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畏れを知る

「経営の神様」と呼ばれた
松下幸之助(まつしたこうのすけ)さんは、
ある時、部下に対し、このような問いを投げかけました。

「君、豊臣秀吉もナポレオンも素晴らしいリーダーやった。
 ところが二人とも幸せな晩年を迎えることはできなかった。
 これは君、何でやと思う?」

その答えとは、
「畏れるものがなかったから」だと言うのです。

実業会において、怖いものがないほど
登りつめられた幸之助さんではありましたが、
決して驕ることなく、自らを律することが出来たのは、
その「畏れ」があったからだというわけです。

幸之助さんが言った「畏れ」とは、
ただ何かを怖がるというような意味ではなく、
そこにはもっと深い意味があると思います。

それは、神仏を畏れ敬い、
人間の欲望を畏れ慎むということであります。

いくらお金を稼げるようになったからと言って、
また、いくら人としての生き方が分かったからと言ったところで、
自分の思いや行いが百パーセント間違い無いなんてことは有り得ません。

気を抜けば、怠け心が起こる。
傲慢になる。人を見下したりもする。
そうなってしまう自分の弱さが怖い。

また、そのような傲慢を許さない、
この天地を貫く道理、働きというものが怖いのです。

これらは、暗闇が怖いとか、
犬が怖いとかいう怖さとはまったく次元が違う怖さです。

幸之助さんは、そうした「畏れ」というものを、
常に持つことが重要である、ということを
部下に諭したかったのではないでしょうか。


お道の教えに、このようにあります。

『信心する者は、常平生、心にみきを供えて祈れ。
 …みきというのは、
 ありがたき、畏れ多き、もったいなきの三つのきである。
 信心する者の心からこの三つのきが抜けたら、おかげは受けられぬ。』

「ありがたき」「もったいなき」という感謝と慈しみの心と共に、
「畏れ多き」の心があるのが、
信心生活者(信者)が目指す心の在り方なのであります。 

日々、自らのいのちの調子を整えていくためには、
「畏れを知る」ことも大切なのです。

テーマを変えてみよう

オーストリア出身の精神科医、
アドラー博士は、非常に有能な学者であるとともに、
実際に何千人もの精神病患者を救った人物であります。

博士には、自称「二週間治療プラン」というものがありました。

それは、もし患者が自分の指示通り実行するなら、
どんな精神病でも、たった二週間で治してみせる、
というものでした。

ある日、ひどい鬱の女性が博士に診てもらいに来ました。

博士は彼女に
「私のアドバイスに従ってくだされば、
ほんの二週間であなたの鬱を治してみせますよ」
と言いました。

彼女は、あまり気乗りのしない感じで、
「私に、どうしろって言うんですか?」
と尋ねました。

すると博士は、
「二週間、毎日ひとつずつ、
だれか他の人のためになることをしてごらんなさい。
そうすれば、二週間後には鬱は全快していますよ」
と答えました。

彼女が難しそうな顔を見せると、
博士はにっこり笑って、

「他の人のために何かをしてあげようとは思えないのなら、
 もしするとしたら自分にできることは何だろうと、
 考えるだけでも考えてごらんない。」

二週間後、彼女は見事に鬱を克服したそうです。


人間、苦しいときには
自分の助かりを願うのは当たり前ですが、
自分のことというのは、願いやすいように思えて、
実はたいへん難しい。

願いながらも、
どうしても心配や不安に駆られやすいのです。

この時に、「自分についての心配」というものを、
「他人についての喜び」というものに、
意識のテーマを変えてみましょう。

我々は同時に二つ以上のことは考えられませんから、
「他人についての喜び」のテーマを選択している間は、
自分についての心配をする時間から解放され、
休息することができるわけです。

