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信心の行

ある方が日本の学校教育に間違いがあるのは、お掃除当番のあることだと言っておられました。
お掃除当番というのは、お掃除をしたくないという前提のもとに、やりたくないがやらされるのです。
そこにお掃除に対する誤解や間違いがあるのだと。

お掃除という自分の仕事があること、
その仕事を通して他人にも喜んでもらえることは、本来楽しいことなのです。
「あなたはやらなくても結構です」と言われるよりも、働かせてもらう方がどれだけ楽しいことか。
このことを教えることが大切なのです。

近年では仕事のことを、「利益がすべて。結果がすべて」などと言ったり、
「生活を保つための手段に過ぎない」などと割り切ったりする意見が、大変多くなってきました。
しかし、仕事を自分の生きていく為の単なる手段として考え、そのためにしなければならない、
しょうことなしの重荷であると考えているならば、いつまで経ってもそのような仕事の仕方しか出来ず、
そのような仕事しか与えられないことになるでしょう。

お道の教えにこのようにあります。
『日々勤める仕事は信心の行であるから、仕事を有り難く勤めれば、日々有り難いおかげが受けられる』

ふつう信心といえば、宮、寺、お堂など特別な場所で、
特別な作法をもって特別なことをすることのように思われがちですが、実はそうではありません。 
会社での勤めや、家事や育児といった日常の仕事の中にこそ信心の行があるのです。

「働くことそのものが楽しみでありますように」と祈らせて頂きましょう。
仕事をすること自体を感謝し、何のためというわけでもなく、
自分はどうなるかなどということは忘れて、ただ仕事をすることを喜んでみましょう。 
すると、仕事のほうも喜んでくれて、終始一緒に居てくれ、
困った時には仕事が貴方を助けてくれるようになる。それが道にかなうということです。
働いているからこそ、休みが有り難いと思えるのであって、
「あなたは働かなくてもいい」と言われるのは大変辛いことです。
失業してみると、働くことの有り難さに気付くことでしょう。

元日の心

元日には、皆が「おめでとう、おめでとう」と言い合い、新年を喜び合います。
日本人にとって元日とは、単に年度が変わったということだけではなく、
生命が改まって再生するという、民族的な心情が心の底にあるのではないでしょうか。
そのために、すがすがしく新しい心と感動を持って、元日を迎えることが出来るのです。

暦の上では元日も他の日も一日には変わりありませんが、
年改まる元日には、人間の心情をも改まらせる働きがあり、それがたいへん有り難いことだと思うのです。

お道の教えにも、このようにあります。
『信心は日々の改まりが第一である。毎日、元日の心で暮らし、
日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思って、日々うれしく暮らせば家庭に不和はない』


「元日の心」とは、改まりの心です。
今日という日を迎えた感動の中で、「今日こそは」「今年こそは」という願いを立て、
感謝と反省を胸に神仏に手を合わす。
そして、今日という一日を出来る限り大切に過ごそうとする。
そのような心、願い、行動を毎日続けることが信心です。

信心すれば、家庭に職場に、良い人間関係が生まれ、幸せな人生を歩んでいくことができます。
だからこそ、元日の今日、この心持ちをしっかりと味わっていき、保っていき、
そうしてどのようなことに出遭っても自分から離れないように心掛けることが大切です。
信仰上の修行というのも、そのためにあるのです。
木魚を叩いて念仏を唱えたり、断食をしたり、山に登ったり、川を渡ったり。
それらはすべて、その間に感じる、何とも言えぬ有り難い心を自らに覚え込ませ、
自らがそのように成り切るためにさせて頂くことなのです。

このお道では、体を痛めつけたり我慢したりする修行はありません。
その代わりに、「元日の心」を持ち続けることを修行とするのです。
元日の心を携えて、日々の生活を有り難く送っていくその中に、
有り難いおかげ(幸せ)が生まれて来るのです。

生命のバトン

坂村真民先生の詩にこのようにあります。

あとからくる者のために
苦労をするのだ 我慢をするのだ
田を耕し 種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は 詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みんなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分でできる何かをしておくのだ


私たちの人生の長さは人それぞれ違いますが、どんな人生も必ず途中で終わりを迎えます。
ここがゴールなどというものはありません。
私たちに出来ることは、何億年と続く生命のリレーの、自らに与えられた一区間、
この人生をどのように走るか、走ったかということに尽きます。

