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あきらめる心

臨済宗中興の祖と称され、
五百年に一人の名僧といわれた白隠(はくいん)禅師に、
このような逸話があります。

禅師の檀家の、ある財産家の娘が妊娠しました。

娘の父親が一体誰の子かと問いましたが、
娘は黙り込んでいます。

怒った父親がなおも激しく問い詰めたところ、
娘は恐れのあまり、咄嗟に「白隠禅師です」と嘘をついてしまうのです。

父親は禅師の所へ怒鳴り込み、さんざん罵りました。

禅師はというと、これに対し何の言い訳もせず、
生まれた赤子を引き取り、育て始めたのでした。

しかしこの出来事により、
禅師の名声は地に堕ち、近所の大人たちから罵倒され、
子供たちからは石を投げつけられ、
大勢の弟子たちが去って行きました、

それでも禅師はこの赤子を可愛がり育てました。

懐に赤子を抱き、もらい乳をしながら托鉢に回る禅師の姿を見て、
娘も堪え切れなくなり、涙を流しながら、
父親に嘘をついていたことを告白しました。

父親は仰天して、禅師に手をつき何度も謝りました。

すると禅師は「そうか」と言って、娘に赤子を返しました。

その噂はたちまち世間に広がり、寺は以前にも増して栄えたそうです。

とても真似できない行為ですよね。

普通なら「私の子供ではない」と身の潔白を訴えるところです。

しかし禅師はそうはしない。

もし自分が真実を言えば、子の命は奪われてしまうかも知れない。

そこで禅師は、「お前が父親だ」と言われた際、
「このような事になるのも、全て私の業の結果であり、運命である」
と考え、諦めたというのです。

諦めたというと、弱気で消極的に聞こえるかも知れませんが、
「諦める」という漢字は、
「帝(みかど)」と「言(ことば)」から成り立っています。

帝が言を発する程に覚悟が必要な意味だと解すると、
「諦める」とは、実は並大抵の覚悟では使えない言葉なのです。

また、諦めるという漢字は「サトル」とも読みます。

自分に与えられなかったものを懸命になって追い求めるよりも、
与えられたものを運命として諦め、
その中でいかにより良い人生にしていくかとう心を、
私たちはより真剣に学ぶべきなのではないかと思うのです。

身は低く、志は高く

劉備玄徳(りゅうびげんとく)は「三国史」の英雄であり、
人間的魅力と器量のある人物として有名です。

そんな劉備の人柄をうかがえるエピソードの一つに、
あの有名な「三顧の礼」があります。

当時、劉備はまだ国を治める立場にはありませんでしたが、
関羽や張飛といった有能な部下をもつリーダーには違いありませんでした。

そのリーダーが、無名の書生である諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)に
「どうか、仕えてほしい」と頼みに、自ら会いに行くと言うのです。

しかも一度行っても会えず、二度目も会えない。

三度目でようやく面会することができ、
「三顧の礼」で諸葛亮を軍師として迎えたのでした。

当時のリーダーとしては考えられないほどの低姿勢っぷりなのです。

さらに驚くべきは、劉備と諸葛亮の年齢差です。

その差、なんと20歳。

いくら有能とはいえ、息子ほど歳の離れた相手に、
そのような姿勢を死ぬまで貫いたのですから、
劉備の謙虚さ、柔軟さは筋金入りだったと言えるでしょう。

さて、今やビジネスの現場では
終身雇用や年功序列といった言葉が無くなりつつありますね。

私も経験がありますが、年下が上司になることや、
上司・部下がコロコロ変わることは、
特別変わったことではなくなってきているのです。

そうした環境下で、どのような役割・ポジションにあっても、
周囲から尊敬され、活躍するためには、いったい何が大切なのでしょうか?

