FC2ブログ

恩返し

をさ はるみさんの作品に、『独り言(ひとりごと)』という詩があります。


わたしがわたしになるために

人生の失敗も必要でした
 
むだな苦心も骨折りも
 
悲しみも必要でした
 
わたしがわたしになれたいま
 
恩人たちに手をあわせ
 
ありがとうございますと
 
ひとりごと


恩人とは自分にとって感謝すべき人、尊敬すべき人に限ったことではありません。

反面教師もまた恩人なのであります。

人だけではありません。

失敗も、無駄な苦心も、骨折りも、悲しみも、その全てが人生の恩人である、と。

一見無駄に見えることの中に、どれだけの恩寵があるかということを考えさせられます。


プラスを感謝することなら誰でも出来るでしょう。

しかし、苦悩や絶望といったマイナスの淵にあって、

「ありがとうございます」と手が合わせることが出来るのが信心のありがたさであります。


苦悩や絶望が縁となって、神様の願いに気付かせていただき、

真の生き方に目覚めるのです。そこから自然と手が合わさるようになる。


お道の教えに、このようにあります。

『神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、

このほかには何もないのであるから、人の身の上にけっして無駄事はなされない。

信心しているがよい。みな末のおかげになる。』


神様は人間の親であります。

親は、たとえ子どもが親の恩を分かっていなかったとしても子どもの世話をし続け、

心配をして下さっています。

そして、子供の至らないところは、改まり成長できるよう、

祈りに祈りながら長期に亘って時節を待って下さいます。

私たちが逆境の中で「助けて下さい」と神様に祈る遙か前から、

実は神様が祈って下さっているのです。


最善、最高、最適の神様のお働きの中で、

生かされ生きていることへの感謝を忘れず、

より良くなろうと努めることが、すべての恩人への「恩返し」となるのです。

子どもへの贈り物

自分の子どもに対して、

お金を遺してあげるとか、教育をつけてあげるというのも

愛することには違いありませんが、

一番大事なことは、

事に当たった時にいつでも「有り難い」と思える人間に

育てることが出来たならば、私は一番親として安心であろうと思います。


例えばお金は自分が仕事をしたことが

お金になって残っているのですから、

少々のお金を遺してもらうよりも、

どんな仕事でも厭わず有難く働くことの出来る人間に育ててもらうほうが、

どれほど生涯楽をするかも知れないと思うのです。


貧乏になると人間が卑屈になったりしがちな側面も確かにあるため、

気をつけることも大切ですが、

それは気を付ければまだ防ぐことが出来るでしょう。


しかし、裕福な家庭で育つ子どもに、

物を粗末にしない習慣、

人を軽んじない習慣、

仕事を自ら進んでする習慣を

養うことの方がはるかに難しいことですから、

子どものためには、お金の無い方が実は幸せなのかも知れません。


教育も同じことで、いくら学歴が高くなっても、

心の内に有り難いという心を

植え付けてあげることが出来なければ同じことだと思うのです。


ですから、子どもに対して、また誰に対してでも、

人を愛して大切にする道とは唯一つ。


それは、その愛する人自身がどのような事に出逢っても

「有り難い」と思える人間になれた時こそが当人の一番の幸せでありますから、

そうなれるようにしてあげることこそが肝心なのだと思います。


では、それはどうすれば出来るかと言えば、

まず自分自身が有り難い心持ちの人間になること。これに尽きるのです


自分が不平不満ばかりであって有り難いという気持ちでなかったら、

いくら子どもにそういう心持ちになれと言っても、

それは子どもには分からないでしょう。

いい加減に聞くのが当たり前です。


ところがもし自分が有り難いという心持ちになれば、

口では何も言わなくとも、

きっとその心は子どもの芯に響くと思うのです。


まずは自分自身が有り難い心持ちの人間になること。

それが何よりもの子どもへの贈り物となるのです。

不足の根を断つには

人生というのは何事も思い通りに行くものではない。

そのことは誰もが知っていることでしょう。


そして、何か一つの思いが叶ったとしても、

また一つ思うことが増える。

一つの欲が満たされれば、

また次の欲が起こる。

ですから不平や不足というのは言い出せばキリが無い。

このことも誰もが知っていることでしょう。


しかし、それらのことが頭で分かっていると言ったところで、

不足を言うのを止めるのは大変難しいことです。

それだけ、「平足の根」というのは、

私たちの心に大変深く根付いているのです。


その他の根、腹立ちや心配や恨みや疑いなど、

色々な困った心持ちの根というのも同じで、

自分の力でどうにかしようとしたところで、

たとえ表面上は取り繕うことが出来たにせよ、根を断つことは出来ません。

根が残っている以上、何かの拍子で必ず表に現れてくるのです。


そこで、このお道では信心を通して、「自分を見よ」と説いているのです。

自分をしっかりと見て行けば、

不足を言わない、腹を立てまいと心掛ければ心掛ける程、

不足に思い、腹を立ててしまう、どうしようもない私であるということが分かり、

自分の力ではどうする事も出来ない私であるということが得心出来る。

そこで自分を見直さざる得なくなる。

その時はじめて一筋の光明が指すのです。


