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神人(かみひと・しんじん)

マザー・テレサが、東京都府中市にある

マザー・テレサの支援団体「愛のファミリー協会」に宛てた手紙に、

このように書かれておられます。


「誰もしようとしないような、小さな、つまらないと思えるような仕事をしましょう。

小さ過ぎるということはありません。

私たちは小さい者ですから、それにふさわしいやり方で、ものごとを見ていきましょう。

目の見えない人に手紙を書いてあげたり、横に座って話を聞いてあげたり、

手紙を出してあげたり、ちょっと人を訪ねるとか、お花を持って行くとか、

誰かのために洗濯や掃除をしてあげましょう。

つまらないと思える仕事が、私やあなたのする仕事なのです」 



宗旨宗派は違えど、信仰(信心)の肝心要のところを

大変分かりやすい言葉でお教え下さっておられます。

商売繁昌、交通事故に遭わないように、宝くじが当たるように…

そうした自分の願いを叶えるために信仰がある、と思っている人が多いのが現状です。 


それらを否定したりはしませんが、

目先の利益はあくまで入り口であって、真の願いは人の助かりにあるのです。


お道の教えにこのようにあります。

『しんじんとは信の心ではなく、神人(かみひと)と書く。』


教会に参拝して神様に願ったならば、

そこで神様をわが身に頂いて家庭や職場に行かせて頂くのです。


家庭や職場に難儀があれば、その難儀のある家庭や職場の中に入り込んで、

わが身を使って人を助ける神様の仕事に立たせて頂くのであります。


これまでは自分ばかりが重荷を負わされている、

面倒な事ばかりさせられる、我慢ばかりさせられる、そのように思っていた…。


これからは人を助ける神様の仕事をさせて頂くと心に決めて、

自分の手足を通して、自分の生活を通して、神様の生きておられる働きをさせて頂く。


そうすれば、神と人とは別々にあるのではなく、いつも共にある。

それを「神人」といい、「しんじん」ともいうのです。

「教え」が気付かせてくれること

お道の教えにこのようにあります。

『人にはできるだけのことをしてあげ、人に物をやりたくてしかたがないという心を持ち、

自分だけよいことをしたいというような心を持つな』

自分から人に何かしてあげなさい、自分より人を大切にしなさい、

などという教えを聞くと、なるほど確かにそれは善いことには違いないが、こっちが損ではないか。

口で言うのは簡単だが、実際にはとても出来る事ではない、

と考えるのが人の心というものです。


しかし、そう考えるのは教えの本当の意味が分かっていないからであります。

人に親切にすることは、自分自身が嬉しい。

進んで仕事をすることは自分自身が気持ち良いのだということを

私たちに気付かせようにするのが、実は教えの本当の意味なのです。


人に親切にし、進んで仕事をしようとするとき、自分の中から大変よいものが湧き出る。

それが嬉しさとなり、気持ち良さとなり、幸せとなります。


花というのは、自らの草木、枝の中から湧き出でて咲いています。

決して苦しんで咲いているのではないでしょう。

中から湧き出る自分の力が溢れて、花を咲き誇っているのです。

喜んで花を咲かせるところに花の本性があります。


人間の中にも限りない愛情、親切心が恵まれていて、

そこにこそ自分の幸せの根源が隠されていたことに気付くことが教えの要諦です。


僅かな知恵でも、親切でも人のお役に立つことが出来る。

この手足だって使い方によっては人のお役に立つことが出来る筈です。


人のお役に立つものを私たちは神様から与えられて生まれて来たのです。

そして、自身の中から湧き出たものは、

人に差し上げたとしても、また直に湧き出てくるものですから未練も残らない。

自分が倒れてしまう心配も無い。


誰に何かしてもらわなくとも、自分自身から溢れ出ずる生活、幸せになることが出来るということを、

「教え」は私たちに気付かせてくれるのです。

あるのは「繋がり」

子供の純粋な心に差別意識を植え付けるものとは、一体何でしょうか。

その具体例として、このような話があります。

三歳ぐらいの子供を連れた母親が、

水道工事をしている人たちのそばを通りながら言い3ます。


「おじさんたちが、こうして働いていて下さるおかげで、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうといって通りましょうね。」


同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。

子どもに向かって言いました。

「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」


価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられます。

子どもは親や教師の「いう通り」になりませんが、「する通り」になると言われます。


最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、

労働への感謝の念を子どもの心に植えつけたのに対し、

二番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植えつけたのです。


『人は生まれながらにして平等である』という言葉がありますが、

この資本主義社会を見てみれば、生まれた環境によって、生活水準も受ける教育も大きく違ってきます。

経済的な観点から言えば、「平等」とは程遠いのが現実ではないでしょうか。


お道の教えにこのようにあります。

『人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身も人である』

これは、みんな同じ人間なのだから仲良くしましょうという意味ではなく、

「自分」や「他人」などという区別など、もともと無いのであるという、

まことに深遠な教えであります。


私たちの「いのち」というものは、

他の多くの「いのち」と繋がり、支え合って存在しているのです。 


ですから、経済的には上下はあっても、「いのち」には上下などありません。

あるのは繋がりなのです。


ですから、真に教養のある人とは、今の自分の幸せを人に分けてあげられる人のことを言うのです。

そして、自分の幸せを人と分かち合うところにこそ、本当の幸せがあるのです。

梅の花の信心を

お道の教えに、このようにあります。

『桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。

桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているからすぐには散らない。』


梅の花は厳しい寒さの中を耐えてつぼみを付け、

長く咲き、素敵な香りを私たちに届けてくれます。

更に花が散った後には梅の実が残り、私たちの健康の役にも立ってくれる。


花も人も、厳しい状況を懸命に耐え、そして乗り越えていくところに、

真の喜びや生き甲斐が訪れるのではないでしょうか。


雨の日に、「今日が良い天気だったらなぁ…」と今の天気を嘆いたところで

成長はありませんし、幸せにもなれません。

雨の日には、快晴とは違った別の眺めがあり、趣がある。

雨が上がった後には、美しい虹が見えるかも知れないのです。


木の中にも、樹齢何百年という木がありますね。

長い歳月をかけてそこまでになり、

もう押しも押されもせず、風が吹こうが雨が降ろうがビクともしない。

今はただ、その木がそうして栄えているだけで、その土地の品位を高め、周囲に人が集まり、

神木と呼ばれて、人から手を掌わせられたりもする。


しかし考えてもみて下さい。そのような立派な木にも当然、

双葉の時期もあり、苗木の時期もあり、若木の時期には僅かな風にも折れそうになり、

日照りには枯れそうになり、どうなるかと周囲から心配された時期もあったはずですが、

それを耐えに耐えたからこそ、ここまでの成長があり、今日を迎えているのです。


このことを考えると、私たちもこの自分自身をしっかりと育てさせて頂くことが大切だと思います。


仕事をさせて頂くのでも、難しい方を選択させて頂いて先に苦労させて頂きますと、

心も技術も鍛えられて、また有頂天になることもなく努力を続けることが出来るようになる。

結果として、先に楽を取るよりも、長く働かせて頂くことが出来るのです。 


梅の花のように長く咲いてお役に立つ様に、

それぞれに与えられた苦労をしっかりと味わい、精一杯勤めさせて頂きましょう。

その苦労は楽の種、幸せの種ともなるのですから。
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