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良いもの、悪いもの

雨が降ると「天気が悪い」と言います。

ところが、それならずっと雨が降らなければ良い天気かと言えば、

それも困ることがあって「雨よ降れ」と言う。

そうして雨が降れば「良い雨だ」と言う。


私たちの「良い」「悪い」というのは、雨そのものを言うのではありません。

降って欲しい時に降る雨は「良い」ものですし、

降って欲しくない時に降る雨は「悪い」ものです。 


どこに良い悪いがあるかと言うと雨そのものではなく、

関係にあるのです。


生きている者と雨との関係がどのようなものか。

そこに、良い悪いが生まれてくるのです。


雨だけではありません。人もまたしかりです。

自分については、いつも同じ自分だと考える。

他の人については、あの人はどのような人間で、

良いとか悪いと決めつけてしまいがちなのですが、本当はそうではありません。


自分のことで考えてみても、いつも同じ自分ではないはずです。

会う人との関係によって自分も変わるのです。

先生と会う時、友達と会う時、子供と会う時。

親しい人と会う時と嫌いな人と会う時とでは、決して同じ自分ではないはずです。


雨に対して良い悪いと、雨だけを見て決めつけているのと同じように、

人に対しても、その人だけを見て良い悪いを決めつけているのです。


たとえ雨が降り続いても、その雨との関係を良くできさえすれば、

「困った雨だ」とか「悪い雨だ」と言わずに済むようになります。


人に対しても同じように、自分が悪い、相手が悪い、

という視点から離れなくてはなりません。


良いとか悪いとかいうことは程度の問題であり、

良いと言えば皆が良いとも言えるし、悪いと言えば皆が悪いとも言える。

人間を知れば知るほど、そう単純に良し悪しなど言えないことに気付く筈です。


白と黒、善と悪の間に人間があります。

そして、そのどちらにもいくことが出来るのです。


ですから人と人、人とものとの「関係」を願いましょう。

その関係が少しでも良くなるように、強くなるように願い、

出来る限りのことをさせて頂くことが肝心であります。

日に日に生きる

お道の教えに、このようにあります。

『日に日に生きるが信心なり。』

一日一日、日は経つ。夜が明けて日が暮れる。

毎日が同じことの繰り返しのように思われるのですが、

決して同じではない。

この「同じではない」ということが大切なところであります。


何事も続けていけば慣れるものです。

「慣れる」ということは、以前よりも

早く上手に物事が進められるようになることですから、

慣れること自体は悪いことではありません。


しかし、仕事でも交際でも慣れてきますと、

一番大切な「同じではない」という思いが抜け落ちる。

一日一日、その時その時が新たなのだ

という思いが抜け落ちるのです。

それでは台無しです。


一番大切なことは、その今までと違った、

今日の生き方がどうなっていくかということ。

その生き方をよい具合にしていく為に、慣れるということが要るのです。

慣れるということだけでいいことなどありません。


「おはよう」一つでも、ただの口癖になっているというのではいけません。

今朝の「おはよう」は、

これまで何千、何万回と言った言葉かも知れませんが、

これまでに言ったことのない「おはよう」を心掛けていくのが、

信心であり、幸せになる秘訣なのです。


昨日まで言ったことのない、よい「おはよう」を今朝言おう。

そこから一日の事を始めましょう。

出掛けて家に帰る時にも、

今朝出た時よりも、帰るときにはもっとよい私になって帰ろう。

そのような気持ちで帰る。

ですから、「ただいま」と言うことでも、

今までに何千、何万回と言った言葉かも知れませんが、

これまでに言ったことのない「ただいま」を心掛けていきましょう。


そうすると、一日一日の生活全体が、だんだんとよくなってまいります。

「生きる」ということはただ漫然と日々を過ごすのではなく、

何かを生み出していく働きです。


何を生むか。生むものによって自分の価値が決まります。

おかしなものを生んでしまっては、この自分というものが台無しです。

ですから、「日に日に生きる」という教えを心の芯に頂くことが大切なのです。

影は形にそう

天気が良ければ、機嫌が良い。

しかし天気が悪ければ、機嫌も悪い。

これでは信心させていただいている甲斐がありません。