リレー走者が心掛けることは何か。それは、バトンを手渡す者たちの為に何が出来るかということ。
それに尽きるのです。
自分から人に何かしてあげなさい、などという教えを聞くと、なるほど確かにそれは善いことには違いないが、
こっちが損じゃありませんか、と思うのが人の心というものです。
しかし、そう思うのは教えの本当の意味が分かっていないからです。

人に親切にするということは、自分自身が嬉しい。進んで人のお役に立とうとすることを、自らの生命が求めている。
そのことを私たちに気付かせようとするのが、教えの根本なのです。
人に親切にし、進んで仕事をしようとするとき、自分の中から大変よいものが湧き出る。
それが嬉しさとなり、幸せとなるのです。
生命のバトンを繋ぐ一走者として、自分に何が出来るのか。
いつからでも遅くはない。そこにこそ、本当の幸せがあるのです。

花はなぜ美しいのか

八木重吉(やぎ じゅうきち)は、昭和二年に二十九歳の若さで亡くなった敬虔なクリスチャンの詩人です。
信仰と詩の合一を目指し、短くもひたむきに生き抜いた彼の作品は、彼の死後二十年以上経って世間から注目され、
今なお多くの人の心に光を与え続けています。

そんな彼の作品の中に「花」という詩があります。
花はなぜ
美しいか
ひとすじの気持ちで
咲いているからだ

彼にとって花が美しいのは、形や色などの見た目にあるのではなく、「ひとすじの気持ちで咲く」ところにあるのです。
自分を美しく見せようとか、人に褒められようとか、そんな余計なことを考えずに、ただ「花だから咲く」、
そのひとすじの気持ちが私たちを感動させるのだと。人間もまたしかりであります。

お道の教えにこのようにあります。
『これまで、神がものを言って聞かせることはあるまい。どこへ参っても、
 こちらから願うばかりであろう。それでも一心を立てれば、わが心に神がおられるからおかげになる。
 生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだことはない。…祈るところは、神と一心である』


自分を生かし自然を生かし、この天地全体を生かしている大いなる働きがあります。
一心とは、一つの心と書く通り、その働きと一つになるということ。
我欲を張らず、物事に執着せず、ただひとすじに神に心を向けるということであります。

花は誰のために咲くのか。誰のためでもありません。花は、ただ花であるがゆえに咲くのです。
自分に与えられたいのちを、与えられた環境の中で、与えられた役割を精一杯、ただひとすじに果たして、
次の世代にいのちをつないでいくのです。
私たち人間もまた、自らに与えられたいのちを全うする役割が与えられているのです。
この自分の中から、どれほどのものが現れ出るか。
そこに一心を立て、ただひとすじに咲こうとするところに美しさが生まれるのです。

無駄事はなされない

助かりたいという心は、きっと誰にでもあるものでしょうが、その心の根底を調べていきますと、
どうも「このままでは困る」「このままだと安心出来ない、不満足である」という心があります。

あの上司がどこか異動になってくれたら助かるのに…。
もうすこし自由になるお金があれば助かるのに…。この病気が治ってくれたら助かるのに…。

私自身、そのような「このままでは困る」という心がいくつもありまして、
そこで、私は一体どのようになれたら心底助かったと言えるのだろうか、と考えてみましたところ、
『これでいいのだ』という心になれた時こそ、本当に助かったと言えるのではないかと思うのです。

『これでいいのだ』というのは、仕方が無いと諦める心ではなく、
このままでよい、これでこそよかったのだと感謝して受け入れる心です。

お道の教えには、このようにあります。
『神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、
人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる。』


生身で生きているのですから、痛い辛いがあるのが人生です。
困難が無い人生なんて在り得ないでしょう。しかし、その困難の中に、神様の御心を見出すのが信心です。
神様が可愛い可愛い氏子に対し、わざわざ氏子が困るようなことを差し向けておられるのです。
ですから、こちらとしては、その差し向けられた困難の中にある「おかげ」をしっかりと受け取ろうじゃありませんか。
病気なら病気のままに、その病気を神様からのお差し向けとして、その病気をしっかりと味わい、
そこで自分の生き方を見つけていく。

病気になったおかげで、健康のときには分からなかった人生の別の価値がわかり、
他人の病苦が察せられるところから、本当の意味で病人を慰めることができる。
自分はそのためにこそ病気になったのだ。 
これでいいのだ、これでこそよかったのだと思えた時、
失ったものより遥かに大きなものを、私たちは手にしたことになるのです。
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