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生かされ生きる一人である

平成二十二年に百一歳で亡くなられた臨済宗の禅僧、松原泰道師は、

百歳を過ぎてからも執筆や講演を精力的にこなし、

亡くなる三日前まで「生涯現役 臨終定年」を実践された現代の名僧として知られています。

その松原禅師がご在世中の話ですが、ある老婦人が禅師に対し、このように言いました。

「私は電車に乗って外出する際、なるべくラッシュ時を避けるようにしています。

 若い方が席を譲って下さるのはありがたいのですが、ご迷惑をおかけすることになるので…」と。

なんとも心優しい老婦人の言葉でありますが、それに対し禅師は、

「そんな気配りはやめた方がいいですね」

と冷ややかにつっぱねます。続けて、

「そのような時、あなたは心の奥底から『ありがとうございます』と感謝の思いをこめて

 お礼をそのお方に言って腰をおかけなさい。

 好意を素直に頂くことが、礼儀ではないでしょうか」

このように諭されたそうであります。

私たちは幼い頃から、学校や社会で「他人には迷惑をかけるな」と教えられて育ってきました。

しかしそれが不可能な事実であるということは、よくよく考えてみれば分かります。

不完全で欠点があるのが人間であり、そうした人間どうしが集まって、

互いに支え合い、迷惑をかけ合い、生活しているのが私たちの社会であります。

それならば、「私は他人には迷惑をかけません」と

肩肘を張るよりも、「誰かに迷惑をかけずには生きられない私である」と、

謙虚さと感謝の気持ちを持つべきではないでしょうか。

「人間は決して一人では生きられない、人間は他に迷惑をかけなければ生きられない、弱い存在である」

ということを、大人は子に伝えるべきなのです。

個人の力には限界があることを知らなければ、行き詰まりを感じた時に死を選ぶしかありません。


気配りよりも大切なこと。それは、この天地の中で他に支えされ、

他に迷惑もかけ、生かされ生きる一人であるという事実に、感謝の思いを向けることなのです。

人の本質

『人が人を助けるのが人間である。
人間は、子供がころんでいるのを見て、
すぐに起こしてやり、また水に落ちているのを
見て、すぐに引き上げてやることができる。
人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、
人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。』

