頼口座に継続的な預け入れをするよう

心掛けねばならないということですね。


神様のお働き、神徳というものも同じことが言えます。

普段から神様との信頼口座に預け入れをさせて頂くことが信心であり、幸福になる秘訣なのです。


お道の教えには、このようにあります。

『神を信じる者は多いが、神から信じられる者は少ない』


自分が神様を使うのではなく、神様に自分が使って頂くことが大切であり、

そこではじめて預け入れとなる。


人を助ける神様の御用をさせて頂くと心に決めて、

自分の手足を通して、自分の生活を通して、

神様の生きておられる働きをさせて頂くことが、幸せな人生を約束してくれるのです。

仕事は行ともなる

お道の教えにこのようにあります。

『日々勤める仕事は信心の行であるから、

仕事を有り難く勤めれば、日々有り難いおかげが受けられる』

ふつう信心といえば、宮、寺、お堂など特別な場所で、

特別な作法をもって特別なことをすることのように思われがちですが、実はそうではありません。 

会社での勤めや、家事や育児といった日常の「仕事」の中にこそ信心の行があるのです。


自分の好きなこと、楽しいことばかりであっては行(修行)にはならないでしょう。

行と言うからには、やはり、辛いこと苦しいことがあって当然なのです。

仕事の辛く苦しい面ばかりを見て愚痴不足を言うのではなく、

神様から差し向けた行として、有り難く勤めさせていただくことが信心であります。


ありがたく勤めさせていただくところに、ありがたいおかげが受けられる、

という道理を教えられているのです。


また、このようにもあります。

『仕事をするというから神は見ている。

仕事をさせていただくという心になれば、神はつきまとってさせてやる』


仕事を自分の生きていく為の単なる手段として考え、

そのためにしなければならない、しょうことなしの重荷であると考えているならば、

いつまで経ってもそのような仕事の仕方しか出来ず、そのような仕事しか与えられないことになります。


また、仕事をそのように嫌々ながらにしていると、

仕事のほうでも、「そんなに嫌がられるのなら、もう貴方にはしてもらいません」と言って、

やがては逃げてしまって、仕事自体をさせてくれないようになるのではないでしょうか。


仕事をすること自体を目的とし、何のためというわけでもなく、

自分がどうなるかなどということは忘れて、ただ仕事をすることを有り難く、

喜んでしていると、仕事のほうも喜んでくれて、終始付きまとってくれて、

助けてくれて、守ってくれるようになるのではないでしょうか。


日々の仕事を行として、有り難くさせていただく。

有り難いおかげはそこから生まれるのです。

生きていく上で一番大事なこと

お道の教えに、このようにあります。

『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』

過去を忘れるということは、過去を捨てることではありません。

過去は既成の事実ですから捨てられませんが、とらえ直すことはできます。

過去にマイナス思考で受けとめていたものを、プラスに見直させて頂くのです。


私たちが生きていく上で一番大事なこと。

それは、今この時を喜び、感謝して生きるということ。これに尽きます。


私たちが幸せを感じたり、不幸せを感じたりするのは、

昨日でもなく明日でもなく、今この時しかありません。


何故人が心配や不安に苦しめられるのかと申しますと、

それは、今この時を生きていないからと言えるでしょう。

今この時を生きずに、過去や将来の事ばかりに目を向けているからどんどん苦しくなっていくのです。



天気でも、明日は晴れるか、晴れないかといくら心配してみたところで、

実際には明日になってみないと分からないのです。

分からないことを土台にしてあれやこれやと考えることが心配・不安であるのに対し、

今この時、目の前にあるものへのお礼を土台に生活を進めていくことが信心であります。


朝、目が覚めたら、今日も生命を頂いたことにお礼を申し、布団にお礼申し、

洋服に「お世話になります」とお願いする。

食事は食材を与えて下さった神様と食品の加工や調理に関わったすべての方々にお礼を申し、

食器に「お世話になりました」とお礼を申しながら洗わせて頂く…。

そのようにして一日を過ごして頂くのです。


もちろん布団も洋服も食器も返事はしません。

しかし、物を通して神様にお礼を申すのです。

人目があるからするのではない。

人に向かってするのでもない。神様に向かってさせて頂く。 


そういう生き方を進めてまいりますと、

心配が減って有難いものがだんだんと増えてまいります。

そして有り難い生活を進めていくところにこそ、

有り難い出来事は起きてくるのです。

「関係」を願う

人の幸せというのは、自分と他人との間柄、関わり合いの中で生まれます。

ですから、実は全ての人が、他人に対して、

心から愛し合い、信じ合い、良い心持ちで付き合うことが出来るようになりたいと

心の底では願っているのに、それがなかなか出来ません。


さらには、その出来ない原因が、相手の悪いところにあると思うところから、

色々な不平不足が心の中に生まれ、また口からも出て来るのであります。


しかし、「仲」というものは自分だけでつくるのではなく、また相手だけでつくるのでもない。

自分と相手との言わば「合作」なのです。

相手もさることながら、自分にも少なからず原因があるのです。


お道の教えにこのようにあります。

『自分が正しいと思うことが、自分の敵である』


そもそも、不平とか不足とかいうものが起こるというのは、

自らの心のどこかに「自分は正しい」と思うところがあるから起こるのです。

それこそが己の敵である、と。


深刻な人間関係の問題を解く道は唯一つ。

それは、自分自身の至らなさ、未熟さに気づいて、自ら詫びることです。


自分の手元に、こだわりがあったり、曲がったものがあるから人間関係に行き詰まる。

人間の仲というのは不思議なもので、

仲の良い者同士の間では、悪いところが不思議と出てこない。

出ても悪いと感じないのです。


それは、何も仲が良くなったから、急に相手が善人になったのではなく、

仲が悪くなったからといって、急に悪人になるわけではありません。

相手はそのままでありながら、

仲さえよくなれば、悪く思えないようになるのです。

ここに、人間の間柄の妙味があります。


良いとか悪いとかいうことは程度の問題であり、

良いと言えば皆が良いとも言えるし、悪いと言えば皆が悪いとも言える。

人間を知れば知るほど、そう単純に良し悪しなど言えないことに気付く筈です。


ですから人と人、人とものとの「関係」を願いましょう。

その関係が少しでも良くなるように、強くなるように願い、

出来る限りのことをさせて頂くことが大切なのです。
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