不平や不足が起こるというのは、

自分を良しとし、

これ位のことはしてもらって当然だと思う気持ちが必ずどこかにあるのです。

そのような思い上がり、勘違いが砕かれたとき、

不足の根も断たれるのです。


また、自分が見えることによって、

相手だけが悪いと思っていたことが、

自分も相手も根本的には変わらないことが分かるところから、

相手の悪いところも許せるようになり、

また善いところもよく見えてくるようになります。


自分が見えていればこそ、

他の人が悪いところを出しても、

それが我が内にもあることを知っているから、

簡単には責められなくなる、蔑めなくなる。


不足の根が断ち切れた時、

その他の色々な困った根も断ち切れて行くのです。

ひとすじの心

八木重吉(やぎ じゅうきち)は、

昭和二年に二十九歳の若さで亡くなった

敬虔なクリスチャンの詩人であります。


信仰と詩の合一を目指し、

短くもひたむきに生き抜いた彼の作品は、

彼の死後二十年以上経って世間から注目され、

今なお多くの人の心に光を与え続けています。


そんな彼の作品の中に「花」という詩があります。

花はなぜ
美しいか
ひとすじの気持ちで
咲いているからだ


彼にとって花が美しいのは、

形や色などの見た目にあるのではなく、

「ひとすじの気持ちで咲く」ところにあるのです。


自分を美しく見せようとか、人に褒められようとか、

そんな余計なことを考えずに、ただ「花だから咲く」、

そのひとすじの気持ちが私たちを感動させるのだと。

人間もまたしかりであります。


お道の教えにこのようにあります。

『これまで、神がものを言って聞かせることはあるまい。

どこへ参っても、こちらから願うばかりであろう。

それでも一心を立てれば、わが心に神がおられるからおかげになる。

生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだことはない。

…祈るところは、神と一心である』


自分を生かし自然を生かし、

この天地全体を生かしている大いなる働きがあります。

一心とは、一つの心と書く通り、その働きと一つになるということ。

我欲を張らず、物事に執着せず、

ただひとすじに神に心を向けるということであります。


花は誰のために咲くのか。

誰のためでもありません。

花は、ただ花であるがゆえに咲くのです。

自分に与えられたいのちを、与えられた環境の中で、

与えられた役割を精一杯、ただひとすじに果たして、

次の世代にいのちをつないでいくのです。


私たち人間もまた、

自らに与えられたいのちを全うする役割が与えられているのです。

この自分の中から、どれほどのものが現れ出るか。

そこに一心を立て、ただひとすじに咲こうとするところに美しさが生まれるのです。

自分に込められた祈り

ヘンリー・ヴァン・ダイクの寓話に、

『一握りの土』という、このようなお話があります。


川の土手に一握りの土があった。

その土には、いつかきっと幸せをつかむのだ、という夢があった。


ところがある日、土は掘り出されて、

陶器工場に運ばれ、思いもせぬ窮屈な型に押し込められ、

身も震う高熱に焼かれたのだ。


土は、これも幸せになる試練かと思って、歯をくいしばって耐えた。

ところがその結果は、粗雑な作りで醜く赤茶けた、


なんの取り柄もない平凡な植木鉢に仕上げられていた。

それからは、不満の日々となった。

「こんな辱めを受けるとは。私はでき損なったに違いない。」

土はそう思って、腹を立てていた。


どれだけの月日がたったのだろうか。

土はある日、大きな教会に運ばれた。

周囲は美しい花に囲まれ、喜びに満ちた音楽が流れてくる。

そして不思議なことには、この教会にくる人たちが決まって、

自分を指差し、「美しい」「見事だ」と言って褒めるのだ。


土は己の醜さを知っているので、不審に思い、

自分と同じような鉢に訊ねてみた。

もう一つの鉢は語ってくれた。


「お分かりにならないのですか。

 あなたは世界一見事な白いユリの花を宿してらっしゃるのですよ。

 その美しい花の根は、あなたの真ん中で育ったのではないですか」と。


なんの取り柄もないと思っていた自分でも、

命を宿すことができ、美しく育てることができる。

そう気付かされた土は、

生まれて初めて大きな喜びに包まれていた。

というお話です。


さて、私たち人間もこの土と同じように、

自分の欠点や弱点ばかりに目がいき、

自分は価値が無いものだと思い込んでしまいがちです。


しかし、どれだけ欠点や弱点が多くとも、

そんな自分をも生かそうとする大きな働きがあります。


大切なことは、その自分を生かそうとしている働きの中に、

どのような祈りが込められているか、

ということを自ら求めていくことであります。


自分の中からどれほどのものが現れ出るか。

花も咲かせ、実も結ばせて、

やってやってやり抜いていくところに、自分だけに与えられ、

用意されていた本当の幸せが待っているのです。
ランキングに参加しております!
いつもクリック頂き、        誠にありがとうございます。   アヒルちゃんとネコちゃんを     1日1回ポチッとお願いします。

FC2Blog Ranking 人気ブログランキングへ

お越し頂きありがとうございます!
ご連絡はこちらよりどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター