FC2ブログ

わたしがわたしになるために

相田みつをさんの詩にこのようにあります。


この世は

わたしがわたしになるところ

あなたがあなたになるところ




「出来事には必ず教えがある」と言われるように、

この人生の中で、悩んだり、迷ったり、苦しんだりした時、

この出来事は「自分に何を教えているのか」と考えてみることが大切です。

わたしがわたしになるために、あなたがあなたになるために、

その悩みや迷い、苦しみはどうしても必要なものである。

そのように頂いてみてはいかがでしょうか。


お道の教えには、このようにあります。

『神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、

人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる。』


自分の人生は、自分の魂が書いたシナリオ通りだと

信じることができたならば、心はとても楽になります。

自分の魂の書いたシナリオ通りであるなら、

過去を悔やむこともない。未来を案ずることもない。


何故なら、自分の魂の成長のために、最良、最高、最適なシナリオを、

神様と相談のうえ決めて、生まれてきたのですから。


そして、その悩みや迷い、苦しみの中にある教えをしっかりと頂いたならば、

出来事に対して「ありがとうございます」と感謝することもできるようになるでしょう。

その悩みや迷い、苦しみが縁となって、わたしが理想のわたしになることが出来、

あなたが理想のあなたになることが出来るのです。


出来事だけではありません。

恩人というのも、なにも自分にとって感謝すべき人、尊敬すべき人に限ったことではありません。

反面教師もまた恩人。自分の魂がシナリオに描いた、重要な登場人物なのです。

無駄事なんて決してありません。

心配するな

一休禅師のエピソードに、このようなお話があります。

一休禅師は八十七歳という当時としては非常に高齢で亡くなられましたが、

その亡くなる直前に弟子たちに、

「この先、本当に困ることがあったら、これを開けなさい」

と一通の封書を残されたそうです。


数年後、寺に大変な問題が持ち上り、どうしようもないので、

弟子たちは集まって、その封書を開いてみると、なんとそこには、

 『心配するな

 大丈夫

 なんとかなる』

とだけ書かれていました。

とたんに弟子たち一同、大笑いの内に落ちつきと明るさを取戻し、

難しい問題を解決できた、という話です。

本当の話かどうかはさておき、一休禅師らしいユーモアたっぷりのお話であります。


人生には色々なことが起こります。嬉しいことも、辛いことも。

しかし、そのすべてが神様からのお差し向け、言わばプレゼントなのです。

途中で何があっても、後から振り返ってみると、それは、それでよかったこと。

いのちの糧となっていくのです。

お道の教えに、このようにあります。

『心配は体に毒、神様にご無礼である。心配する心を神様に預けて、信心する心になるがよい。』

何かできる時には、そのことを精一杯させて頂けばよいですが、

どうにもならないことを自分の力でどうにかしようと思うと、解決がつかず、ますます苦しくなっていくものです。

ですから、どうにもならないことはまな板の上の鯉のように自分を神様にすべて投げ出し、お任せする。

心配する心は神様に預けてしまいなさい、と教えているのです

そのように神様に任せきり、凝り固まった考えから放れることができれば、

物事は自然と好転していくものです。

心配するな、大丈夫、なんとかなる。

このことを忘れてはなりません。

心を込めて

「話すこと」と「聞くこと」とは、まるで違うことのように思われるのですが、

まことに通じるところがあります。

赤ん坊は生まれてすぐに話すことは出来ません。

声をあげて泣いてはおりますが、何を言っているのかは分からない。

母親だけは不思議とそれが何を言おうとしているのか分かるようですが、

それでも赤ん坊が話しているとは言えないでしょう。

それがいつの間にやら、皆にも分かることを話すようになる。

なぜ話せるようになるのかと言えば、それは周囲の人の話をしっかりと聞いているからなのです。


人の話を聞いて、だんだんと分かるようになり、それで、皆にも分かることを言うようになる。

聞くことなくして、話すことなど出来はしません。

耳の聞こえない方であっても、手や唇で話される。

それも同じことであって、耳で聞く代わりに目や体の一部から、

この天地自然、人の心を受け取っているのです。

その受け取るということがなければ、

自分の思いを表現でもって人に伝えることなど出来はしません。


ですから人が話をする時には、日頃から心を込めて聞いて、

相手の心を受け取っていなければなりません。

ただぼんやりと耳を向けている、心を込めて聞いていないようであっては、

自分が話すことも自分勝手でとりとめのない話しか出来ず、

その結果、誰も自分の話を聞いてくれないようになる。これは当然のことなのです。


このお道は、「話を聞いて助かる道」と言います。

聞くという行為の中に徳が備わっていて、そこに神様がお働き下さるのです。

愚痴や不足を聞くのは誰でも嫌なことでしょうが、

その時こそ相手の本音が出ているわけですから、身を入れて本気で聞かせて頂き、

その場限りで解消してしまいさえすれば、「愚痴」と名をつけるまでもなく、

それは有り難い「打ち明け話」となるのです。 

聞き手が「うるさい、くだらない、聞きたくもない」

とはねつけた瞬間にその話には「愚痴」という名がつくのです。

聞くことに、どれだけ心を込めて聞くか。祈りを込めて聞くか。

ここが肝心であります。

自分が見えていればこそ

人生というのは何事も思い通りに行くものではない。

そのことは誰もが知っていることでしょう。

そして、何か一つの思いが叶ったとしても、また一つ思うことが増える。

一つの欲が満たされれば、また次の欲が起こる。

ですから不平や不足というのは言い出せばキリが無い。

このことも誰もが知っていることでしょう。


しかし、それらのことが頭で分かっていると言ったところで、

不足を言うのを止めるのは大変難しいことです。

それだけ、「不足の根」というのは、私たちの心に大変深く根付いているのです。


その他の根、腹立ちや心配や恨みや疑いなど、色々な困った心持ちの根というのも同じで、

自分の力でどうにかしようとしたところで、たとえ表面上は取り繕うことが出来たにせよ、

根を断つことは出来ません。根が残っている以上、何かの拍子で必ず表に現れてくるのです。


そこで、このお道では信心を通して、「自分を見よ」と説いているのです。

自分をしっかりと見て行けば、不足を言わない、腹を立てまいと心掛ければ心掛ける程、

不足に思い、腹を立ててしまう、どうしようもない私であるということが分かり、

自分の力ではどうする事も出来ない私であるということが得心出来る。

そこで自分を見直さざる得なくなる。その時はじめて一筋の光明が指すのです。


不平や不足が起こるというのは、自分を良しとし、

これ位のことはしてもらって当然だと思う気持ちが必ずどこかにあるのです。

そのような思い上がり、勘違いが砕かれたとき、不足の根も断たれるのです。


また、自分が見えることによって、相手だけが悪いと思っていたことが、

自分も相手も根本的には変わらないことが分かるところから、

相手の悪いところも許せるようになり、また善いところもよく見えてくるようになります。


自分が見えていればこそ、他の人が悪いところを出しても、

それが我が内にもあることを知っているから、簡単には責められなくなる、蔑めなくなる。

不足の根が断ち切れた時、その他の色々な困った根も断ち切れて行くのです

不機嫌にならないこと

『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、

 おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、

 神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。

 小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。

 影は形にそうと決まったものじゃ。』


ドイツの文豪ゲーテは、「人間の最大の罪は、不機嫌である」と残しています。

物を盗むことであるとか、人を殺すことではなく、不機嫌を振りまいて歩くこと。

その人が接する全ての人に悪影響を及ぼす、不機嫌こそが

最大の罪であるということです。


例えば天気一つで機嫌を悪くされる方もおられる。

天気が良ければ機嫌が良いが、天気が悪ければ機嫌も悪い。

ゲーテに言わせれば、このような人は大変罪深い人ということになりますが、

さて、皆さまはいかがでしょうか?


信心させていただくというのは、

それは例えて言うならば、自らの心に天気を持つということです。

雨が降ろうが陽が照ろうが関係なく、いつも心が晴れ渡っている。

周りの環境がどうであろうとも、自分自身に有り難い心が定まっていて、

その有り難い心を持って人に親切にし、

物事にあたっては実意丁寧な生き方ができるようになることを願い、

実践することを「信心させていただく」と言うのですね。


では、信心させていただけば何が変わるのかと言えば、

それは現在いる環境が変わるのです。

私たちの現在いる環境とは、今の自分にとっての最適な場所であり、最善の学びの場です。

ただし、私たちが今いる環境で必要なことを学び、そして成長し、

自分の心が変わったならば、次の新しい環境が目の前に現れることになる。


大半の人が自分の環境が改善されることを願いますが、

自分の心を変えようともなかなか思えない。

しかし、幸せも成功も、私たちの心の影なのです。実体が大きいほど影も大きくなる。

自らの心に天気を持ち、感謝と歓喜によって心が磨かれ成長していく時。

それは、私たちの運命が明るい方向へ展開していくときに他ならないのです。
ランキングに参加しております!
いつもクリック頂き、        誠にありがとうございます。   アヒルちゃんとネコちゃんを     1日1回ポチッとお願いします。

FC2Blog Ranking 人気ブログランキングへ

お越し頂きありがとうございます!
ご連絡はこちらよりどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター