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良い仲を築く

先覚の言葉にこのようにあります。

『よいもの よいこと よい仲から』(高橋正雄師)

運勢というのは人が運んでくると言われるように、

自分の周囲の人々との仲がどれぐらい良いか。


そこにどれほどの深さがあり、強さがあるかということで、

私たちの運勢の良し悪しが決まると言ってもよいでしょう。


また精神衛生の面でも、周囲の人々との仲が大切になってまいります。

仕事でも仲の良い人と働けば、

時間が経つのも忘れ、良いアイデアが生まれ、疲れもしないものですが、

仲が悪い人と働けば、その正反対。

これほどストレスになることはありません。 


しかし、たいてい人間というのは、

自分のこれまでの経験や知識で、他人の良し悪しを決めつけ、

自ら相手との仲を悪化させてしまいがちです。


良いとか悪いということにこだわると、

そこに必ず誰かが傷つくことになります。


また実際がどうあろうとも、

他人を悪く思うことは自分自身の心が乱れ、傷つき、

相手との仲も悪くなっていく一方であり、

自他ともに損をすることばかりなのです。


悪いものをただ悪く思うだけでは善後策は立ちません。

悪く思わない心があってはじめて、

「その人のためにどうしてあげたらよいか」

「どうすればその人と良い仲を築けるか」という善後策が立ちます。


大切なことは、ただありのままを見て、

そこで善後策を立てていくことです。

そして、ありのままの姿を見るためには、

まず自分自身の善悪正邪の物差しを捨てなければなりません。


お道の教えにこのようにあります。

『自分が正しいと思うことが、自分の敵である』

善悪正邪の物差しを捨てられない最大の理由は、

「自分は正しい」という慢心であります。

それこそが己の敵である、と教えておられるのです。


良いとか悪いとかいうことは程度の問題であり、

良いと言えば皆が良いとも言えるし、悪いと言えば皆が悪いとも言える。

人間を知れば知るほど、

そう単純に良し悪しなど言えないことに気付かされます。


良い仲を築くためには、まず善悪正邪の物差しを捨てることです。

「自分は正しい」と思う己の敵に打ち克って。

信心から出る言葉

平成二十一年に百一歳で亡くなられた臨済宗の禅僧、

松原泰道(まつばら たいどう)師は、

『言葉は心の足音』と教えられました。


思わずハッとされられる教えであります。

私自身のことで考えてみましても、

心が乱れている時には自然と言葉も乱れていることに気付かされます。

怒っている時やイライラしている時などには乱暴な言葉を使い、

また乱暴な口調になっている。

また逆に、嬉しい時や楽しい時には自然と柔和な言葉、柔和な口調となっている。

そのように自分自身の感情が言葉として音となって表れるので、

松原師は「心の足音」と仰ったのでしょう。


自分自身の心というのは、はっきりとは見えず聞こえず、

それがゆえに見失いやすいものでありますが、

心の足音、自らの言葉であれば、しっかりと我が耳に聞くことが出来るものです。


かつて日本は「言霊の幸わう国」と呼ばれていました。

「言霊」とは言葉に宿る霊(たましい)の働きのことであります。

言葉とは「ことの葉」、葉はものを包むものでありますから、

言葉という風呂敷に、自分の一番綺麗で元気な霊(たましい)を包んで、

人に差し上げるのが本来の姿なのであります。

それではじめて、言葉を渡した者も、言葉を受け取った者も

喜び幸わう。両方が幸せになれるのです。


本当に良い言葉を出すには、その心掛けで毎日やって行かねばなりません。

毎朝の「おはよう」から信心が始まるのです。


これまで言ったことのない「おはよう」の言葉を、

親に対し、妻に対し、子どもに対し、心掛けていく。

そこから一日の信心が始まるのです。


その信心から出る言葉の一つひとつが、

私たちの生活を幸わうものにして下さる。

そこに神様がお働き下さるのです。


自分だけの為ではありません。

良い言葉は良い言葉を生んで来るものですから、

周囲の人々をも助けることに繋がっていくのです。


普段何気なく使っている言葉の中に、

どれだけの愛と祈りを込められるか。

そこのところを、共々に取り組ませて頂きたいと願います。

