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何の為に働くのか?

何の為に働くのか?

ある人にとっては、お金を儲ける為の手段なのかも知れませんし、

またある人にとっては、社会に貢献する為の手段なのかもしれない。

もちろん、その両方の人もいるでしょう。


しかし、「仕事」というものを、このように何かを得る為の「手段」だと考えておりますと、

思わぬ結果を招くことが多々あります。

これまで自分が成功だと思っていたことを達成したにもかかわらず、

それよりもはるかに大事なことを犠牲にしてしまっていたことを、ある時突然に思い知らされるのです。


お道の教えには、このようにあります。

『神のおかげで生きていられる人間は、日々神のご用を勤めなければならない。

日々勤める仕事は信心の行であるから、仕事をありがたく勤めれば、

日々ありがたいおかげが受けられる』


ふつう信心といえば、宮、寺、お堂など特別な場所で、

特別な作法をもって特別なことをすることのように思われがちですが、実はそうではないのです。 


会社での勤めや、家事や育児といった日常の「仕事」の中にこそ信心の行がある。

行(修行)でありますから、艱難辛苦があって当然なのであります。


しかし、そこをありがたく勤めさせていただくことが信心であり、

ありがたく勤めさせていただくところに、ありがたいおかげが受けられるのです。


仕事を自分の生きていく為の単なる手段として考え、

そのためにしなければならない、しょうことなしの重荷であると考えているならば、

いつまで経ってもそのような仕事の仕方しか出来ず、またそのような仕事しか与えられないことになる。


そうではなく、仕事をすること自体を目的とし、

ありがたい心持ちで各々の持ち場立場で神様に仕えさせて頂く。

そこで信心の行に取り組ませて頂く。


そうして、仕事をすることをありがたく、喜んでさせて頂いていると、

仕事のほうも喜んでくれて、終始付きまとってくれて、

助けてくれて、守ってくれるようになる。


それが仕事の「道」というものであります。

心を神に向ける

お道の教えにこのようにあります。

『人を頼りにするから、腹を立てたり物事を苦にしたりすることになる。

 人に向かう心を神に向けよ。』


頼り合うためにこそ、夫婦や友人があるのではないかとさえ思われるのですが、

よく考えてみますとそれは間違いであります。


頼り合うことが、本当に頼りになればそれでよいのですが、

「頼ろう」とするということと、「頼りになる」ということは全く違うのです。


頼りになるというのは、何かに頼ろうとしない人が本当に頼りになるのであって、

あれに頼ろう、これに頼ろうとする人は、頼りにも何にもなる人ではないのです。


また、あれに頼ろう、これに頼ろうとする人で、自分が助かっていく人はいません。

自分自身でしっかりした生き方になれないからであります。


そして、そういう人は必ず他人を利用しようとするものです。

夫・妻を利用しようとし、友人を利用しようとする。

それがこちらの思うように利用されてくれない。

そこで必ず不足が起こり、腹も立つ。

なんとかしてこちらの思うように利用しようとするために、策略を講ずる。駆け引きもする。

頼りたいと思う心が変化して、様々な浅ましい姿になるのです。

これではいつまで経っても本当に助かっていくことは出来ません。


信じる心(信心)とは、頼る心(依頼心)ではありません。

信じるということは、相手にこちらの思うように動いてもらおうとするのではなく、

むしろこちらが相手の思うように動きたいと願うことであります。


挨拶でも、親切でも、仕事でも、こちらから出来るだけ余分にして出るところに、

人間の本当の幸せがあり、喜びがあるのです。


本当の夫婦関係、友人関係というものは、お互いに頼ろうとはしないものであります。

相手を頼ろうとしないで、むしろこちらが相手の頼りになろうとする。

人のお役に立たせて頂こう、それが心を神に向けるということ。

そういう人間同士が一緒に生活をして、友人となり、夫婦となり、親子となった時に初めて、

それが本当に頼りになるのです。

影は形に添う

天気が良ければ、機嫌が良い。

しかし天気が悪ければ、機嫌も悪い。

これでは信心させていただいている甲斐がありません。


信心させていただくとはどのようなことか。

それは例えて言うならば、自らの心に天気を持つということであります。

雨が降ろうが陽が照ろうが関係なく、いつも心が晴れ渡っている。

周りの環境がどうであろうとも、自分自身に有り難い心が定まっていて、

その有り難い心を持って人に親切にし、

物事にあたっては実意丁寧な生き方ができるようになる。


そのような本当にしっかりとした人間にならせていただくことを願い、

実践することを私どもは「信心させていただく」と言うのであります。


では、信心させていただけば何が変わるのかと言えば、

それは運命、現在いる環境が変わるのです。

私たちの運命、現在いる環境とは、実は自分自身の心が定めた場所なのであります。

それは今の自分にとっての最適な場所であり、最善の学びの場に違い無いのです。


しかし、もし私たちが今いる環境で必要なことを学び、

そして成長し、自分の心が変わったならば、次の新しい環境が目の前に現れることになる。

