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人を信じること

人を育てるとは、相手を信じ、思いやることです。

影響力のある人とは、権威をふりかざして

他人の間違いを非難する人のことでは決してありません。

相手の反感を買いながら、その人を変えることなど絶対に出来はしない、

ということを私たちは肝に銘じなくてはなりません。

誰しもが励ましの言葉を望んでいる。

自分の存在意義を認めて欲しいと切望しているのです。

ですから、他の人間が自分のことを本当に愛してくれていると信じ切れた時、

はじめて人は心の底から落ち着くことが出来、

自分の持ち味を発揮することが出来、成長することが出来るのです。


親と子の関係とは、言わばその代表例と言ってもよいでしょう。

親と子の間柄の良いところは、親が子を無条件に許すところにあります。

親は子どもの事を子ども自身が知っているよりもよく知っており、

子どもの欠点短所をもよく知っていて、その上で可愛がることが出来る。

また欠点短所を許すことが出来る。

子どもからすれば、この「知っていて可愛がってくれる」、「知っていて許してくれる」、

ここに有り難いところがあり、助かるところがあり、育てられるところがあるのです。


自分の秘密を親ほどよく知っていて、もし可愛がらないということになれば、

これほど恐ろしい敵はいません。油断も何も出来たものではない。

けれども、子どもが親の前では用心せねばという気が少しもしないのは、

自分のありのままを親が愛してくれる、許してくれる、と

子ども自身がよく分かっているからなのです。


その深い親しみは何とも言えぬものですが、

もし名をつけるとすれば、これこそが「信じる」という心持ちなのでしょう。


人を信じて励ますこと。これが出来る人はどこにいても偉大な教育者となれるのです。

人を信じてこそ、相手は誠実に応えてくれる。

優れた人間だと認めてこそ、優れた資質を示してくれるのです。

育てるとは、信じること。このことを忘れてはなりません。

有難い心持ち

自分の子どもに対して、お金を遺してあげるとか、

教育をつけてあげるというのも愛することには違いありませんが、

一番大事なことは、事に当たった時にいつでも「有り難い」と思える人間に育てることが出来たならば、

私は一番親として安心であろうと思います。


例えばお金は自分が仕事をしたことがお金になって残っているのですから、

少々のお金を遺してもらうよりも、

どんな仕事でも厭わず有難く働くことの出来る人間に育ててもらうほうが、

どれほど生涯楽をするかも知れないと思うのです。

貧乏になると人間が卑屈になったりしがちな側面も確かにあるため、気をつけることも大切ですが、

それは気を付ければまだ防ぐことが出来るでしょう。

しかし、裕福な家庭で育つ子どもに、

物を粗末にしない習慣、人を軽んじない習慣、仕事を自ら進んでする習慣を養うことの方が

はるかに難しいことですから、子どものためには、お金の無い方が実は幸せなのかも知れません。


教育も同じことで、いくら学歴が高くなっても、

心の内に有り難いという心を植え付けてあげることが出来なければ同じことだと思うのです。

ですから、子どもに対して、また誰に対してでも、

人を愛して大切にする道とは唯一つ。

それは、その愛する人自身がどのような事に出逢っても

「有り難い」と思える人間になれた時こそが当人の一番の幸せでありますから、

そうなれるようにしてあげることこそが肝心なのだと思います。


では、それはどうすれば出来るかと言えば、

まず自分自身が有り難い心持ちの人間になること。これに尽きるのです

自分が不平不満ばかりであって有り難いという気持ちでなかったら、

いくら子どもにそういう心持ちになれと言っても、それは子どもには分からないでしょう。

いい加減に聞くのが当たり前です。

ところがもし自分が有り難いという心持ちになれれば、

口では何も言わなくとも、きっとその心は子どもの芯に響くと思うのです。

まずは自分自身が有り難い心持ちの人間になること。

それが何よりもの子どもへの贈り物となるのです。

家庭は心行の場

『信心は家内に不和の無きが元なり』

人間の愛情というのは、長く保っても3年と言われますよね。

結婚してから20年、30年経っても仲の良い夫婦というのは、

愛情は無いとは言いませんが(笑)、

愛情以外の結び付きをしっかりと築き上げることが出来たからこそ、それだけ仲が良いのです。


愛情以外の結び付きとは、「尊敬」や「理解」、「共感」といった心情です。

愛情を永遠のものだと勘違いして、それにずっと寄りかかっていると、結婚生活は破綻しやすいようです。

ですから、「愛情だけでは保っても3年」ということを心に置いて、

相手を尊敬できるように、理解、共感できるように、お互いに努めなくてはなりません。


他人から言われたときは、怒らないで踏み止まることができるのに、

同じ言葉を夫・妻から言われると、すぐに腹が立つ。

そんな覚えはないでしょうか。


外では踏み止まれるのに、家では踏み止められない。

それは自分の心が未熟だからなのです。

それに尽きる。


自分の人生は、自分の魂が書いたシナリオ通りに進んでいきます。

自分の魂の成長のために、最良、最高、最適なシナリオを神様とご相談のうえ決めて、

この世に生まれてきたのです。

結婚することも、誰と結婚するかも、自分が生まれる前に決めているわけです。


何故結婚する人生を選んだのか。

それは、結婚を通して人間として成長するためなのですね。


ですから、家庭というものは、

自分の思いを通す場所でも、甘える場所でも、ストレスを発散する場所でもないのです。

家庭は、「自分の未熟な心を成長させる場所」。心行の場なのです。


結婚をして、お互いにわがままが言い合える状態になったとき、

いかに踏みとどまって相手を受け入れることができるか。

それこそが問われているのです。

親と子

『神は人間の親様である。

 信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである』


神様とは、人間を祟ったり罰を与えたりする存在では無く、

人間を愛してやまない親神様なのですね。

考えてみれば、数多ある人間関係の中でも親と子の間柄ほど、根本的に「善いもの」はないのです。

何故それほど善いかと申しますと、それは、親が子を無条件に許すところにあります。


親は子どもの事を子ども自身が知っているよりもよく知っており、

子どもの欠点短所をもよく知っていて、その上で可愛がることが出来る。また欠点短所を許すことが出来る。

子どもからすれば、この「知っていて可愛がってくれる」、「知っていて許してくれる」、

ここに有り難いところがあり、助かるところがあり、育てられるところがあるのですね。


自分の秘密を親ほどよく知っていて、もし可愛がらないということになれば、これほど恐ろしい敵はいませんよね。

油断も何も出来たものではない。

けれども、子どもが親の前では用心せねばという気が少しもしないのは、

自分のそのまま、ありのままを親が愛してくれる、許してくれる、と子ども自身がよく知っているからなのです。


その深い親しみは何とも言えぬものですが、

もし名をつけるとすれば、これこそが「信じる」という心持ちなのでしょう。

他の人間が自分のことを本当に愛してくれていると信じ切れる時、人は心から落ち着くことが出来ます。

その代表例が、親と子の関係なのです。

同じ親でも、神様は人間よりも遥かに気が長く、心が広い。

責めるところが一切無い為に、ものを言われることもない。

これ程愛情深い親はいないのですね。

私たちがこの人生で信心のご縁を頂くことは、その親神様と出逢ったということ。

その「一生死なぬ父母」に巡り合えたことに御礼を申し、

親に恥じぬ生き方を心掛けていくのが、信心なのです。

立場と役割とは

『氏子あっての神、神あっての氏子、

子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、

天地のごとし、あいよかけよで頼み合いいたせ。』


人はそれぞれに立場と役割を持って生きています。

結婚すれば夫・妻となり、その夫婦に子供が生まれれば、

その夫婦は、生まれた子に対して親となる。

親となった以上、そこにおのずから親の立場としての役割を受け持つことになる。

そして、親の立場としての役割を子に対して果たしていくことで、親は真の親になっていくのです。

それが親の道であり、親として生きるということです。


そして子もまた親に対して、子の立場と役割を受け持つ。

子の立場としての役割を親に対して果たしていくところに、子の道があるのです。


そのように一人ひとりがそれぞれ異なる立場と役割をもって生きているからこそ、

一人ひとりが異なる問題を抱え、一人ひとりが異なる願いを持って生きているのですね。


そして、そうした一人ひとりに神様が向かわれているのです。

難儀な氏子が一人ひとり神様に向かい、それぞれの願いに道がつき、

立ち行くことが信心の目的とするところです。


「あいよかけよ」という言葉は昔の岡山地方の方言で、

「よいしょ、こらしょ」のような、二人で息をそろえて物を担ぐ時に使われていた掛け声であり、

助け合う関係を指しています。


親は子のことを神様に願い、親の立場としての役割を子に対して果たしていく。

子は親のことを神様に願い、子の立場としての役割を親に対して果たしていく。

親も子も、それぞれに願い合って、違う立場の役割を果たしあって生きていくのです。

そのように親と子が、万物を生かし育むこの天地のごとく願い合い、

働き合っていくところに、お互いが共に助かる道が開けてくるのですね。


「氏子あっての神、神あっての氏子」とは、

そのように私たち一人ひとりの願いに道がついていくことが、

私たち人間の願いの成就であるだけでなく、神様の願いの成就ともなるのです。
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