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信心の稽古

『信心は、一年一年ありがとうなってくるのでなければ本当ではない。』


茶道を大成した千利休(せんのりきゅう)の歌に、このようにあります。

 「稽古とは 一より習いて 十を知り 十よりかえる もとのその一」

一、二、三…と習い、十まで知ったならば一に戻って、再びもとの一を習う時、

習う人の心は全く変わっているものです。

端から見ればもとの一は同じように見えますが、

習っている本人にとってみれば、最初に習った時と異なっている。

このことが人の進歩につながるのであって、十を知り、もとの一に戻らぬ人は、

それ以上の進歩は望めないのですね。

では、信心の「一」とは何なのか。

それは、人によってそれぞれ違います。

このお道に入るきっかけとなった、心の底から「ありがたい」と思えた、その原体験こそが「一」なのだと思うのです。

その「ありがたい」心を忘れることが無いように、日々、感謝と反省を胸に神仏に手を掌わせる。

そして、今日という一日を出来る限り大切に過ごそうとする。

それを毎日続けさせて頂くことが、そのまま信心なのだと思うのです。

信仰上の修行というのも、もともとはそのためにある。

木魚を叩いて念仏を唱えたり、断食をしたり、山に登ったり、川を渡ったり。

それらはすべて、その間に感じる、何とも言えぬ有り難い心を自らに覚え込ませ、

自らがそのように成り切るために、させて頂くことなのです。

このお道では、体を痛めつけたり我慢したりする修行はない。

その代わりに、「ありがたい」心を持ち続けることを修行とするのです。

あらためて一を習うと、その一が、きわめて新鮮になり、また違った経験が得られる。

そこから次に向けての工夫が生まれるのです。

日々させていただく信心生活が、一日一日、一年一年、有り難いという想いが増えていっているか、そうでないか。

ここのところを、信心の標準とさせていただきましょう。

あるもの みな美しく

『あるもの みな美しく、

 おこること みなよし(高橋正雄師)』


信心をすれば一切の苦難が無くなるかと問われれば、

残念ながらそんなことは有り得ないでしょう。

人が人として生きていく以上は、苦難にどうしても直面していきます。

色々あるのが人生というものです。

しかし、事実として苦難がありながらも、そのことで心が苦しまなくなる、

その苦難の中にも「ありがたい」と思える心が生まれてくることが信心なのです。

そして信心をさせて頂くということは、

自分と物事、自分と周囲の人々との間に神様を見出すことです。

自分の好き嫌いで物事や人を受けとめようとしないで、

起きてくることは全て神様のお差し向け、そこに自分にかけられた神様の願いを受け取ろうとするから、

「あるもの みな美しく、おこること みなよし」と思える自分にならせて頂けるのです。

現実を変えることが出来なくても、悩みに対する心の持ち方を変えることはできます。

過去の出来事を捨て去ることはできなくても、とらえ直すことはできます。

結局のところ、出来事自体には良い悪いはなく、受け取る側の心にだけ、良い悪いがあるのです。

ある人にとってはとても良い人、良い物、良い出来事であり、

ある人にとってはとても悪い人、悪い物、悪い出来事でもあるのです。

良いも悪いもないのであれば、

「すべて恵まれてのことなのだから」と、神様から頂いた「ご縁」として有難く受け取る心を育てていきましょう。

そうすれば、どのような境遇に置かれても、人は幸せになれる。

境遇は変えられなくても、生き方を変えることで人生の見え方が変わるのです。

有難く受け取ったその第一歩が幸せな人生へと通じている。

ですから信心する人は、神様から差し向けられた今の一瞬一瞬を、

嬉しく楽しく有り難く生きていくことが大切なのです。

幸せの帽子

仏教詩人として知られる坂村真民さんの詩に『幸せの帽子』というものがあります。

すべての人が幸せを求めている

しかし幸せというものは

そうやすやすとやってくるものではない

時には不幸という帽子をかぶってやってくる

だからみんな逃げてしまうが

実はそれが幸せの正体だったりするのだ

わたしも小さい頃から

不幸の帽子をいくつもかぶせられたが

今から思えばそれがみんな

ありがたい幸せの帽子であった

それゆえ神仏のなさることを

決して怨(うら)んだりしてはならぬ


一見「不幸」に見えることの中に、神様の願いがどれだけ込められているかということを考えさせられます。

プラスを感謝することなら誰でも出来るでしょう。

しかし、苦悩や絶望といったマイナスの淵にあって、「ありがとうございます」と

手を合わせることが出来るのが信心のありがたさであります。

苦悩や絶望が縁となって、神様の願いに気付かせていただき、真の生き方に目覚めるのです。

そこから自然と手が合わさるようになる。


