FC2ブログ

守られて生かされて

『人の身が大事か、わが身が大事か。
人もわが身もみな人である。』

これは、みんな同じ人間なのだから仲良くしましょうという意味ではなく、
「自分」や「他人」という区別などそもそも無いということです。

私たちの「いのち」というものは、
他の多くの「いのち」と繋がり、守り合い、支え合って存在しています。 

それは、私たちが気付こうと気付かまいと、
私たちを生かそうとする働きがこの天地の中に満ちわたっていて、
その働きに守られて、生かされて生きている私たちなのですね。

それを、「自分のもの」とか「自分の力で」とかに限定するところから、
周囲との関係が見えなくなり、聞こえなくなっていくのです。

自分と他者、自分と自然との関わり合いを
見つめ直すことで開けてくる人生があります。

夏の暑い太陽の直射も、
大樹の茂る枝葉が涼しい陰をつくってくれます。
その働きを、恩恵として受けとめて、「お陰様」となります。

自分を生かす無数の働きに目を向け、
耳を傾けることで、もちつもたれつ、
「お陰様」の本当の姿が見えてくるようになるのです。

神様が分からぬ、信心が分からぬということなど、
さしたる問題ではありません。

大切なことは、この自分というものが、
ずっと守られ、育てられ、「生かされて生きている」ことに気付くことです。

身近なところだけでも、今こうして生きていられるのは、
両親やご先祖さまが守って下さったお陰なのです。

さらに言えば、木や石など、すべてのものが自分を守ってくれている。
それが分かるようになることが大切です。

そして、守られて生かされていることを有り難いと思えたならば、
次はその恩に報いていきましょう。
それが信心です。

なんでもよろしい。
それぞれの人が、それぞれの持ち場立場で、
出来る限りのことを、世の中にお返しさせて頂けば、
それでよいのです。

天で頭を打たないように

人間の性(さが)とは悲しいもので、

金を持たない者が多少の金を持つようになると、

金を持たぬ者を見下す心持ちになる。

大きな会社に勤めれば、小さな店を侮って見るようになる。

役職に就けば、今まで同輩であった者に対して、尊大な態度で接するようになる。


人間の自己顕示欲が、競争社会の中で勝ち得た優越感から、醜い相として現れるのです。

かつて経営の神様と呼ばれた松下幸之助は、

「豊臣秀吉もナポレオンも素晴らしいリーダーであったが、

二人とも幸せな晩年を迎えることはできなかった。

それは、おそれるものがなかったからだ」と部下に教えたそうであります。


実業会において、怖いものがないほど登りつめられた松下幸之助が教えた「おそれ」とは、

ただ何かを怖がるというような意味ではなく、神仏を畏れ敬い、

人間の欲望を畏れ慎むという意味が込められていたのではないかと思うのです。


いくらお金を稼げるようになったからと言って、

また、いくら人としての生き方が分かったからと言ったところで、

自分の思いや行いが百パーセント間違い無いなんてことは有り得ません。


気を抜けば、怠け心が起こる。傲慢になる。人を見下したりもする。

そうなってしまう自分の弱さが怖い。

また、そのような傲慢を許さない、この天地を貫く道理、働きというものが怖いのです。


お道の教えに、このようにあります。

『人間は、財産ができたり、先生と呼ばれるようになると、頭を下げることを忘れる。

信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。

とかく、出る釘は打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。

天は高いから頭を打つことはないと思うであろうが、

油断をするな。慢心が出るとおかげを取りはずす。』


幸せや成功があるのは決して自分の力からではない。

もともと何の力も無い自分が、この天地に生かされて、

人のお役に立たせて頂いているのであります。

何事も「させて頂く」ことである、ということを忘れてはなりません。

たらいの水

世界的ロングセラーであり、自己啓発書の元祖とも称される

デール・カーネギー著『人を動かす』の冒頭には、

「人を説得しようとすることは無駄である」と書かれています。


「人を動かす」というからには、議論を上手く進めて人を説得するのだろう

と思いきや、まったく違うのです。

それどころか、人との議論は出来る限り避けよ、と教えています。


何故なら、議論をしても結局、お互いがますます

「自分の意見が正しい」と思い込んで終わるだけだからだ、と。


「たとえ議論に勝ったとしても、相手の意見は決して変わることはない。」


これが長年人間について研究を重ねたカーネギーの結論だったのです。


では、どうすれば人を動かすことが出来るというのでしょうか?

