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まだ足りぬ 踊り踊りて あの世まで

『人間は、財産ができたり、先生と言われるようになると、頭を下げることを忘れる。
 信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。
 とかく、出るくぎは打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。
 天は高いから頭を打つことはないと思うであろうが、油断をするな、慢心が出るとおかげを取りはずす。』


自信を持つことは大切なことですが、自信と慢心とは常に紙一重なのです。

いくらお金を稼げるようになったからと言って、
また、いくら人としての生き方が分かったからと言ったところで、
自分の思いや行いが百パーセント間違い無いなんてことは有り得ません。

気を抜けば、怠け心が起こる。傲慢になる。
人を見下したりもする。
そうなってしまう自分の弱さを自覚することが大切です。

天で頭を打つとは、そのような傲慢さを許さない、
この天地を貫く道理、働きを忘れるな、という御教えです。

歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎の辞世の句に、
『まだ足りぬ 踊り踊りて あの世まで』
とあります。

歌舞伎界で随一と言われた踊りの名人が、
この世を去る時に「自分はまだまだ未熟者である」と遺しているわけです。
そして、あの世でも踊りの練習をするのだと。

学べば学ぶほど自分の未熟さを知ることが大切です。そこで自然と謙虚になれるのです。

未熟者ゆえに、人一倍努力しようとする。
未熟者ゆえに、どんな人でも尊敬できる。
未熟者ゆえに、他人を責めようとしない。
未熟者ゆえに、人から注意されても怒らずに素直に受け止め、改まろうとすることが出来る。

この未熟者である、という自覚なくしては、人はすぐに傲慢になってしまい、
人間としての成長が止まってしまうのです。

自分の至らなさを痛感してはじめて人は、腹が立つことや相手を責めようとする心に打ち克ち、
成長を続けることが出来るのです。

苦労は楽の種、幸せの種

『桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。
桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているから
すぐには散らない。』

梅の花は厳しい寒さの中を耐えてつぼみを付け、
長く咲き、素敵な香りを私たちに届けてくれます。
更に花が散った後には梅の実が残り、私たちの健康の役にも立ってくれる。
花も人も、厳しい状況を懸命に耐え、そして乗り越えていくところに、
真の喜びや生き甲斐が訪れるのではないでしょうか。

雨の日に、「今日が良い天気だったらなぁ…」と今の天気を嘆いたところで
成長はありませんし、幸せにもなれません。
雨の日には、快晴とは違った別の眺めがあり、趣がある。
雨が上がった後には、美しい虹が見えるかも知れないのです。

木の中にも、樹齢何百年という木がありますね。
長い歳月をかけてそこまでになり、もう押しも押されもせず、
風が吹こうが雨が降ろうがビクともしない。
今はただ、その木がそうして栄えているだけで、その土地の品位を高め、
周囲に人が集まり、神木と呼ばれて、人から手を掌わせられたりもする。

しかし考えてもみて下さい。
そのような立派な木にも当然、双葉の時期もあり、苗木の時期もあり、
若木の時期には僅かな風にも折れそうになり、日照りには枯れそうになり、
どうなるかと周囲から心配された時期もあったはずですが、
それを耐えに耐えたからこそ、ここまでの成長があり、今日を迎えているのです。

このことを考えると、私たちもこの自分自身をしっかりと育てさせて頂くことが大切だと思います。 
仕事をさせて頂くのでも、難しい方を選択させて頂いて先に苦労させて頂きますと、
心も技術も鍛えられて、また有頂天になることもなく努力を続けることが出来るようになる。
結果として、先に楽を取るよりも、長く働かせて頂くことが出来るのです。 

梅の花のように長く咲いてお役に立つ様に、それぞれに与えられた苦労をしっかりと味わい、
精一杯勤めさせて頂きましょう。その苦労は楽の種、幸せの種ともなるのですから。

天命を知る

『神を信じる者は多いが、神に信じられる者は少ない』

孔子(こうし)の言葉にこのようにあります。
「吾れ十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。」

さて、多くの方がこの「天命を知る」、天によって定められた自分の運命を知る境地を目指され、
日々修養されているかと思いますが、それは具体的には一体どのような境地、生き方なのでしょうか。

孔子や論語と聞くと、人間の道徳に関する教えであるかのように一般的には言われますが、
「天命」というからには、そこに天、神、仏というものがしっかりとある。
教えを学んでいくと、そこに宗教というものがあるということが分かってまいります。

と言っても、宗教という言葉も実は最近出来たものであって、
孔子が生きた時代には、今のように「宗教」と「道徳」とは切り離して論じられるべきものではなく、
二つを合わせて「道」としていました。

