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秘すれば花

能楽を大成した世阿弥(ぜあみ)の
『風姿花伝(ふうしかでん)』に、
能の極意は「秘する」ところにあると書かれています。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

風姿花伝には「花」という言葉が度々出てきますが、
これは植物の花のことではなく、
能の命である、人に感動を与える面白みのことを言っています。

その面白みというものは、秘する、
つまり人に隠しておいて、
ここぞという時に見せるからこそ驚きがあり面白いのであって、
予め隠しておかなければ何の面白みもない、と言い切っているのです。 

「秘すれば花」とは、
謙虚な生き方が大切だというような人生訓のように聞こえますが、

実はそうではなくて、自らを最大限面白く、
感動的に見せるための方法であり、心構えなのです。

では、実生活において、私たちの「花」、
つまり私たちの魅力というものを最大限引き出すために
「秘する」こととは一体何なのでしょうか?

その最たるものが、
実績、経歴、人脈などの
人物を背後から支える「背景」というものです。

一般的には、「背景」も一種の強みなのだから、
どんどん人に言うべきだと思われるかも知れませんが、
これこそ「秘すれば花」なのです。

隠された経歴、人脈が
ここぞという時にチラリと出るところに、「花」がある。

奥床しさがあり、人は魅了されるのです。

背景が前景にあっては、美しく見えないものなのです。

しかし大半の人が「自分を大きく見せたい」という欲求に負けて、
秘するどころか、そもそも無い背景まで見せようにしてしまうため、
実体がついていかず、自他共に幻滅の悲哀を味わうことになるのです。

人から認められたい、
賞賛されたい、
自己満足を得たい、
そういう強い欲求が仇になるのです。

これらの欲求にはキリがありません。
だからといって、強い欲求ゆえに捨て切ることも出来ません。

ですから、その強い欲求の矢印の向きを、
外側から内側に変えて「秘する」ことが重要なのです。

日々、「自分を大きく見せていないか?」と自問自答しながら、
努力を怠らず秘密を蓄えておく智慧こそが、
自らを花のある存在にしてくれるのです。

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叱られるススメ

所得倍増計画を打ち出し、
日本の高度経済成長の進展に大きな役割を果たした
池田勇人(いけだ はやと)元首相は、

リーダーになったら「三人の心友をもて」と
口癖のように言っておられたそうです。

三人の心友とは、
一人は優れたジャーナリスト。
一人は立派な宗教家。
一人は名医を指しています。

まず優れたジャーナリストとは、
言わば「客観的に、正しく自分を判断してくれる人」のことです。

世間の評価に関係無く、
自分の良い所・悪い所を指摘してくれる人であり、
そうした技術を有している心友のことです。

次に立派な宗教家とは、
言わば「自分の心を清く、広く、そして深くしてくれる人」のことです。

宮本武蔵における沢庵、
徳川家康における天海がそうであったように、
心のあり方を説き、自分に徳を授けてくれる心友のことです。

最後に名医とは、
言わば「身体の管理、生活習慣を正してくれる人」のことです。

正しい知識と適切な助言によって、
自分の健康管理を手助けしてくれる心友のことです。

これら三人の心友が自分の傍にいてくれたならば、
心技体いずれに間違いがあっても、
自分を叱り正してくれるから大切にしなさい、というわけです。

しかし、ここで勘違いしてはならないのは、
たんに三人の心友を持てば良いということではないということ。

大事なのは、叱られた時に腹を立てず、
心友の声に耳を傾け、
素直に自分を修正できるかどうかなのです。

いくら三人の心友がいても、
相手から「あいつはいくら言っても直らないから…」
と諦められてしまっては、自分にとって何の成長もありません。

金光教の教えに、『天に口無し、人をもって告げる』とあります。

自分にとって大切なこと、
直さなければならないことというのは、
いつも人が教えてくれるのです。

そのため、三人の心友から叱咤された時には、
特に気を付けなければなりません。

互いの関係が悪くなるのを恐れず叱ってくれた心友に対し、
自分はそのことをしっかりと受け止め、自らを修正できる、
「叱られるに足る人物」でいるかどうかを。

理想の先生

戦前の政界に大きな影響を与えた、頭山満(とうやまみつる)は、
その人物の大きさから「東洋的巨人」とも呼ばれ、
彼を師と仰ぐ著名人は数知れず、天風会の創始者で、
数多くの指導者を育てた中村天風(なかむらてんぷう)もその一人であります。

天風は師匠である頭山の力を借り、
銀行頭取などを歴任し、実業界で大変活躍するのですが、
ある時、一切の社会的身分、財産を処分し、
人を救い助ける道に生きる決心をしました。

