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影は形に添う

ロンドンにある世界遺産ウェストミンスター寺院の地下室には、次のような碑文が刻まれています。


何の束縛もない若かりし頃、想像は果てしなく広がり、私は世界を変えることを夢見ていた。
ところが、年を重ねて賢くなり、世界は変わらないことに気づいた。

そこで、目指すものをもう少し近いものにして、自分の国から始めることにした。
だが国も変わらなかった。

老年期に入り、私の願いは悲痛な思いに変わった。
自分の国もだめなら、少なくとも、最も近くにいる家族を変えることにした。
だが、悲しいことに、これすらままならなかった。

今、私は死の床についている。
なんと、今になって初めてわかったのだ。
変えなければいけないのは、自分自身だったのだと。

自分が変われば、家族も変わっただろう。
そして家族に励まされ支えられながら、国をよくすることもできたろうし、
やがては世界を変えることすらできたかもしれないのだ。


人間は、自ら背負った運命というものを、
明るい方向へも暗い方向へも変え得る力を与えられて生まれてきています。
それだけに難しい問題も多々あるわけですが、
運命を明るい方向へ展開してこそ人間に生まれてきた甲斐があるというものです。 

本気で自分の運命を開き、今の環境を改善したいと願うのであれば、
唯一自分自身で変えられるもの―自らの心―を改めなければなりません。

雨が降ろうが陽が照ろうが関係なく、いつも心が晴れ渡っている。
周りの環境がどうであろうとも、自分自身に有り難い心が定まっていて、
その有り難い心を持って人に親切にし、物事にあたっては実意丁寧な生き方ができるようになる。
そのような本当にしっかりとした人間にならせていただくことを願い、
実践することが心を改めるということです。

幸せや成功は、言わば私たちの心の影です。
影は形に添うのが道理です。自分の心を変えることで自分の運命が、
人生が変わっていくのです。このことを決して忘れてはなりません。

いい顔とは

『このお道は喜びの道であるから、それをご信心申す者が、
 喜ばぬつらい顔をして日を過ごしてはならぬ。
 天地の親神様をご信心するのじゃもの、天地のような広い心にならねばならぬ。』


リンカーンが大統領の時に、彼の親友がある人を内閣に入れたらどうかと薦めましたが、
リンカーンは、「彼の顔が気に入らないから嫌だ」と答えました。

それを聞いた親友が、「顔は生まれつきなんだから、彼に責任はない」と反論したところ、
リンカーンは「人間というものは、四十歳にもなれば自分の顔に責任がある。あんな顔をしているのではだめだ。」
そういって断固受けつけなかったそうです。

リンカーンが言いたかったのは、顔そのものではなくて、顔に表れる表情や雰囲気のことでしょう。 
人生経験をある程度積んだ四十代にもなれば、それまでの生き方や考え方が自然と顔に表れてくる、
というのは納得できる考え方です。

さて、それでは「いい顔」とは一体どのような顔なのでしょうか。

生身で生きているのですから、悲しいことも辛いことも色々あるのが人生です。
困難が無い人生なんて在り得ないでしょう。
しかし、そこで不足ばかり並べてみたところで物事は好転して行きません。
神様にお願いするにも、不足を土台にしては心も顔も歪んでしまいます。
思いつく限りのお礼を土台に笑顔で信心させて頂くことが大切なのです。

プラスを感謝することなら誰にだって出来るでしょう。
しかし、苦悩や絶望といったマイナスの淵にあって、
「ありがとうございます」と手が合わせることが出来るのが信心の有り難いところです。

また、そのような信心をされている人というのは、周りの環境がどうであろうとも、
いつも心に神様が居られるので、自然と笑顔がにじみでるのです。

同じ苦労をするのなら、その苦労の経験が、
やがては自分の大切な人のお役に立つようにと神様が差し向けて下さったのだとお礼を申しましょう。
その苦労は人生の尊い宝となり、自分の顔を、厚みがあり、また味わい深いものにしてくれるはずです。

生きるということ

曹洞宗の開祖である道元禅師に弟子が尋ねました。

「人は皆、仏性(ぶっしょう)を持って生まれているのであれば、なぜその仏性を持った人間のなかでも、
幸せになる者と不幸せになる者がいるのでしょうか?」

すると、道元はこのように答えました

「幸せになるものは努力する。そうでない者は努力しない。その差である」

弟子はすっかり納得し、大喜びしました。
しかしその晩、新たな疑問が湧いてきました。仏性を持っている人間に、
どうして努力する者としない者が出てくるのだろうか。
そこでまた翌日、道元禅師にそのことを尋ねたところ、