実際に孔子自身も、十五歳から四十代までは学者的な生き方をされ、
人から様々な話を聞き、万巻の書を読んで、
知識に基づいて「四十にして迷わず」の域に達せられました。

しかし、五十代になり道というものの本質に近づいて行くにつれ、
人や書を越えた、天との関わり合いの中での
人間の生き方というものを求めていかれるようになったのです。

「信じられる」ようになるということは、相手に自分の願い通り動いてもらうのではなく、
むしろこちらが相手の願い通り動こうとすることです。

それには、起きてくる出来事を全て「与えられた」ものとし、
人であれ、仕事であれ、目の前のことすべてに、人間として出来る限りの誠実さでもって当たることしかありません。

「天命を知る」というのも、自分の特別な才能、能力に気付くということではなく、
自分に与えられたものを全て天の恵みとして受け取り用いていく中に、
自分というものが活きてくるということを知ることなのです。

表行よりも心行をせよ

『人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、
仕事に勤め、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり』

明治中期の頃、ある方が金光教祖のもとに参られ、このような相談をされました。
「徳を積ませて頂くためにしばらくの間、山に籠もって
修行させて頂こうと思うのですが、いかがなものでしょうか」

すると金光教祖は、このように御取次されました。
「それは結構ですね。しかし、何もわざわざ不自由な山に籠もらずとも、
心の中に山をこしらえて、その中で修行をされたらどうでしょうか。
自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、
また奥さんの作った料理がたとえ不味かったとしても、決して不足を言うことはないでしょう」
 
さて、修行と言いますと、
形を正すことによって心を正す表行(わぎょう)と、
まず心を正して形にまで及ぼす心行(しんぎょう)との
大きく二つに分かれます。
そして大抵の者は表行をしたがる。
これは私自身もそうでありましたからよく分かります。

元来人間の心というのは大変変わりやすいものですから、
心をただ心だけで維持しようとするのは大変難しい。
そこで、生活の中に見える形として現し、そこで維持していくようにすると、
自分の信心があたかも進んだような気分になります。
寒中に冷水を浴びたり、断食したりすることがこれに当たります。

しかし、そうした表行をして、どれだけ我が身を苦しめてみても、
残念ながらその効果とは意外と小さく、短いものであります。
山の仙人にはなれても、里で仙人になることは今も昔も大変難しいのですね。

そこで金光教祖は、「表行よりも心行をせよ」と教えておられるのです。
心行とは身に起こる一切の問題、不自由を「行」と受け切るところにあります。
しかし、受け切ると言っても、それがただのやせ我慢、忍耐であっては、それも表行となってしまいます。
真の心行とは、そこに山をこしらえて、一歩進んで嬉しい心で受け切る器を養うところにあるのです。

神が生まれる

『生神ということは、
ここに神が生まれることである』

室町時代に活躍した浄土真宗の僧、
蓮如上人がある田舎町に訪れた時のことです。

糸を紡いでいた老婆が蓮如上人に向かって、
「私は糸を紡ぎ紡ぎ、念仏を唱えております」と言いました。
老婆は心の中で、蓮如上人がきっと満足の意を表されるであろうと期待していたのですが、
蓮如上人からは思いがけない答えが返ってきました。
「婆様、そうではない。念仏を唱え唱え、糸を紡ぎなされよ」

「糸を紡ぎ紡ぎ、念仏を唱える」とは、糸を紡ぐという仕事をしながらも信心を忘れずにいる、
ということですが、蓮如上人はそれではいけないと。

そうではなくて「念仏を唱え唱え、糸を紡ぐ」。
つまり、信心を中心に置いて、糸を紡ぐという仕事をしなさい、
と老婆に教えられたのです。

仕事をしている自分がいて、その自分が信心をしているのであっては、
仕事が行き詰まった時、自分自身が行き詰まった時、助かる道はありません。

信心を中心に置けば、神様が中心に居られることになる。
神様が中心に居られて、信心させて頂いている自分が神様の手足となって働かせて頂くのですから、
仕事が行き詰まっても、自分自身が行き詰まっても、それを乗り越える力を与えて頂けるのです。

通例、神様というのは我々人間とは別にあるように思われていますが、
そうではなく、人間の中に現れる神様、生きた神様なのです。
それが人間が迷いや欲に引っかかっているから、神様が現れることが出来ない。
奥の方に押し込められている。それでは助かる道がありません。

「自分がする」ではなく、すべて神様に「させていただく」。
神様のお仕事を自分の手足を使ってさせていただき、
神様の生きておられる生き方を、自分の生活をもってさせていただくのです。
そこにこそ、助かる道があるのです。
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