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愚痴は喜んで聞かせて頂く

愚痴や不足というと何か悪いことであり、

聞くのも嫌なことだとお思いかも知れませんが、

決してそんなことはありません。

愚痴や不足こそ、喜んで聞かせて頂けばよいのです。


そんな時にこそ本音が出ているわけですから、

気をつけてよく聞いていれば、相手がどんな性格で、

どんなことが好きで、どんなことが嫌いか。

こちらとしてどんなことをしてあげれば相手が助かるのか、

ということがよく分かってくるのです。


ですから愚痴や不足をよく聞くということほど、

人間関係をよいものにしていくのに大切なことはありません。


また、愚痴や不足を言う者にとっても、

誰かに聞いてもらうだけで救われるところがある。


そもそも愚痴や不足を言う者は、

自分の胸にあり余る事があって言わずには居れないのです。

ですから口から出すことによって、自分の胸が晴れる。ただ言うだけで胸がすくのです。


ですから、愚痴や不足を言う者がいたら、心から本気で聞いてあげるとよい。

それだけで人助けとなり、相手との人間関係も良いものとなっていく。

さらに進んでは、そうして誰か一人の愚痴不足がよく分かるようになると、

それを基にして、他の人の心の中まで察しがつくようになる。

人間の腹の中とは、皆それほど違いがあるものではないということが分かってくる。

そうなれば、「愚痴」や「不足」と呼ぶまでもなくなってまいります。


愚痴不足というのは、相手が身を入れて聞いてくれ、

その場限りで解消してしまいさえすれば、

「愚痴」と名をつけるまでもなく、言わば「打ち明け話」となるのです。


それが聞き手が「うるさい、くだらない、聞きたくもない」とはねつけた瞬間に、

その話には「愚痴」という悪名がついてしまうのです。


親しい相手、夫や妻、同僚や部下の愚痴を解いてあげられるかどうか。

そこにこそ、自らの値打ちが表れるのです。

愚痴や不足こそ喜んで聞かせて頂きましょう。

そこにどれだけ心を込められるか、祈りを込められるかが、

幸せの鍵ともなってくるのですから。

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青い鳥

メーテルリンクの『青い鳥』というお話をご存じでしょうか。

貧しい家に育ったチルチルとミチルの兄妹が、数々の冒険の旅を経て、

結局どこに行っても捕まえることが出来なかった幸せの青い鳥は、

家に帰ってみたら、庭先で鳴いていたというものです。

童話はここで終わりますので、

「幸せは身近なところにある。だから、その身近な幸せを大切にしよう」と解釈するのが一般的でしょう。



しかし実は、メーテルリンクの原作にはその話に続きがあったのです。

それは、家にいたその青い鳥も結局逃げて、居なくなってしまうというもの。

そこで話が終わってしまうのです。



それでは幸せの青い鳥とは、一体何処に行けば捕まえられるのでしょうか。

思うに、幸せの青い鳥というのは、自分の心の中に見出すものであり、

自分の外の世界をいくら探しても見つからないものなのだ、ということを教えているのではないでしょうか。


「不幸せ」というのは不足があるということ。

「自分の思い通りにならない」という不足を何かに埋めてもらおうとする心から生まれて来ます。



幸せになろうとしながら、自分の外にあるものを当てにしては不足を言って、

幸せになれない心の在り方になってしまっている。これが「迷い」というものです。


そうではなく、「人から何かしてもらおうと思わなくても、

この自分自身の中に限りのないお恵みを頂いているのだ。


私の中から、どんなことでもしようという心が出てくれば、何だって出来る。

無限に良いものを私は授かっているのだ!」このことに気付かせて頂くことが信心であります。


わずかな知恵でも人のお役に立つ。手も足もお役に立つ。

ちょっとした心遣いでも人の助けとなる。

私たちには幸せになるための尊い力が、十分に与えられているのです。


私たちの心の中から、どれほどの幸せが現れ出るか。

人に幸せを運ぶ青い鳥は私たち一人ひとりの心の中にいるのです。

味わってこそ

お道の教えに、このようにあります。

『信心はかつお節と同じことである。かみしめれば味がわかる。』

信心というのは、読んだり聞いたりするだけではどうしても分からないものです。

身の上に起きて来る事柄を通して、

その中にある「有り難い」ものを自らの心で受け取らせて頂く。 

苦しい時に教えを聞いて、心のもつれが解けたような、

有り難い気持ちがしたというその時に、その正体をとらえて味わわなければなりません。

そして、そのコツを自分が押さえて、

いつでも心のもつれの解ける人間にならせて頂けたとき、

はじめて信心が分かったと言えるのではないでしょうか。


例えば、誰かが腹立ちや憎しみを自分の前に持って来た時、

こちらに信心がない間は、こちらにも腹立ちや憎しみの心が起こってまいります。

しかし、こちらに信心があれば、相手から腹立ちや憎しみを仕向けられても、

それを解かして、さらにはこちらの信心を相手に及ぼし、

信心にならせるだけの働きをすることが出来るようになる。