頭山もこれには驚きましたが、
お前が望むならばと快諾しました。

それから天風は上野公園の片隅で毎日、
道行く人々に人生について説き始めたのです。

しかし世間もなかなか認めてくれません。

来る日も来る日も、同じ場所に立って話をするのですが、
誰も足を止めて聞いてくれません。

たまたま聞いてくれる人がいても、
目を合わせると怖がってすぐに逃げてしまいます。

そのため、天風もなるべく人と目を合わさないようにして話をするようにしました。

ある日のこと、その日も同じように教えを説いていると、
珍しく数人の人が話を聞いてくれていました。

しかしそこに雨が降り出したのです。

天風は構わず、雨に濡れながらも話を続けるのですが、
雨はさらに激しくなり、聞いてくれていた人たちも立ち去ってしまいました。

しかし、まだ一人だけ残って聞いてくれている人がいます。

目を合わせたら逃げられるかも知れないので、
そちらを見ないようにして話を続けます。

しかしこのような大雨の中、よほど熱心な方だと思い、
そっと目を向けてみました。

「頭山先生!」

なんと、そこにいたのは頭山だったのです。

頭山は優しく微笑み、
「うん、うん、今日からわしがお主の弟子になろう」
と言ったそうです。

天風は涙を流し、喜んだという話です。

金光教の教えに『人に教えるにもかがんで教えてやるがよい』とあります。

先生と言うと、相手に対し
上から言い聞かせる人だと考えがちなのですが、
実はそうではないのです。

相手と同じところまで降りて実際にやって見せて、
感化させる人のことを、理想の先生と言うのです。

どちらが上とか下とかこだわらないその姿勢が、
相手の気付きと喜びを引き出すのです。

全ては祈りの中に

京都大学の外科部長であり、執刀医として“ゴッドハンド”と呼ばれた、
青柳安誠(あおやぎ やすまさ)氏は、「手術は祈りである」と言いました。

もちろん、メスを使っての手術には違いないのですが、
青柳氏は執刀する瞬間、必ず神様に祈っておられたそうです。

いくら技術があっても、また簡単な手術であっても、
人間なのだから間違いを起こすかも知れない。

つまり医者として最善を尽くすだけでは、まだ足りないから、
どうぞ、この手術がうまくいきますようにと祈る必要があるというのです。

ビジネスの世界でも、稲盛和夫(いなもり かずお)氏に、
このようなエピソードがあります。

まだ京セラが中小企業であった頃です。
IBMの仕事を初めて受注した際、当時の京セラの技術力では
とても超えられないような難しい注文で、いくら試作を重ねてもうまくいきません。

若い技術者たちも徹夜の連続でついに疲れ果て、泣きだしてしまいました。

そこで稲盛氏は彼らにこう聞いたのです。

「神様に祈ったのか?」と。

神様に祈る、そういう敬虔な気持ちで努力しなければならないのだ、
と技術者たちは受け取り、この難題を見事に乗り越え、
当時まだ弱小零細であった京セラが一大飛躍を遂げていくきっかけとなったそうです。

金光教の教えには、「実意丁寧神信心」という一本の太い柱があります。

実意丁寧とは、思いと行動が親切であり行き届いているということ。

神信心とは、自分の心を神に向け、
「させていただきます」「どうぞ自分を使って下さい」と祈ることです。

この実意丁寧と神信心とがセットとなっている必要があるのです。

「親切であれば良い」「丁寧であれば良い」というものではなく、
かといって「神に祈っていればそれで良い」というものでもない。

「実意丁寧神信心」をいつも心に置いて、
仕事に、家庭に、打ち込みなさいという考えであり、その為の教えなのです。

そうすると、生活と祈りとは別々のものではなく、
生活全体が祈りということになってきます。

医療、ビジネス、自分の役割が何であれ、そこに実意丁寧のベストを尽くし、
祈りの中に生きる姿勢が、大きな徳を呼び込むのです。

人生帳簿

ロビンソン・クルーソーは、アフリカへの渡航中に船が難破し、
無人島に唯一人打ち上げられて生き残ります。

しかし、生き残ったことを喜んだのも束の間、
助けも呼ぶことも、島から脱出する術もなく、
これからどうしたらよいのかと悩み始めるのです。

「このままでは、精神的にダメになってしまう…」

そんな自分を慰めるために、
ある方法によって心を感謝の気持ちに変えることに成功します。

その方法とは、帳簿の借方(かりかた)、貸方(かしかた)を書くのと同じように、
自分が経験したこと一つひとつについて、
「不幸せ」と「幸せ」な点をそれぞれ書きだし、対比してみるというものです。

持ち物についてならば、
「着る服が無い」という不幸せに対し、
「服があっても、着られないほど暑い場所にいる」という幸せがある。

境遇についてならば、
「脱出する望みは限りなく小さい」という不幸せに対し、
「他の乗組員たちのように溺れ死なずに生きている」という幸せがある。

このように対比していくと、
最終的な差引勘定では「十分幸せである」という結論になり、
そのことを神に感謝しているのです。

ロビンソン・クルーソーはダニエル・デフォーの物語の中の人物ではありますが、
この人生帳簿をつける方法は、実社会でも大いに効果を発揮します。

何か物事を決める時でも、
どんな案であれ、必ず善し悪しというものがあります。

どちらか決めかねる時というのは、得てしてどちらでも良いことなのです。

私たちは思い悩むよりも、
その良い部分を伸ばし、悪い部分を補うことに、もっと神経を集中すべきなのです。

過去の忘れられない出来事に対しても、
「不幸せ」と「幸せ」な点をそれぞれ書き出してみて下さい。

「不幸せ」が大きい出来事ほど、「幸せ」もまた大きいことに気が付きます。

実際に書いてみることによって、
「不幸せ」な出来事ほど、今の自分にとって、
なくてはならない出来事であったことが明確になるのです。

高額なセミナーやカウンセリングに通わなくとも、紙とペンさえあれば、
マイナスばかりに気をとられていた人生帳簿に預金残高があることを実感できるはずです。
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