中国・清の第五代皇帝の雍正(ようせい)は、

国と人民のために寝食を惜しんで働いたことから、中国史上最も勤勉な皇帝とも言われています。

その雍正が学問をするうえで最も大切にしたことが、「自得(じとく)」という言葉でありました。

自得とは「自己を得る」。つまり、「自らを知る」ということですが、

雍正は自得園という別邸まで建てて、自らを知ることに真剣に取り組んだそうです。

自得の大切さは、なにも東洋だけの考えではありません。

ソクラテスも「汝、自らを知れ」。

ゲーテも「人生は自分探しの旅だ」と言っています。

考えてもみますと、私たちは学ぶことにせよ、働くことにせよ、

名を成そう、人から賞賛されよう、とばかり考え躍起になるものですが、

そこに執着するあまり、自己というものを見失いがちであります。


しかし誤ってはならないことは、

人は社会的に何かを成し遂げたから偉いのではなく、

その人に与えられている生命自体が尊いのです。

自らを知るとは、その自らの生命に託された「願い」を知るということ。

何をするかという手段ではなく、人間とは何かという根本を知ることです。


『人が人を助けるのが人間である』ということは、

私たちが学ぶこと、働くこと、

活動すべての中心に「人を助ける」ということを置けば間違い無いという教えなのですね。

つまり、学ぶということは、自らを高めて人の役に立つために学ぶのであり、

働くということも、自らの身体、能力を用いて人が助かることをするために働くということになります。

自得とはこのことを悟り、実行して行くことであり、

自得した者が成す仕事とは、その職業が何であれ、自他ともに幸せをもたらす仕事となるのです。

必ず道は開けていく

『身の上のことは何事でも、実意をもって願え』

戦前の話になりますが、金光教和歌山教会の初代教会長である沢井光雄師のもとに

ある警察官が来られたときのことです。

「ここではどんな事でも神様に願ってよいと教えているようだが、

 それでは泥棒をするということを願ってもよいのか。

 そういう不埒な願いに対しても、願いを叶える神様なのか」

とその警察官が尋ねたところ、

沢井師は

「はい、泥棒することでもお願いしたらけっこうです」

と答えられました。

それに対し、

「そんなバカな神様があるものか!」

と警察官が怒鳴ったところ、

「いいえ。そういうお願いをしてもよいのです。お願いをすれば、

 泥棒をしなくても済むようなおかげを頂かして下さるのが神様であります」

と答えられたそうです。

さて、よく宗教というと、

「あれをしてはならない」

「これを食べてはならない」

「こんな願いをしてはならない」

などといった戒律やタブーがいくつもあって、それを破ると罰が当たるなどと言われる方もおられるようですが、

本当に正しいこと、良いこと、道筋に合ったことしか神様へ願えないのだとしたら、

難儀に苦しむ人に助かる道はありません。

「実意をもって願え」とは、

心から願ったなら、後は神様にすべてお任せをするということです。

「お任せする」というのは、ただ頼るだけで何もしないということではありません。

「頼る」というのはただ甘えることですが、

「お任せする」というのは、人間として出来る限りのことをして、

その上は神様に任せて、あれこれ思い煩わないということであります。

どうにもならないことを自分の力でどうにかしようと思うと、解決がつかず、ますます苦しくなります。

ですから、どうにもならないことはまな板の上の鯉のように自分を神様にすべて投げ出し、お任せする。

自分の力でどうにかしようという我を捨てる。 

そのように神様に任せきり、凝り固まった自分の我を放れることができれば、物事は自然に好転していくものです。

必ず道は開けていくのです。

器量

 『何事も、承服いたせば安心なり』

茶道を大成させた千利休(せんのりきゅう)の孫の

宗旦(そうたん)にこのようなエピソードがあります。


ある日、宗旦と親交のある和尚さまが、

寺の庭に咲いた「妙蓮寺」という銘のある椿の一枝を小僧に持たせて、宗旦のもとへ届けさせました。

しかし、椿の花はもろく落ちやすいものでありますから、

気をつけていたものの、途中で花を落としてしまい、

小僧は宗旦にこのことを、自分のそそうでありますと深く詫びました。


すると宗旦は、怒るどころか、この小僧を茶席に招き入れ、

銘入りの竹の花入に小僧の持ってきた花の無い椿の枝を入れ、

花入の下に落ちた花を置きました。

そして一言、「ご苦労様でした」とニッコリ笑って、小僧の労をいたわって帰したということです。


さすが茶の道を極めた方は違いますね。

花を落とした小僧を許し、落ちた椿をも「落下の風情」としてそこに美しさを見出す。

なんと器量の大きい、ユーモアと人情味にあふれた態度でしょうか。


よく、「あの人は器が大きいから、人の上に立てる」とか

「あの人は仕事は出来ても器が小さいからダメだ」という言葉を耳にしますよね。

信心が篤くなるということは、まさに心の器が大きくすることに他なりません。

自分の好き嫌いで物事を受けとめようとしないで、

起きてくることは全て神様の差し向け、そこに自分にかけられた願いを受け取ろうとするから、

自然と心が大きくなり、「それもまたよし」と思えるようになってきます。

普段、「こうでなければならない」と決めつけていることが、

どれだけ自分や人の心を縛り、自由を奪っていることやら分かりません。

しかし、そもそも「こうでなければならない」ことなんて、実は何一つ無いはずなのです。

「それもまたよし」と承服する心を身に付けましょう。

そうした心の余裕は、必ずわが身に徳を授け、人間の器を大きいものにしてくれるのですから。

負けて時節に任す

 『打ち向かう者には負けて、時節に任せよ』

広田弘毅(ひろた こうき)は、

内閣総理大臣を務めた近代のすぐれた政治家として有名な人物です。

彼は若い時から優秀な外交官として認められ、昇進も早かったのですが、

四十八歳のとき、当時の外務大臣によって、外務省欧米局長の要職からオランダ公使の閑職に左遷されます。


左遷の知らせを聞いた友人たちは驚き、

彼を慰めたり、励ましたりしましたが、当の本人である彼自身はきわめて平然としており、

逆に友人たちの激情をなだめ、気さくに俳句を吟じます。

「風車(かざぐるま) 風が吹くまで 昼寝かな」 

風車は風が吹かないと回らないものですが、彼は自分の境遇をそんな風車になぞらえて、

機会という風が吹くまで、昼寝でもするかのごとくゆっくり待とうじゃないかと言ったのです。


彼の凄さは、政治的手腕もさることながら、このような逆境に対する心の持ち方にあったと言えるでしょう。

そうして、オランダ公使4年の間に力を蓄え、やがて外務大臣、内閣総理大臣へと出世していくこととなるのです。

さて、何かできる時には、そのことを精一杯させて頂けばよいですが、

どうにも出来ない時には何もしないで機が熟するのを待つ、風が吹くまで待つことが、一つの大切な仕事ともなります。


そこで時節に任せるとは、ただ時間が経つのを待てばよいというわけではありません。

人と争ってでも自分を保とうとする、自分勝手な考えや仕方をやめてしまって、

昼寝でもするかのごとく、成り行きに任せることが大事なのです。

すべての物事には、やがては調和へと向かう働きが自然に備わっています。

時節に任せるとは、その調和に向かう働きを自ら乱さないことであって、

自分の体力や思考力を充実させるために恵まれた時間として、有り難く休ませて頂けばよいのです。

またそのような心の余裕が、逆境を強みに変える手助けとなるのです。
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