信心させていただくとはどのようなことか。

それは例えて言うならば、自らの心に天気を持つということであります。

雨が降ろうが陽が照ろうが関係なく、いつも心が晴れ渡っている。

周りの環境がどうであろうとも、

自分自身に有り難い心が定まっていて、

その有り難い心を持って人に親切にし、

物事にあたっては実意丁寧な生き方ができるようになる。

そのような本当にしっかりとした人間にならせていただくことを

願い、実践することを私どもは「信心させていただく」と言うのであります。


では、信心させていただけば何が変わるのかと言えば、

それは運命、現在いる環境が変わるのです。


私たちの運命、現在いる環境とは、

実は自分自身の心が定めた場所なのであります。


それは今の自分にとっての最適な場所であり、

最善の学びの場に違い無いのです。


 しかし、もし私たちが今いる環境で必要なことを学び、

そして成長し、自分の心が変わったならば、

次の新しい環境が目の前に現れることになる。

今の環境から「卒業」するのです。


大半の人が自分の環境が改善されることを願いますが、

自分の心を改善することには興味がない。

いつになっても自分の環境を改善できないでいる理由が、ここにあるのです。


お道の教えに、このようにあります。

『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、

 おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、

 神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。

 小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』


幸せも成功も、私たちの心の影なのであります。

実体が大きいほど影も大きくなる。

心に大きな真があれば、それだけ大きなおかげが受けられるのです。


自らの心に天気を持ち、感謝と歓喜によって心が磨かれ成長していく時。

それは、私たちの運命が明るい方向へ展開していくときに他ならないのです。

和らぎ喜ぶ心

ドイツの哲学者カントは、

生まれつき背中が曲がっていた上に喘息で、

少年時代にはその病気のためにいつも苦しんでいたそうです。
 

しかしある時、たまたま町に来ていた巡回医師の言葉によって、

カント少年のその後の人生は大きく変わることとなります。
 

自らの病気を治らないものとして、

あきらめたような発言を繰り返すカント少年に対し、

その医師は優しくこのように言いました。


「気の毒だな、君は。

 しかし気の毒だと思うのは体だけのことだよ。

 考えてごらん。

 体はなるほど気の毒だ。それは見れば分かる。

 でも、心はどうともないだろう? 

 心まで息苦しいなら別だが、君の心はどうともないはずだよ。
 

 苦しい辛いと言ったところで、この苦しい辛いが治るものじゃない。

 言えば言うほど、君も、君の両親も、余計に苦しく辛くなるばかりだ。
 

 苦しい辛いと言うその口で、

 心の丈夫なことを喜び感謝すればいい。

 体はともかく、丈夫な心のお陰で

 君は死なずに生きていられるんじゃないか。

 そのことを喜びと感謝に変えていったらどうだい。


 これが僕から君に与えられる診断の言葉だよ。

 分かったかい。薬は要らない。お帰りなさい」
 

この医師の言葉は、素直なカント少年の心に深く刻まれ、

やがて少年は人間の心について深く考えるようになりました。

これが、八十一歳まで元気に生きた、大哲学者の誕生秘話であります。


お道の教えにこのようにあります。

『おかげ(幸せ)は和賀心にあり。和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』

幸せとは、今この瞬間、

周囲の人や出来事に対して感謝できている心の状態を言います。


天地から与えられた肉体を大切に使わせていただくことは

私たち人間の務めでありますが、

心の健康を保つということはそれ以上に大事であります。


たとえ体が病弱でも心が健康であるならば、

私たちのいのちは生き生きと輝きます。


そして、心の健康を保つということは、

日々自らの心を和らぎ喜ぶ心にしていくこと。

そこに自らの願いを立てて生きる決意をすることなのです。
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