カーネギーはその方法は唯一つしかないと断言します。


それは、「相手の欲しがっているものを与える」ことだと。

そして、相手が欲しがっているものとは、理解と感謝なのだと。


人を説得するのではなく、まず相手を理解し感謝の心で接する。

つまり、求めるのではなく、与えることに注力する。

それがカーネギーの発見した「人を動かす」秘訣だったのです。


お道の教えにも、このようにあります。

『おかげ(幸せ)はたらいの水である。

向こうへやろうとすれば、こちらへ来る。

こちらへ取ろうとすれば、向こうへ行く。』


たらいの水を、向こうへやろうとするか、こちらへ取ろうとするか。

そこに幸せと不幸せの分かれ目があるのです。


自分の幸せばかり追い求めても、

与えることなしに真の幸せは得られません。

相手にこちらの期待通りに動いてもらおうと思うのではなく、

むしろこちらから相手の期待通りに動きたいと願うこと。それが信心であります。

たらいの水を向こうへやろうとするように、

「まず自分から与えよう」とする心を忘れてはなりません。

原因と結果

山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)と言えば、

幕末・明治の政治家として、

また無刀流を開いた剣術の達人として大変有名な人物であります。


鉄舟はさらに熱心な禅修行者でもありましたから、

道場においても弟子達に対し、剣の稽古だけではなく、

事あるごとに禅の教えを説きました。


ある日のこと。鉄舟が道場でいつものように禅の教えを説いていますと、

そのことを苦々しく思っていた若い一人の門弟が得意気に声を上げます。

「先生、今朝、私は家からこの道場へ通う途中で神社の鳥居に小便をかけましたが、

 この通り何の罰も受けておりません。神仏など迷信です。」

それに対し鉄舟は、間髪を入れず、

「この罰当たりめが!」

と大声で叱りつけました。


その門弟はびっくりしたものの、

「先生、どこに罰が当たっているのですか?」

となおも逆らいます。 

すると、鉄舟は静かに答えました。

「分からないのなら教えてやろう。

 いいか、神社やお寺の前を通るとき、きちんと礼拝できるのが、

 人間の教養というものだ。

 鳥居に放尿するなど、犬猫のする行為だ。

 お前は一人前の人間であり、しかも武士ではないか。

 武士たるものが、人間のすることさえできず、

 犬猫の仕業しかできないのが、どうして罰が当っていないと言えようか」


さて、原因と結果と言いますと、善い行いをすれば将来善い結果が生まれ、

悪い行いをすれば将来悪い結果が生まれるというのが通例ですが、

本当は、原因を作った時に結果も共に生まれているのです。


お道の教えに、このようにあります。

『真にありがたしと思う心、すぐにみかげ(恩恵)のはじめなり』

有難い心があるから将来助かるというのではない。

有難いという心になった、それがそのまま最善最高の生活で、

そこから後はそれが続いていきさえすればよいのであって、

それ以上の生活はないという教えであろうかと思います。


有難い心で神仏に手を合わせることができる、

人に優しく接し、物を大切に扱うことが出来る。

有難い心で善い行いができることそれ自体が、

喜ぶべき結果であることを忘れてはなりません。
ランキングに参加しております!
いつもクリック頂き、        誠にありがとうございます。   アヒルちゃんとネコちゃんを     1日1回ポチッとお願いします。

FC2Blog Ranking 人気ブログランキングへ

お越し頂きありがとうございます!
ご連絡はこちらよりどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター