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自立と依存

このような話があります。

ある母親が子供を「自立」させることが大切だと思い、

出来る限り自分から離すようにして子供を育てた。

夜寝るときもできるだけ添寝をしないようにして、一人で寝かせるようにすると、

はじめのうちは泣いていたが、だんだん泣かなくなり、一人でさっと寝に行くようになったので、

親戚の人たちからも関心されていたというのである。


しかし幼稚園に入るころには、知能が別に劣っているわけでもないのに、

言葉が極端に話せなかった。

心配した母親はカウンセラーに相談したところ、

「もっとスキンシップを図るように」と諭され、その後母親が子供の接近を許すと、

今までの分を取り戻すほどに甘えてきて、それを経過するなかで、

言葉も急激に進歩して、普通の子供たちに追いついてきたという。


さて、この母親のように、「自立の反対は依存である」と単純に考え、

依存をなくしていくことで自立を達成しようとするのは、大きな間違いであります。


子供をいつまでも甘やかし続けるというのも問題ではありますが、

それは親の方が自立出来ていないのであって、

親が自立的であり、子供に依存を許すと、

子供はそれを十分に味わった後は勝手に自立してくれるのです。

自立とは十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれ出てくるものなのです。


そもそもどんな立派な人間でも、誰かに依存せずに生きてゆくことなど出来ません。

依存を一切せずに生きて行こうとする人は、

自立しているのではなく、孤立していると言えるでしょう。


自立とは依存を排除することではなく、

必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、

感謝していることではないでしょうか。


「人間は決して一人では生きられない、

人間は他に迷惑をかけなければ生きられない、弱い存在である」

ということを、大人は子に伝えるべきなのです。

肝心なことは、この天地の中で他に支えされ、

他に迷惑もかけ、生かされて生きている一人であるという事実に、

感謝の思いを向けることであります。


その感謝と思いと、それに報いていこうとする姿勢が真の自立と言えるのです。

人を育てる

このような格言がある。

 「おだてられれば、あなたを信じない。

 批判されれば、あなたを嫌いになる。

 無視されれば、あなたを信じない。

 勇気づけられれば、あなたのことを忘れない。」


激励すれば人がついてくる。逆に賞賛や激励がなければ人はついてこない。

この当たり前の事実を生涯、実践した人物がいる。

今なお理想の教育者と呼ばれる吉田松陰であります。


彼は誰よりも「褒める」名人でありました。

その特徴は、相手の長所を見つけては「天下一」などと言って、

もう相手が感動するぐらい、褒めちぎったところにあります。


自身が投獄された時でさえ、獄中の罪人たちの長所を褒めて「~先生」と呼び親しみ、

ついには全ての罪人を先生としてしまったのです。


そうすると、次第にお互いが学び合い教え合い、

やがて門番さえも彼らの授業に加わるようになりました。

そして、いつの間にか、松陰を閉じこめた牢獄は、

日本史を変えるほどの塾に発展していくのです。


お道の教えに『生神とは、ここに神が生まれることである』とあります。

通例、神様というのは我々人間とは別にあるように思われていますが、

そうではなく、人間の中に現れる神様、生きた神様なのであります。


信心とは、相手の中の神様を信じること。

その神様が現れ出る手助けをすることであります。


人を育てるとは、相手を信じ、思いやることです。

影響力のある人とは、権威をふりさざして他人の間違いを非難する人のことでは決してない。

相手の反感を買いながら、その人を変えることなど絶対に出来はしないのです。


誰しもが励ましの言葉を望んでいる。

自分の存在意義を認めて欲しいと切望しているのです。

人を信じて励ますこと。

これが出来る人はどこにいても偉大な教育者となります。

人を信じてこそ、相手は誠実に応えてくれる。

優れた人間だと認めてこそ、優れた資質を示してくれるのです。



鳥が選んだ枝は

陶芸家の河井寛次郎(さわい かんじろう)の言葉にこのようにある。


鳥が選んだ枝
枝が待っていた鳥

一つの木の枝に鳥が止まっている。

ただそれだけの風景ですが、鋭敏な陶芸家の眼は、

その風景を見たときに、深い感慨を抱いたのでしょう。

空を舞う鳥が空中から自分がとまる枝を探して、

数多くの枝の中から一つの枝を選びます。

鳥は自分がその枝を選んでとまったのですが、

実は相手(枝)もその鳥を選び、枝にとまらせたというわけです。


このことを人間に置き換えてみると、どうでしょうか。

人との出逢い、仕事との出逢い、モノや言葉との出逢い。

偶然にもその時々で、自分が選び取ってきたように思えるのですが、決してそうではない。

すべて差し向けられたものなのであります。


『あるもの みな美しく、 おこること みなよし』

信心をさせて頂くということは、自分と物事との間に神様を見出すことです。

自分の好き嫌いで物事を受けとめようとしないで、

起きてくることは全て神様のお差し向け、そこに自分にかけられた神様の願いを受け取ろうとするから、

「あるもの みな美しく、おこること みなよし」と思える自分にならせて頂けるのです。


現実を変えることが出来なくても、悩みに対する心の持ち方を変えることはできます。

過去の出来事を捨て去ることはできなくても、とらえ直すことはできます。

結局のところ、出来事自体には良い悪いはなく、

受け取る側の心にだけ、良い悪いがあるのです。

良いも悪いもないのであれば、「すべて恵まれてのことなのだから」と、

神様から頂いた「ご縁」として有難く受け取る心を育てていきましょう。

そうすれば、どのような境遇に置かれても、人は幸せになれるのです。

本気を出す

作家で詩人の高見順さんの晩年の話であります。

食道がんのために病床に横たわっていた時、

ふと窓の外を見ると、激しい風雨のなかを少年が新聞を配達している姿が見えた。

その姿に胸を揺さぶられ、次の詩を書かれたそうです。


なにかをおれも配達しているつもりで

今日まで生きてきたのだが

人びとの心になにかを配達するのが

おれの仕事なのだが

この少年のようにひたむきに

おれはなにを配達しているだろうか

 

ひたむきな新聞配達の少年の姿が晩年の作家魂に火を灯したのであります。

私たちの心に火をつけ、生きる力を与えるもの。

それは、決して見た目や才能ではありません。

よいことでも、わるいことでも、人間が重大なことにぶつかって、

その人の本気が出ている時というのは、人を惹きつける力がある。

そこに人間の真(まこと)、本体が現れ出ているからです。


お道の教えにこのようにあります。

『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』

毎日を本気で生きていこうとするならば、感謝を中心に置かなくては続きません。

人間にとって感謝にまさる生き甲斐はないのです。

地位があっても、金持ちであっても、感謝できなければ決して幸福とはいえません。

今日一日、自らに与えられた仕事を精一杯に喜んでさせて頂けるかどうか。

後で振り返って、今日一日よかったなぁと生き甲斐を感じ、

幸せを思うかどうかが一番肝心なことであります。


火は自身が暖かいばかりでなく、周囲のものも暖かくします。

自身が明るいとともに、周囲のものまで明るくするのです。

人も同様に、自身が感謝で本気の毎日を送るなら、

その周囲にもそのような人や出来事が増えていくことになる。

それが道にかなうということです。
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