誰かが心配すれば、こちらも心配をするように、

人の心というのは伝染するものです。

心配したり、腹が立つのが伝染するだけではなく、有り難い心も伝染するのです。


相手の心配や腹立ちがこちらに伝わるよりも強く、

こちらの有り難い心が相手に伝われば、相手の方から変わっていくのです。


真の信者(信心生活者)というのは、

信心が自分の生活となってそのような働きをするようになって来ることであります。


不足が出るところが不足が出ない。

腹が立つところが腹が立たない。

わが心で自分の心の内から、有り難い心(信心)が湧き出るようになる。


火は自身が暖かいばかりでなく、周囲のものも暖かくします。

自身が明るいとともに、周囲のものまで明るくするのです。

信心する者も同様に、自身が有り難いばかりではなく、

人をも有り難い心にならせることが出来る。


難儀とは、信心を分からせて頂くために差し向けられるのです。

しっかりと味わわせて頂きましょう。

心を神に向けて

お道の教えに、このようにあります。

『人の心は移り変わりやすいものである。

 その、人を頼りにするから、腹を立てたり物事を苦にしたりすることになる。

 人に向かう心を神に向けよ。』


不幸せな人と言うのは、何かしら不足を言われるものですが、

そのような不足というものを一体誰が埋めてくれるというのでしょうか。


ここで大半の人が自分の身近な人間を頼りにします。

その相手に対して、お金なり親切心なり、何かしら

自分の不足を埋めてもらおうと躍起になります。

しかしよくよく考えてみれば、不足の無い人間などいない。

頼りにしている相手だって皆不足がある。  


世の中の不和の原因というのは、実はここにあります。

家庭での夫婦や親子、兄弟の不和や、職場での上司と部下の不和にしても、

不和という不和はすべてお互いに自分の不足を

相手に埋めてもらおうとするところに生じるのです。


不和の無き道とは、自分自身の足りないものを

誰かに埋めてもらおうとする考えを捨て、

人を頼りにする心を神様に向けていくところにあります。


「頼り合うためにこそ、家族や友人があるのだ」と言う方もいますが、

「頼ろう」とするということと、「頼りになる」ということは全くもって違います。


頼りになるというのは、誰かに頼ろうとしない人が本当に頼りになるのであって、

あの人に頼ろう、この人に頼ろうとする人は、頼りにも何にもなる人ではありません。


信じる心(信心)とは、頼る心(依頼心)ではありません。

信じるということは、相手にこちらの思うように動いてもらおうとするのではなく、

こちらが相手の思うように動きたいと願うことであります。


本当の夫婦関係、本当の友人関係というものは、

お互いに頼ろうとはしないものです。


相手を頼ろうとしないで、むしろこちらが相手の頼りになっていこうとしていく。

そういう人間同士が一緒に生活をして、友人となり、夫婦となり、

親子となった時に初めて、それが本当に頼りになる関係となるのです。


さて、私たちの心はどこに向いているでしょうか。

そこが肝心なのです。

元日の心

お道の教えに、このようにあります。

『信心は日々の改まりが第一である。

 毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、

 夜が明けたら元日と思って、日々うれしく暮らせば家庭に不和はない』


暦の上では元日も他の日も一日には変わりありませんが、

元日には人間の心情をも改まらせる不思議な働きがあります。


そこには、単に年度が変わったということだけではなく、

生命が改まって再生するという、

民族的な心情が元日という日に込められているからでしょう。


「今日こそは」「今年こそは」という願いを立て、

感謝と反省を胸に神仏に手を掌わせる。

そして、今日という一日を出来る限り大切に過ごそうとする。


そのような心で毎日が過ごせたら、家庭に不和は起こらない。

幸せに過ごして行けるという教えであります。


表現は違いますが、一休さんは元日をこのように詠まれました。

正月は、冥土の旅の一里塚、

めでたくもあり、めでたくもなし


正月がめでたい、めでたいと言っても、

正月になればまた年を一つとって、また死に一歩近づくことにもなる。

それ自体は決してめでたいことではない。


一日一日を無駄に過ごし、一年を通してこれといった進歩も無いというのなら、

めでたいことなんてないでしょう、と。


一休さんが教えられたのも同じことです。

肝心なことは、日々の改まりにあるのです。


だからこそ、元日の今日。この有り難い心持ちを、

しっかりと味わい、これからも保っていくために、

この大切な一日を参拝から始めさせて頂くのです。


おかげ(ご利益)を頂くとは、

自分の周りの環境が自分にとって都合良く動いた時に

よく言われたりするものですが、

周りの環境がどうであろうとも、自分自身に有り難い心が定まっていて、

その有り難い心を持って人に親切にし、

物事にあたっては実意丁寧な生き方ができるようになる。


そのような本当にしっかりとした人間にならせて頂くことを、

共々に願い、実行させて頂きましょう。
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