今の環境から「卒業」するのです。


大半の人が自分の環境が改善されることを願いますが、

自分の心を改善することには興味がない。

いつになっても自分の環境を改善できないでいる理由が、ここにあるのです。


お道の教えに、このようにあります。

『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、

 おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、

 神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。

 小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』


幸せも成功も、私たちの心の影なのであります。

実体が大きいほど影も大きくなる。

心に大きな真があれば、それだけ大きなおかげが受けられるのです。


自らの心に天気を持ち、感謝と歓喜によって心が磨かれ成長していく時。

それは、私たちの運命が明るい方向へ展開していくときに他ならないのです。

和賀心

ドイツの哲学者カントは、

生まれつき背中が曲がっていた上に喘息で、

少年時代にはその病気のためにいつも苦しんでいたそうです。


しかしある時、たまたま町に来ていた巡回医師の言葉によって、

カント少年のその後の人生は大きく変わることとなります。


自らの病気を治らないものとして、あきらめたような発言を繰り返すカント少年に対し、

その医師は優しくこのように言いました。

「気の毒だな、君は。

しかし気の毒だと思うのは体だけのことだよ。考えてごらん。

体はなるほど気の毒だ。それは見れば分かる。でも、心はどうともないだろう?

心まで息苦しいなら別だが、君の心はどうともないはずだよ。

苦しい辛いと言ったところで、この苦しい辛いが治るものじゃない。

言えば言うほど、君も、君の両親も、余計に苦しく辛くなるばかりだ。

苦しい辛いと言うその口で、心の丈夫なことを喜び感謝すればいい。

体はともかく、丈夫な心のお陰で君は死なずに生きていられるんじゃないか。

そのことを喜びと感謝に変えていったらどうだい。

これが僕から君に与えられる診断の言葉だよ。

分かったかい。薬は要らない。お帰りなさい」


この医師の言葉は、素直なカント少年の心に深く刻まれ、

やがて少年は人間の心について深く考えるようになりました。

これが、八十一歳まで元気に生きた、大哲学者の誕生秘話であります。


お道の教えにこのようにあります。

『おかげ(幸せ)は和賀心にあり。和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』

幸せとは、今この瞬間、周囲の人や出来事に対して感謝できている心の状態を言います。

天地から与えられた肉体を大切に使わせていただくことは

私たち人間の務めでありますが、心の健康を保つということはそれ以上に大事であります。

たとえ体が病弱でも心が健康であるならば、私たちのいのちは生き生きと輝きます。

そして、心の健康を保つということは、

日々自らの心を和らぎ喜ぶ心にしていくこと。

そこに自らの願いを立てて生きる決意をすることなのです。

一心

八木重吉(やぎ じゅうきち)は、

昭和二年に二十九歳の若さで亡くなった敬虔なクリスチャンの詩人であります。

信仰と詩の合一を目指し、短くもひたむきに生き抜いた彼の作品は、

彼の死後二十年以上経って世間から注目され、今なお多くの人の心に光を与え続けています。


そんな彼の作品の中に「花」という詩があります。

花はなぜ
美しいか
ひとすじの気持ちで
咲いているからだ


彼にとって花が美しいのは、

形や色などの見た目にあるのではなく、

「ひとすじの気持ちで咲く」ところにあるのです。


自分を美しく見せようとか、人に褒められようとか、

そんな余計なことを考えずに、ただ「花だから咲く」、

そのひとすじの気持ちが私たちを感動させるのだと。

人間もまたしかりであります。



お道の教えにこのようにあります。

『これまで、神がものを言って聞かせることはあるまい。

どこへ参っても、こちらから願うばかりであろう。

それでも一心を立てれば、わが心に神がおられるからおかげになる。

生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだことはない。

…祈るところは、神と一心である』


自分を生かし自然を生かし、この天地全体を生かしている

大いなる働きがあります。

一心とは、一つの心と書く通り、その働きと一つになるということ。

我欲を張らず、物事に執着せず、ただひとすじに神に心を向けるということであります。


花は誰のために咲くのか。誰のためでもありません。

花は、ただ花であるがゆえに咲くのです。

自分に与えられたいのちを、与えられた環境の中で、

与えられた役割を精一杯、ただひとすじに果たして、

次の世代にいのちをつないでいくのです。

私たち人間もまた、自らに与えられたいのちを全うする役割が与えられているのです。

この自分の中から、どれほどのものが現れ出るか。

そこに一心を立て、ただひとすじに咲こうとするところに美しさが生まれるのです。
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