その答えこそ、戦国の世にあって、
年齢・役職に関わらず相手に頭を下げることが出来た
劉備のような生き方にあるのではないかと思うのです。

老子の言葉にもあります。

「河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、
 身を低きに置くからである。
 そのゆえに、河や海はもろもろの渓流に君臨することができる。」

人間も同じことですね。

「あいつは年下だから」とか「立場が下だから」なんて言っていると、
誰もついてこないのではないでしょうか。

どのような職場であっても、
劉備のように「身は低く、志は高く」を心掛けたいものです。

夫婦円満の秘訣

世界的ロングセラーとして、
自己啓発書の元祖とも称されるカーネギーの『人を動かす』の付録に、

「幸福な家庭をつくる七原則」というのがあります。

①口やかましくいわない

②長所を認める

③あら探しをしない

④褒める

⑤ささやかな心づくしを怠らない

⑥礼儀を守る

⑦正しい性の知識を持つ

さて、あなたならいくつ実行できるでしょうか?

全項目バッチリと言う方には是非ご指導頂きたいほどですが、
実際問題たいへん難しいものですね。

私自身、未熟者で、毎日いつくかの原則を怠っていると反省しております。

原則ならば守らなければならないと分かっているのにできない。

どうやらより深いところで、
心の持ち方を変える必要があるのではないかと思うのです。

近年、「共生」という言葉がよく使われるようになりました。

この「共生」という言葉を広辞苑で引きますと、
「異種の生物が行動的・生理的な結びつきをもち、
 一緒に生活している状態」
とあります。

違う生き物が、お互いに助け合い支え合って生きているというわけです。

人間もまたしかりです。

金光教の教えに
「夫婦は他人の寄り合いである」
とある一方で、
「夫婦は家にたとえれば合掌と同じことである。
 一方がたおれると一方が立たなくなる。」
とあります。

どこまでいっても他人の寄り合いなのだから、
お互いに自立し、尊重し合わなければならない。

そうはいっても、夫婦は二人で一つということがある、
一人だけでは生きることができないから、
どうしても依存し合あわざるを得ないのです。

そうなると、
「お陰さまで」
「ありがとうございます」
という心を忘れては成り立たないのです。

「共生」という言葉を人間活動にいち早く取り入れたのは、
インドの初代首相ネルーですが、彼は
「共生以外の唯一の道は、共に破滅することである」
と言いました。

破滅するよりは共生の道を選びたいものですね。

せっかく頂いたご縁なのですから。

全ての役割に感謝する

組織論に、「働きアリの法則」というのがあります。

アリの集団の働きぶりを細かく観察すると、
よく働くアリが二割、
普通に働くアリが六割、
働かないアリが二割
という分布になるのだそうです。

それでは、よく働くアリだけを一カ所に集めたらどうなるかと言うと、
なぜかまた働かないアリがでてきて、
自然と元の通り、
よく働くアリ二割、
普通に働くアリ六割、
働かないアリ二割
になるのです。

それでは、働かないアリだけ集めるとどうなるか?

これも結果は同じで、やはり
よく働くアリ二割、
普通に働くアリ六割、
働かないアリ二割
の分担で仕事をするようになるのです。

不思議ですね。

この現象が人の組織においても見られることから、
「働きアリの法則」と呼ばれています。

では質問です。

働かないアリは、何の役にも立たないのでしょうか?

このことについて、働かないアリに関する興味深い研究結果があります。

それは、アリは巣と餌との間に
定期ルートを作って行動する習性があるですが、
その際、必ずルートを外れる働かないアリがいるようで、

実はそのアリによって新しい餌を発見する確率が高まり、
集団としての生存確率が高まるのだそうです。

人間で言えば、
普段は目立った活躍はしないけれど、ピンチになるとやたら活躍するタイプや、
皆のストレスを和らげてくれる癒し系タイプの人、といったところでしょうか。

金光教の教えに
「五本の指が、もし、みな同じ長さでそろっていては、
 物をつかむことができない。
 長いのや短いのがあるので、物がつかめる。
 それぞれ違いがあるから、お役に立てるのである」
とあります。

それぞれ違いがあるからこそ、
役割分担ができて、集団として成り立つわけです。

「よく働きアリ」の役割を担う人々は
「自分だけこんなに働いて…」と、周囲を批判しがちなものです。

しかし、もし今あなたが職場で
「よく働きアリ」として仕事が出来ているとしたら、
それは本来、感謝すべきことなのです。

「よく働きアリ」以外の役割を果たしてくれている
八割の人々のお陰で、スポットライトを浴びて、
人一倍の経験を積むことが出来ているのですから。
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