その休息こそが心には必要不可欠なのです。


お道の教えに、このようにあります。
『自分のことは次にして、人の助かることを先にお願いせよ。
 そうすると、自分のことは神がよいようにしてくださる。』

心配や不安など、自分のことは
すべて神様にお任せしてしまって、
人の助かり、喜びにテーマを変えてみましょう。

もっと楽に生きられる筈ですよ。

人を動かす

世界的ロングセラーであり、
自己啓発書の元祖とも称される
デール・カーネギー著『人を動かす』の冒頭には、

「人を説得しようとすることは無駄である」
と書かれています。

「人を動かす」というからには、
何か上手い言葉を使って人を説得するのだろう
と思いきや、面白いことにまったく違うのです。

それどころか、議論に勝つ最善の方法とは、
議論を避けることである、とまで言い放っています。

何故なら、議論をすれば、例外なく、
お互いがますます「自分の意見が正しい」と
思い込んで終わるからだと。

つまり、
「たとえ議論に勝ったとしても、
相手の意見は決して変わることはない」。

これが長年人間について研究を重ねたカーネギーの結論でした。

では、どうすれば人を動かすことが
出来るというのでしょうか? 

カーネギーはその方法は唯一つしかないと断言します。

それは、「相手の欲しがっているものを与える」ことだと。

そして、相手が欲しがっているものとは、
理解と感謝なのだと。

人を説得するのではなく、
相手が動きたくなるように仕向ける。

つまり、
求めるのではなく、与えることに注力する。

それがカーネギーの発見した
「人を動かす」秘訣だったのです。

さて、信心においても、
カーネギーの「人を動かす」秘訣と同様に、
「求めるのではなく、与える」姿勢がとても大事になります。

お道の教えに、このようにあります。

『おかげ(幸せ)はたらいの水である。
 向こうへやろうとすれば、こちらへ来る。
 こちらへ取ろうとすれば、向こうへ行く。』

たらいの水を、向こうへやろうとするか、
こちらへ取ろうとするか。

そこに幸せと不幸せの分かれ目があるのです。

自分の幸せばかり追い求めても、
与えることなし に真の幸せは得られない。

たらいの水を向こうへやろうとするように、
「まず自分から与えよう」とする心。
この心が信心であります。

人が気持ち良く動いて下さるような信心を、
日々心掛けていきたいものです。

念ずれば花ひらく

「念ずれば花ひらく」で有名な、
坂村真民(さかむら しんみん)先生の詩は、
年令、職業を間わず幅広く愛唱され、その生き方とあわせて、
「人生の師」と仰ぐ人が多いそうです。

先生が八歳の時、小学校の校長をしていた父親が急逝し、
一家の生活はどん底に落ちます。

父親の死に目に会えなかった長男の先生に、
母親は父の喉仏を与え、
「今日から毎朝水をあげるように」と命じました。

それから先生の早起きが始まります。

誰も起きないうちに共同井戸の水を汲みに行き、
父の喉仏にあげるのが日課となりました。
その日課は生涯続いたそうです。

母親は五人の幼子を育てるために懸命に働きました。

その母親の働く姿、
そして母親が常に口ずさんでいた、「念ずれば花ひらく」という言葉が、
先生の心に焼き付いて、あの有名な詩が生まれたのです。


念ずれば花ひらく 

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった
  
そうしてそのたび
  
わたしの花がふしぎと
  
ひとつひとつ ひらいていった


「祈ることしか出来ない」
という溜め息混じりの言葉をよく耳にします。

これは、
「自分には何も出来ないから、
せめて祈りはするが、祈ったところでどうにもならない」

と、「祈り」を過小評価しているのではないかと思うのです。

「祈り」には力があります。

このことは、本気で祈り、願い、念じた者のみが分かることであります。

つまり、「祈ることしか出来ない」のではなくて、
どんな絶望的な状況にあっても、「祈ることだけは出来る」のです。

お道の教えに、
『願う心は神に届くものである。』とあります。

そして、その願い、祈りというものが
生涯を貫いて生きることの在り方を決めていくのです。

「念ずれば花ひらく」という言葉を、
私たちもいつも心に留めておきたいものです。
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