お道の教えに、このようにあります。

『神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、

人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる。』


神様は人間の親であります。親は、たとえ子どもが親の恩を分かっていなかったとしても

子どもの世話をし続け、心配をして下さいます。

そして、子供の至らないところは、改まり成長できるよう、

祈りに祈りながら長期に亘って時節を待って下さいます。

私たちが逆境の中で「助けて下さい」と神様に祈る遙か前から、実は神様が祈って下さっているのです。

最善、最高、最適の神様のお働きの中で、生かされ生きていることを忘れてはなりません。

まずは自分自身が有り難い心に

信心というものを一言で表すならば、「有り難い」と思う心持ち。それに尽きます。

世の中の一切の出来事、人との間柄というのは様々ですが、

それらが信心の稽古をさせて頂くことによって、だんだんと変わってくる。

良くなってくる。

そして心から「有り難い」と思える様になってはじめて、

本当に幸せになれたと言えるのではないでしょうか。

では、そこでもう一つ進んで、周囲の人間を幸せにするとはどういうことか。

例えば子供に対して、何をしてあげることが、一番その子供を愛するということになるのか。

欲しいというモノを買ってあげたり、行きたいと言う場所へ連れていってあげることも、愛することには違いありません。

けれども、その子供自身がどのような事に出逢っても「有り難い」と思える人間になれた時こそが、

子供の一番の幸せなのですから、そうなれるように、

つまりは子供の信心が進むようにしてあげることこそが、

親として一番子供を愛することになるのです。

目に見える財産を残すことよりも遥かも大事なこと。

事に当たった時に、いつでも「有り難い」と思える人間に子供を育てることが出来たならば、

親として、それが一番安心であろうと思う。

いくら学歴や収入が高くなっても、

心の内に有り難いという心を植え付けてあげることが出来なければ駄目なように思うのです。


そのように、我が子に対して、

また誰に対してでも、人を愛して大切にする道とは唯一つ。

それはどうすれば出来るかと言えば、

まず自分自身が有り難い心持ちの人間になること。これしか無いのです。

私が不平不満ばかりであって有り難いという気持ちでなかったら、

いくら子供にそういう心持ちになれと言っても、それは子供には伝わらないでしょう。

いい加減に聞くのが当たり前です。

ところがもし私自身に「有り難い」という心が定まっていれば、

口では何も言わなくとも、きっとその心は皆に響くと思うのです。

まずは自分自身が有り難い心になること。

そうなれば、自分自身が幸せになり、周囲の人をも愛することになるのです。

許す心を学ぶ

『神様は人間の親様である。
 信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである』

他の人間が自分のことを本当に愛してくれている、

どんなことがあっても最後は自分のことを許してくれると信じ切れるところに人が助かる道がある。

小さい子供が育って行くのは、親が許してくれるからなのです。

親から許してもらえない家庭は子供にとっては地獄であり、

そういう家庭では子供は真っ直ぐ育っていくことが出来ません。

育てるとは許すこと。子供の立場に立って解釈してやること。

それが土台にあってはじめて、叱ることにも意味が出てくるのです。

仮に子供が何か失敗をしたとしても、その失敗には何か訳があるのだろうと、

親は子供の立場に立って解釈してくれる。その優しさが子供を育てる、落ち着かせるのです。

この「許し」なくして、子供は真っ直ぐ成長出来ません。

それは人を信じることを知らない為です。

人を信じることが出来ない為に、非行に走り、道を誤るのです。

最近では「親バカ」を通り過ぎた「モンスターペアレント」が横行し、大変な問題となっていますね。

何事も行き過ぎは善いものをも悪くしてしまうのですが、親は子の為に狂うところがある。

何故かと言えば、それだけの働き、間柄をこの天地がはじめから親と子に与えているのです。

そして、親が子を許すことで、子は助かる。

そうして、その子どもは自分と他人を許せる大人へと成長していくことが出来るのです。

同じ親でも、神様は人間よりも遥かに気が長く、心が広い。

責めるところが一切無い為に、ものを言われることもないのです。

信心とは、神様が自分を愛し、許して下さる親である事を知り、

神様がいつも自分に寄り添って、共にこの人生を生きて下さっていることに気付くことなのです。

そのような神様の許す心、慈悲の心を学び、実践していくことが大切なのです。
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