「努力する者には志がある。しない者には志がない。その差である」

弟子はまた納得し、喜んで帰りました。しかしその晩、またまた疑問が湧いてきます。
仏性のある人間にどうして志がある者とない者があるのか。
そこでまた翌日、道元禅師にそのことを尋ねたところ、

「志のある者は、人間は必ず死ぬということを知っている。
志のない者は、人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない。その差である」

人間が幸せを得るためには、死というものを知る、つまり
この人生が有限であるという、切実さを持たなければならない、そのように弟子に諭したのです。

お道の教えに、このようにあります。
『死ぬ用意をするな。生きる用意をせよ』

死に対する覚悟とは、安心して死ぬために定めるものではありません。
死に対する覚悟を持つことで、生きることがより鮮明になるのです。

人生の長さは人それぞれ違いますが、どんな人生も必ず途中で終わりを迎えるのです。
ここがゴールなどというものはありません。
私たちに出来ることは、何億年と続く生命のリレーの、
自らに与えられた一区間、この人生をどのように走るか、走ったかということに尽きるのです。
倒れるところまで、精一杯走ることが大切なのです。

切実に全力を尽くして今日という日を送るなら、
死ぬという事実もいつかの今日の出来事でしかなく、悔いは無い。
そういう生きる用意をしたいものです。

人生で大切なこと

ビジネス界にもっとも影響力をもつ思想家の一人として知られる
ピーター・ドラッカーが、十三歳の時のお話です。

学校での授業中、宗教の先生であるフリーグラー牧師は
クラスの生徒たちにこのように問いかけました。

『君たちは人から、どのように憶えられたいかね?』

誰も答えられない様子を見て、牧師はにっこりと笑って、続けます。

『今答えられると思って聞いたわけじゃない。
でも、五十歳になってもこの問いに答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ』

ドラッカーは晩年、この問いについて、著書の中でこのように述べています。

『運の良い人は、フリーグラー牧師が私に問いかけてくれたように、この問いを誰かに問いかけてもらい、
一生を通じて、自らに問いかけていくことができる』

さて、何故この問いが大切なのかと申しますと、
それは、この人生が何を手に入れるかで決まるのではなく、他人とどのように関わって生きていくか、
つまり、いかに生きるか。その生き方、在り方で決まることを教えてくれるからです。

人間の生活は、いつでも何らかの願い、目標をおいて、それに向かって歩んでいます。
そこで具体的な目標を持つことは大切なことですし、その目標を達成することは重要なことでもあります。

しかし、ここで間違いを起こしやすいのです。
目標を達成しようとするあまり、今の自分のしていることの効果ばかりに心が向かうようになる。
目標達成の効率を上げることに目を奪われ、そのことに走ってしまいがちなのです。
そうして目標達成のために、手段を選ばぬ在り方に傾き、手元が狂い、生き方が崩れていくのです。

お道の教えに、このようにあります。
『日に日に生きるが信心なり』

いかにして生きるか。それが神様の御心に沿った生き方となるように心掛けることが信心であります。
『君たちは人から、どのように憶えられたいかね?』
人間としての生き方、在り方が問われているのです。

和賀心

『おかげは和賀心にあり。
和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』

「和」とは、二つのものが一緒になることですが、その「和」の精神が表された形が円です。
車輪が四角だったら、車は前進しません。丸いから前進できるのです。

人においても同じことで、自分の心を円にしてはじめて、この人生を生き生きと生きていけるようになるのです。 
また、心がそのように丸くなっている状態を、「幸せ」とも呼びます。
「円満」という言葉があるように、満ち足りていて不足がない状態を言うのですね。

それに対して「不幸せ」とは、何かしら不足があるために心の円に穴が空いていて、
半月になったり三日月になったり、人によっては、かじられ尽した林檎のようになっていたりします。 
では、そのように心の円に穴を空けている不足の正体とは何かと言いますと、
それは「自分の期待通りにならない」という思い。これに尽きます。

不幸せな人というのは、何かしら不足を言われるものですが、
それらはすべて、自分の期待通りに人、モノ、お金が動いてくれないというものなのです。 
しかし、そのような自分の不足というものを一体誰が埋めてくれると言うのでしょうか。
結局は、自分でしかその穴は埋められないのです。

幸せになろうとしながら、人を当てにしては不足を言って、幸せになれない心の在り方になってしまっている。
これが「迷い」なのです。

そうではなく、
「人から何かしてもらおうと思わなくても、この自分自身の中に限りのないお恵みを頂いているのだ。
私の中から、どんなことでもしようという心が出てくれば、何だって出来る。
無限に良いものを私は授かっているのだ!」

このことに気付かせて頂くことが信心であり、
そこに至ってはじめて、自分の不足というものが無くなります。
穴が埋まって円満となり、幸せになれるのです。
心を丸く、円にすることをいつも心掛けていきましょう。
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