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今しかない

昔の歌に、
「それ見たか 常が大事じゃ 大晦日」とあります。

まだまだと思っている内に
やって来る大晦日を目の前にして、慌てる私たち。

昔も今も、まったく変わりません。

大切なことは、
今月今日、只今(ただいま)を大切にするということです。

考えてもみて下さい。

私たちが幸せを感じたり、
不幸せを感じたりするのは、いつでしょうか?

それは、昨日でもなく明日でもなく、
今しかない。

つまり、幸せも不幸せも
「たった今」以外のどこにもないのです。

人生を創るのはまさに、この一瞬、「今しかない」のです。

では、それほど大切な「今」を、
どのように過ごしていけばよいのでしょうか?


教えには、このようにあります。

『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』

過去を忘れるということは、
過去を捨てることではありません。

過去は既成の事実ですから捨てられませんが、
とらえ直すことはできるはずです。

過去にマイナス思考で受けとめていたものを、
プラスに見直すことはできます。

それが「昨日を忘れ、今を喜ぶ」ということ。

そして、将来を楽しみに生きよ、と教えているのであります。


信心とは苦難が一切無くなることではありません。

人が人として生きていく以上は、
苦難にどうしても直面していきます。

しかし、事実として苦難がありながらも、
そのことで心が苦しまなくなる、
その苦難の中に「ありがたい」と思える心が
生まれてくることが信心なのです。

ですから信心する人は、
反省はしても後悔はせず、
「今しかない」と心に決めて、
嬉しく楽しく有り難く、
今の一瞬一瞬を生きていくことが大切です。
 

さて、今年も残すところあと少しとなりました。

「光陰矢の如し」と言いますが、
時が経つのが速いと感じられることも、
年齢を重ね、この人生というものが分かってきた証拠でありますから、
喜びの心を持って、新たな年を迎えさせて頂きましょう。

皆様、どうぞよいお年を。合掌。

就職活動に向けて

今年も学生たちの就職活動が本格的にスタートしたようです。

電車に乗っておりましても、
リクルートスーツに身を包んだ就活生が多く見られます。

厳しい競争の中で、かつ短期間で
自分の行く末を決めなければならない。

就活生となる子供がいる家庭では、
早くもピリピリとした空気が漂っていることかも知れません。

就職活動を通して、大半の学生が、
はじめて自分自身を社会に売り込み、
そして社会から厳しい評価を受けることになる。

期待以上に不安や重圧を感じるのは当然であります。

しかし同時に、そうした不安や重圧を
どのようにして乗り越えるかということを学び、
鍛えられる貴重な機会でもあるのです。

ここで周囲の大人たちも試されることになります。

とにかく条件の良い会社に入ればよい、
世間体がどうのこうのと、
その子を叱咤すればよいのでしょうか。

「お金」や「楽できる」、「見栄をはれる」ことを優先することが、
果たして本当にその子にとって、幸せな就職になるのだろうか。
ここのところを改めて考えなくてはなりません。