腹は立つけど…

臨済宗中興の祖と称され、

五百年に一人の名僧といわれた白隠(はくいん)禅師に、

このようなエピソードがあります。


ある人が、

「和尚さん、あなたの怒った顔を見たことがありませんが、

 あなたには腹が立つということはないのですか?」

と伺ったところ、

「石の地蔵さんじゃなんだから、わしだって腹が立つぞ」

と答えられた。

「でも、和尚さんの怒ったところを見たことがないですが…」

と不思議がると、

「わしは腹は立つけど、怒らんだけじゃ」と答えられた、とあります。


腹は立つけど、怒らない。


なんとも不思議な表現ですが、

よくよく考えてみますとその通りなのです。


人間、腹を立てないと発奮もしませんし、

社会の悪にも義憤を感じなくなる。

しかしそこで怒って、ただ感情に身を任せてしまうかどうか。

ここに運命の分かれ道があります。


つまり、腹が立つという本能的な反応と、

実際の行動との間に、私たちの「心」があり、

実際の行動を自分自身で選択する自由があるのです。


動物は本能によって行動することしか出来ませんが、

人間には、人間独自の心をつかって、

全く新しい行動パターンを自分自身で描いていくことができます。

ここに人間に与えられた無限の可能性があるのです。


それが良心というものであり、

このお道で言うところの

「分け御霊」(人間がこの世に生を受ける時に、神様から与えられる魂)

のお働きなのです。


お道の教えにこのようにあります。

『信心の浅い時には、人から悪く言われるとすぐ腹が立って、

 こらえきれないで、すぐに仕返しをしようなどとする。

 しかし、信心が少し進んでくれば、

 人から悪く言われると、腹は立つけれども、

 信心しているからと思って堪えられるようになってくる。

 信心がずっと進んでくると、人から悪く言われても腹が立たない。

 腹が立つどころか、かえってその人が気の毒になる。』


私たちが本能の奴隷とはならずに、

「怒り」と上手に付き合っていくためには、

神様から与えられた「分け御霊」が

いつでもお働き下さる心の在り方となっておく必要があります。

その稽古をさせて頂くことが信心なのです。

難はみかげ?

お道の教えに、『難はみかげ』とあります。

苦難がみかげ(幸せ)だなんて、

ずいぶん無茶に聞こえるかも知れませんが、

この教えを素直にいただけば、

苦難の中にはそれだけのものがある、ということなのでしょう。


それならば、苦難に遭ったときには、

「難はみかげ」と心に決めて、苦難に徹する。

苦難の渦中にある自分をしっかりと見ることが、

一番の対処法なのかも知れません。


人間はみんな何かで苦しむものです。

その一人ひとりの苦しみも、決して生半可なものではありません。

胸につかえる問題は誰の人生においても、次々と起きてまいります。


しかし、他人の苦しみは自分に分からないものですから、

「どうして自分だけが不幸になるんだ、理不尽な目に遭うんだ」

と思うものですが、決してそうではないのです。

必ず自分と同じような思いをしている人が、世の中にはいるのです。


そこで、自分と他人の苦しみを比較してどうこう考えるよりも、

まずは自分の苦しむ問題をしっかりと見ていく。

苦難の中にある自分を見ることに徹していくのです。


自分を見ることに徹することで、

はからずとも幸福なときには得られなかった

人生の別次元の喜びや価値に出逢うことになります。

本当の意味で他人の苦しみが理解出来るようになります。

苦難が、人間を大きく成長させるための尊い縁ともなるのです。


そこではじめて「難はみかげ」となる。

不幸は幸せとなる。自らの「いのち」の根が深くなり、

よりしっかりとした人生を送ることが出来るようになる。


人間の本当の幸せとは、人生で出逢う苦難を、

自らの心が乗り越えた先にあるのです。


苦しみや悲しみというのは、

その時は一生続くような気がするものですが、絶対続きません。

天気を見ても明らかなように、すべて移り変わっていくのです。


苦難の時にこそ、尊い縁を頂いたと思い、

その苦難の中にある神様のプレゼントを

しっかりと受け取らせて頂きましょう。
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