それよりも大切なことは、
その子がこれからの将来、
何をして人のお役に立ち、
喜んでもらい、
感動してもらえるか、ということ。

内定が出た企業に対し、
そこが仮に第一志望でなかったとしても、
感謝して「働かせていただきます」と言える心を
養う手助けをすることであります。


教えには、このようにあります。
『仕事をするというから神は見ている。
仕事をさせていただくという心になれば、
神はつきまとってさせてやる』

就職活動に求められるものは、
仕事に対する熱意と、謙虚に学び続けようとする姿勢であります。

しかし若さというのは、
熱意が勝ってどうしても謙虚さが薄れてしまう。

自信があることは結構なことですが、
それが人や企業を見下したり、
見る目を曇らせてしまうのです。

これでは良い結果に繋がらない。

自信と慢心とは常に紙一重であります。

就職活動という一大事でこそ、
仕事はさせていただくもの、
という心をしっかりと学生に伝えていきたいものであります。

あいよかけよ

インドにこのようなお話があります。

ある国王がお城を建てた際、
東西の壁に絵を描いてもらおうと、
国内屈指の画伯二人に依頼をしました。

期間はたったの一ヶ月。

西の壁を担当した画伯は早速に描き始めました。

しかし、東の壁を担当した画伯の方は、
一本の筆も持たず、線はおろか、点さえも描かない。
ただひたすら丹念に、壁を磨くだけでありました。

そして一ヶ月後、上機嫌でやって来た国王はまず西の壁に目をやりました。

当初はただの白壁であった壁には、
実に素晴らしい絵が描かれていました。

国王はますます上機嫌になり、
東の壁にはどんな傑作が描かれているのだろうかと楽しみに振り返ると、
なんと東の壁には何も描かれていません。

国王は東の壁を担当した画伯の怠慢を責めました。

すると画伯は微笑を浮かべ、
「どうぞここまで下がって御覧下さい」と言いました。

国王は指示された位置まで下がって、改めて壁を見ると、
磨いて磨いて磨き上げたその壁に、
西の壁に描かれた絵がまことに美しく浮かんできた、
というお話です。

さて、このお話から私たちが学ぶべきことは何でしょうか。

それは、相手を引き立てることで
自分の仕事が映えるということであります。


教えには、このようにあります。
『あいよかけよで世は治まるのである』

「あいよかけよ」とは昔の岡山地方の方言で、
「よいしょ、こらしょ」のような、
二人で息をそろえて物を担ぐ時に使われていた掛け声であり、
助け合い・譲り合いの関係を指しています。

運勢は人が運んでくると言われるように、
人間関係は生きるうえで最も大切なことの一つであります。

そして、人間関係は勝ち負けではなく、
協力することで深くなり強くなっていくもの。

相手を負かすことは自分を負かすことであり、
人生で本当に大切なものはすべて、
他人と協力することによってはじめて得られるものなのです。

夫婦でも、職場の同僚でも、
お互いを見合うのではなく、
同じ目標を共に見上げることが
円満な人間関係を築くコツであります。

同じ目標を共に見上げ、
「あいよかけよ」で共に前に進んで行けるのです。

「幸」と「福」

普段私たちがよく口にする「幸福」という言葉は、
学問的には「二種類の良いことの集まり」であるそうです。

と言いますのも、「幸」と「福」、
同じ「さいわい」という意味で用いられる言葉でも、
字の本来の意味は、実は大変異なるものなのです。

「幸」という字は、その「さいわい」の原因が、
自分の力によるものではなく、
たまたま他から与えられたに過ぎないものを言います。

金持ちの家に生まれ育ったとか、
ルックスに恵まれたとかいうのは、
まさに「幸」であり、「さいわい」には違いありませんが、
偶然の産物でありますから、いざというときに当てにならない。

これに対して「福」の方は、
その「さいわい」の原因が、自分自身の努力によるものを言います。

つまり、実際に苦労して苦心して
勝ち得た「さいわい」を「福」と言うのです。

福という字を見れば分かる通り、
示偏(しめすへん)は神様のことで、
つくりの方は「収穫を積み重ねた」ということ。

すなわち「福」とは、神様の前で積み上げられたものを表すのです。

では、私たちは「幸」と「福」、
偶然の「さいわい」と、必然の「さいわい」、
どちらを求めて生きるべきなのでしょうか。

答えは言うまでもないでしょう。 


御教えに、このようにあります。

『わが心でわが身を救い助けよ』


信心と、頼るということが混同されがちであります。

信心とは、人や物などに頼らなくても、
幸せに生きるために必要なものを生み出す尊い力が、
自分自身の中に与えられていることに気付くことであります。

挨拶でも、親切でも、仕事でも、
こちらからできるだけ余分にして出るところに、
人間の本当の幸せがあり、喜びがある。

今まで他からしてもらうことばかり考えていたことが
間違いであったことが分かり、
本当の幸せも喜びもそこにはないのだ
ということに気付くことが大切であります。

何かに頼ろうとする心を捨て、
「さいわい」は全てわが内、わが心から
生まれるものであることに気付き、

そこを目指して歩いていく生き方が、
本当の幸福を約束してくれるのです。
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